最近ちょっと、小さなことでのうっかりミスが多く、あまりにさりげなく普通に「老い」と言うものは近づいてくるのだなと実感している私です。
振り向いたら彼らはそこに居た。それが「老い」と言うやつら。
バーンと派手な音を立ててはやって来ないので、うっかりと気が付かない事もある肉体以外の衰え。だから「老い」は怖いのだなと思います。
感性が死んでいく、そんなレベルの問題ではないのですよ。
記憶を留めて置けないとか、理解能力が欠けていく。今まで簡単に出来ていたことが出来なくなっていく・・・・。
そしてその自覚に欠ける・・・・。
あなおそろしや。
年齢や自分の「老い」を意識すると言う事は、決して「もう私はこんな年齢になってしまったのだからダメだ。」と、イコールではないのだと思います。
己を知って、傾向と対策を立てる為の重要な認識なのではないでしょうか。
「しっかりと冬を見る」などと言うと、さながらそんな初老に差し掛かった季節を見よというような感じですが、このタイトルは、本当にズバリ、「冬を見よ」と言うものなんです。
もしも私が認知の病にかかったら、たぶん私は日付感覚が結構危うくなるような気がするのです。
お仕事がピークだった頃、月の初めに月の終わりまでの予定が埋まると、意識の中でその月が終わってしまったように感じたものです。
またその感覚は、今でも私の中では引きずっていて、いつ夏が終わり秋が素通りして行き、また冬がいったいいつやってきたのだろうかと言う感覚にもなるのです。
ただそれは季節の移ろう速さに、ついていけてないだけなのかも知れません。
今は咽るように濃い緑の季節でもなく
色づく季節でもなく
まだ純白に覆い隠された季節にはなっていないのです。
しっかりと、今の季節を見よう。
しっかりと、今の私を見よう。
しかし冬の木々は、丸裸で自らをさらけ出しイサギが良いな。
あんがい、冬は良い季節だなって思っています。