3月は別れの季節なのです。
さらばさらばとまた繰り返し、
さらばさらばと去っていく。
分かっているのに、やっぱり寂しくて別れの後はぼんやりしてしまう私です。
9年前の3月初め、このお仕事を始めました。途中で形を変えましたが、諸事情があり完全には止めるわけには行かず新規募集もせずにひっそりと続けてまいりました。3月の時に幼稚園の年長さんで4月から一年生だったT少年も受験も終わり去っていきました。
彼はさながら私のお仕事の歴史でもあったのですね。
毎年遣ってくる別れと区切りの月ですが、そういった意味でもいつも以上に感慨深いものがありました。
ある時、私はちょっとした区切り時間に、ふと呟くように言いました。
「君が最初に来た時の事を覚えている。君は幼稚園で私がお母さんとお話している間にソファの背を滑って遊び、ふと気が付いたらリビングのテーブルの上にあったチョコレートを食べちゃったのよね。私もまだそう言うことに慣れていなくて、うっかりしちゃったなぁ。」
「それ、なんか覚えていますよ~。」
「食べても全くかまわなかったんだけど、でもあのチョコレートは外国のお土産で、あまり美味しくなくて可愛そうな事をしたなって思ったのよねぇ。」
「そんな事ありません。美味しかったですよ。」と少年は言いました。
「君が最初に来た日の事も覚えているよ。君は4年生の夏、お父さんと一緒に来たのよね。」
少年はちょっとはにかむように笑いました。
彼は彼の父親と共に同じ席に座っていましたが、いきなり立ち上がり我が家の冒険を始めたのです。トイレぐらいなら良いけれど、他の部屋を空けられてはたまりません。私は父親の前でもはっきりと、「ここは君の家ではないのだから、うろうろしてはいけません。」と注意しました。甘やかされて育った彼は、単にそう言うルールを知らなかったのです。注意されて二度とうろうろする事はありませんでした。知らない事がちょっと多くて誤解を受けやすいような少年でしたが、それからもずっと素直でした。
「僕は?」と、ある少年が聞きました。
「君は5年生の時に一度止めちゃったけれど、初めて来た日の事は覚えているよ。」
「そうです。僕は何で途中で止めてしまったんだろうと後悔しているんです。」
「ううん、私もあのままずっと引き受けられたかは分からないよ。お互いに時間が必要だったと思うよ。」
そんな事を言ってもこの子には意味など分からないと思います。
この子が一度止めてからの三年間で、私の考えもいろいろ変わったのです。考えだけじゃなくて、対応する力もアップしたかもしれません。それゆえに自信が付いたのだと思います。だから戻ってきたこの子を拒まなかったのです。そう書いても、この子ばかりではなく読んでくださっている皆様にも分からないと思います。彼との物語はまた別にお話しする機会があったら良いかなと思います。
また別の少年。
「君が初めて来た日の事は、申し訳ないけれど全く記憶にないわ。6年の夏にお母さんと普通に来たと思うな。でもね、それはその後が印象深かったからなんだよね。君は本当に暗くて口も利かなくて、いつも私は緊張していたわ。それがそれがよ、こんなひょうきん太郎丸になるなんてね。」
「えへへのへ」と少年は笑いました。
彼はまるで冬のような少年でした。彼がやって来る頃は日が沈みかけた頃が多かったからかもしれませんが、冬の寒さと闇のイメージ。家庭に問題を抱えていました。だけどその問題が解決した途端、彼は豹変していきました。まるで陽気な春のパレードで踊る少年ピエロのように。
いろいろな子がいて、でもみんな大好き!
最後の日、ケーキなんでかミニお別れ会もどきをしました。ささやかなプレゼントを渡し、写真を撮りました。
「あっ、そうだ。二年前に(彼等が中学一年の時の)みんなで撮った写真を渡し忘れていたわ。コピーしたらあげるけれど、見る?」
でもそれを覗き込んだ一人の少年が、悲鳴をあげて言いました。
「そんな写真破り捨ててください!」
「なんでよ、いいじゃな・・」と言いかけて、そうかもなぁと私も思ってしまいました。
だって、彼はみんなの真ん中で、体も顔も愛らしく幼いけれど、さながらミニマシュマロマンみたいだったのです。そんな彼も今ではすっかり背が伸びて、体も締まり、それに伴ってか顔もちょっと素敵に変わってきました。
「黒歴史じゃー」と嘆く少年。
クスクスと笑いながら、子供の写真は何年も前の写真を渡しても喜ばれそうなのに、中学生のこの頃はちょっと微妙だなと思いました。
この三年でこんなに変わる子供たち。時は緩やかに流れているようで、実は私の方にも同じように変化があるのかもしれません。
別れの時はいつも思います。出来る範囲の努力をして、出来る範囲で同じ雰囲気の自分で居ようと。私は彼らをすぐに分からなくなってしまうかもしれません。でも彼らには私がわかるように。声など掛けてくれなくて良いのです。だけど通り過ぎたときに、「ああ、あの人だな。」と分かれば、時にはここでの思い出が煌いて思い出されるかもしれませんから。
彼等が去って、今、ちょっとだけ私は空っぽの寂しさを楽しんでいます。