2019年12月12日に、俳優の梅宮辰夫さんが亡くなりました。
「やすらぎの刻」で主人公の父親役(幽霊で)として出ていたので驚きました。確かに痩せたとは思っていました。でもまだまだ元気で活躍するのかと、なんとなく思っていたからです。だけどこれを別のちょっと嫌な言い方をすると、あまり彼に興味を持っていなかったとも言えるんかもしれません。
それなのに彼が亡くなって、その生きざまを知ると、私は彼の闘病の生活に心打たれ大いに励まされたのでした。30年で6度の癌と闘ってとどこかで読みましたが、もっと違う所で詳しく読み直してみると、最初の癌告知は36歳の時だったというのです。
でも彼は活躍しながら81歳まで生きたのですよね。
梅宮さんは、自分の愛する家族のため、そしてご自身のために一生懸命生きられたのだと思います。だけどその病気に負けなかったその生きざまに、見も知らない私が励まされているのです。
16日の日に妹の病気を知って、正直メチャクチャ落ち込みました。だけど知らず知らずのうちに私は彼の事を考えていたのでした。
なんでもない毎日を送っているような私たちでも、知らないうちに誰かを助けていたり、誰かの考えるヒントになっていたり、誰かを励ましていたりするのかも知れません。
そしてもしかしたら、この私たち姉妹のエピソードも、見えない誰かの力にならないとは限らない事だと、私はそう信じているのです。
「自由が丘に行きました。その5」の続きです。
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1月3日に母も連れて、また自由が丘の病院に行きました。
母は見た目は若いのですが、耳がどんどん聞こえなくなってしまって、話がかなりのトンチンカンですし、「もう」「もう」と牛の鳴くように「私は老人」というアピールをするので、どんどん年寄りくさくなっていって、嘆かわしく思っています。
どうせ鳴くのなら「まだまだ」と鳴いた方が良いに違いありませんよ。
そんな母の事を嘆きつつも、ちゃっかしお昼は奢ってもらう、いつまでも母と子供たちの構図を(敢えて)断ち切らない私たち。
←母は、今、歯が抜け掛かっていて、掛かっている歯医者が「抜けたら来てね~。」などとトンチキな事を言うので、こんなパスタでも硬くて食べられなかったのです。(何とかしなくちゃの案件ですね。)
3時の面会時間に間に合うように行ったのですが、1月3日なので、ちょっと早く着いてしまっても大丈夫だったみたいです。
病院に入った途端に、窓辺に佇む妹の連れ合いの写真が送られてきました。。
「こんな風に待ってるよ。」と言う意味なのかと思いました。
ところが後で聞くと、写真を拡大したらわかった事ですが、向こうから病院に向かって歩いてくる私たちが分かったので、それを撮ったみたいなんです。
豆粒だったので、(いや米粒よりも小さかったと言うべきでしょう)だから分からなかったのです。
談話コーナは私たち以外は誰もいなかったこともあってか、これが見舞いかと言うくらい賑やかでした。なんたって母と姉妹と姪も入れたら女が6人ですものね。
妹は日に日に良くなっていき、元気で明るかったです。
乳癌転移の脳腫瘍らしいので抗がん剤なども免れないようなのですが、それは先の話になるようです。放射線での治療の日程や、なんとなくの退院の予定はぼんやりとは決まったようです。
だけど手術の後遺症もなくて、快活に妹は手術の体験談とかその後の話とかをしてくれました。
私たちも、退院して体力が回復したら行こうと計画を立てている温泉への旅の話などをして、盛り上がりました。
「ラッタが言ってたよ。」と私は言いました。
「『3つの大病に打ち勝つ女、なんかすげぇなぁ。』って。」
「そうでしょう。エヘン。」
彼女が明るい事を良い事に、更に私はかなりろくでもないことを言いました。
「なんか続けて言うとゴロが良くてラップみたいよね。『乳癌・肺がん・脳腫瘍イエィ♪』」ってさ。
なんてことを言うんだ、この人はって今思った人もいるだろうなぁと思いますよ。いや、自分でも思いますもの。よそ様では絶対に通じない会話です。
ところがですよ、ここに頓珍漢な母がぶっ飛ぶようなことを言ったのです。
「さぁ、ここは病院だから長生きしちゃダメよ。」
「なんてことを言うのよ。せっかく強く頑張ろうとしているのに、長生きしちゃいけないのかい。」と妹が突っ込みます。
何を言い間違えたのか、皆分かっていてのツッコミです。母は本当に昔から、言葉をいい加減に話すのです。でもここでそれはまずいじゃないのよ~。
私はもう、ツッコミなど入れられないくらい笑っちゃって、深夜にひとりでお風呂に入っていた時も思い出して、声を出して笑ってしまいました。
あっ、そうそう。これは「長生き」ではなく「長居」の間違いで、うっかり「き」をつけてはダメですよね。
本当はラッタからの伝言の後に、私はこう続けました。
「本当にあなたは凄いと心の底から思ってるよ、私も。」
「明るいから?」
「いや、本当は違うと思ってる。」などと実も蓋もないようなことを言う私。
だって次から次へと襲ってくる病魔が辛くないわけがない。怖くないわけがない。悲しくないわけがないじゃないですか。
「だけどね、その仮面を被れること自体が、『凄いな!!』って本当に思ってるよ。」
「長生き」じゃなくて「長居」をしてはいけないので、話も盛り上がって楽しく名残惜しかったけれど、帰ることにしました。
病院を出た時に、ふと、そう言えば来るときと同じように上から見てみ送っているのかなと思い出し、見上げてみると、妹たちは家族3人で手を振ってくれていたのでした。
(姪が上から撮ってくれました。)
MaskWomen 帰りまーす。
NYUUGANN HAIGANN NOUSYUYOU YAY!
だけど彼女は負けないんだ。
だけど彼女は笑ってる。
NYUUGANN HAIGANN NOUSYUYOU YAY !
ずっと一緒につるむんだ。
ずっと一緒に遊ぶんだ。
ねっ、おとうさん !
そう言えば集中治療室で彼女がうっすらと目を開けた時、傍に若くてハンサムな男の人が、じっとこっちを見ていたんだって。
「なんだ、誰かと思ったらお父さんじゃない。なんでそんなに若いの ? 」って妹は心の中で話しかけたんだって。
その話、ちょっと泣けました。