森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

東京大空襲から75年の今日は。

2020-03-10 22:52:24 | 梢は歌う(日記)

マンションのサークルに二つ参加しています。

ひとつはマンションの花壇にお花を咲かせるグループ。ずっとやっていた園芸のグループが止めてしまうと言うので、マンションの敷地が草ボーボーになるのを懸念して、私ともう一人の人とで引継ぐと言う形を取りながら、実質新しく立ち上げました。

立ち上げたので、なんとなく事務的な事をメインで遣ると言う、一応の代表でした。一応と言うのは、私が実質の花咲かせ部門のリーダーだったら、マンションレベルで花たちが枯れる~(ノД`)・゜・。

花咲かせ部門では、ちゃんとコツコツやって頂ける花咲か爺さんたちがいるので、綺麗な花を育てながら楽しく2年間やって来ました。だからもういいかなと思って、この一応の代表と言うのを退く事にしました。

「やって~。」と代表と会計をそれぞれ名指しでお願いしたら、二つ返事。

正直ホッとしました。小さな組織で、逆にあれやこれやと細かいことから全部抱え込む感じでいましたので、これで心置きなく広報活動と勧誘を頑張ろうと思いました。お仕事がなくなるわけではないのですが、人には得手不得手と言うものがあると思うので、比較的得意な部分をもっと頑張ろうと思ったと言うのが、今の状況。

 

ところが今日もう一つのサークルに参加したのですが・・・・。

もう一つのサークルは、入ったこと自体が「もの好き」と言われています。

なぜかと言えば、それは所謂「老人会」なのです。だけどこの組織は年齢制限がないのです。もちろん私が一番年下です。二年前に自治会の役員をやった時に、書記もやって福祉もうっかりやってしまったわけですが、その時ちょっと思う事があってその翌年に入会したのです。この思った部分は、正解かどうかは分からない事ですしけっこうマジメな部分で、ここを語り始めると、いつタイトルの話に行きつくのかと言う事になると思うので、「老人会」なるものに入っていることをカミングアウトしましたので、また書くこともあるかと思います。だけどあまり話したくはなかったかも。なぜなら、私のイメージが変わっちゃうかもって、見栄っ張りの余計な心配をしてみたりして。

だから少々の言い訳をしてしまうと、今日の会合に行って席に着いたら、

「そこに霧島さんが座っていると違和感しか感じない。」と言われたので、

「若作りしています。」と言っておきました。ホホホ。

だけどきっとあと数年で、この会にぴったりな年齢になってしまうのだなあと、ちょっと複雑な気持ちにもなるのですが、

私、まだこの会では片隅の人で居たいのですよ。ねぇ、違和感感じるって言ったじゃないの・・・・・ !?

それなのに、順番で、今年、私、代表なんだって~~~ !!!

タメ息、タメ息、タメ息

 

と言うわけで、75年前の3月10日は東京大空襲のあった日でした。

なんお話でそうなったのかは早くも忘れてしまいましたが、87歳の方が強制収容所に居たと言う話をしました。

その人の口からそんな話など聞いたことが無かったので驚きました。平壌から38度線を超えて・・・・・と彼女は言いました。

強制収容所では腸チフスが流行り餓死の人もいて、死体がゴロゴロとしてたと言いました。その時12歳だった彼女。

「今日は『東京大空襲』の日なので、このような話を話したり聞いたりすることに意味があったと思います。」と言ったら、彼女は彼女の旦那さんを指して

「東京大空襲の話はこっちよ。」と言いました。

なんと彼は日本橋で被災したのでした。

「その昔は、小学校の卒業式が3月10日で、9日の日に疎開から帰って来ちゃったんだよね。それで日付が変わった10日にあの空襲で・・・・・・・。

だから私はいまだに小学校を卒業していません。」

私は奥さんの話も凄く興味深かったのですが、そのお話の10分の1しか語られなかった旦那さんのお話ももっと聞きたかったような気がしました。

 

そして、この先はいかにも私だからという部分だと思うのですが、

「あの、先ほど死体がゴロゴロとおっしゃいましたでしょ。そんな死体がゴロゴロなんて言うのは、私なんかだと映画の世界でしか分からない事で、それを目の当たりに見たら、その時どのように感じられたんですか。」と言う質問をしました。

すると彼女は少し考えるような顔をしてから言いました。

「私、少し変わっていたのかな。確かに収容所で自分たちの近くに住んでいた人が死んだら、その日は怖かったけれど、そうじゃない時は何も感じなかったの。」そして彼女の夫に

「あなたなんか同じように死体がゴロゴロでも、その死体はもっと凄まじかったんじゃないの。」と話を振りました。

「それが、まっ黒焦げに焼けた柱と人がまるで同じようになっていて、やはり何も感じなかったのだ。」と言いました。

 

きっと死体ゴロゴロと言うのは、過去の出来事にばかりではなく、震災の時にも、また地球の場所を変えた所では、今もそうなのかも知れません。

だけど何も感じなくなってしまったその時、本当の恐怖がそこには存在しているのではないでしょうか。

 

やっぱり私は、いろいろな方のお話を聞くのが好きです。そしてこのような話は、彼らだからこそ出来るのですよね。またの機会を設けて、またお話を聞きたいと思いました。

「もの好き」と言われていても、今年度のお仕事が増えてしまっても、やっぱりこの会に入っていて良かったと思いました。

 

75年前の3月10日、東京大空襲がありました。

明日の卒業式のために疎開先から帰って来た少年。きっと同級生の多くもそうしたのではないかと思います。

「みんなやられた・・・・。」と呟くように、かつての少年は小さな声で言いました。

行われなかった卒業式。

そして会えなくなってしまった同級生・・・・・・・・。

 

トップ画像はベランダにあるミニ薔薇です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする