《少々長いです。コーヒーブレイクの時などにお読みくだされば幸いです。》
カッパドキアはトルコ旅行の中で、本当に思い出深い場所になりました。
それと言うのも、訪れた場所の素晴らしさはもちろんでしたが、忘れたくない出会いがあったからなんです。
ところで日本の青ヶ島と言う所は、独特の方言を持っていて、「さようなら」を「おもうわよ」と言うのですって。以前、朝の番組でそれを知って、素敵な言葉だと思っていました。別れて行く人を別れた後でも想う。それがその言葉の語源だと思います。
トルコでは、たくさんの猫と出会いました。猫はどの街にも当たり前のようにいましたから。
6月10日、カッパドキアの宿泊先のケープリゾートに着いた私たちは、ホテルの人に案内されて坂を下って行きました。その時1匹の猫とすれ違ったのです。
「まあ、なんて薄汚れた不細工な猫なんでしょう。」と私は思いました。今まで見た猫たちの中で、その猫は一番可愛らしくなかったのです。
そして部屋に入り荷物などを受け取ると、その日は夕日鑑賞のために早く夕食を食べる事になっていたので、また坂を上ってレストランに私たちは向かったのでした。
坂と狭い階段を上って行くと、ちょっとした休憩スポットみたいな屋根付きの空間がありました。だけどそこは誰も使わないのか、まったく掃除などがされておらず、その空間に降りる為の短い階段のすぐ下には水が溜まっているし、床などは汚れていました。だけどそこには悠然と1匹の猫が休んでいたのです。そしてその猫に向かって威嚇して短い階段の上から鳴き続けるまた別の猫がいました。その威嚇して鳴いていた猫が、さっきの薄汚れた猫だったのです。
悠然と微動だにもしない休憩猫。
諦めたのかパッと走り去っていく薄汚れた猫。
そして思わず我が家のももとあんずの事を思い出す私。
「だいたいギャーギャー言ってる方が弱い事になっている。」と思わず呟くと、星子さんが
「あの猫の方が弱いのね。あの猫、顔に傷があったものね。」と言いました。
顔の傷に私は気が付いていませんでした。
「だからなのかな。不細工な猫に見えたよね。」と私は言いました。
喧嘩に負けたのかと思うと、ちょっと胸がキリリと痛みました。
夕日鑑賞の「ローズバレー」から戻ってきた私たちは、「洞窟ホテルの夜と朝 その1」で書きましたが、坂の上にあるバーで夜景を見ながらビールなどを頂いたのでした。夜風も気持ちが良くて、外のテラスに居たのですが、その時あの不細工猫が人懐こくやってきました。
「不細工猫」だなんてずいぶんなネーミングですが、私にはこの名前はちょっと思い入れのある名前なんですよ。
2007年の10月にイギリスに行った時にブログをやはりたくさん休みました。その時の留守番記事の為に小説を書きました。
「ハロウィーンモンスターの独り言」「ハロウィーンモンスターの独り言(続き)」なのですが、その物語はその後も書き続け、完結しています。そしてその中に出てくる雌猫が「不細工ブチ猫」。
ハロウィーンモンスターが思わず「不細工猫よ。」と言うと
『「アリガトウ。みんな、そう言うのよ。何てまあ、不細工で、なんとまあ愛おしい猫だって。」
ヒェー、おいらは驚いたね。不細工だから愛されているのか。』
すると毛並みも艶々のハンサム黒猫が
『「そう言うことを、別の言葉で『個性』と言うのさ。」』と言うのです。
モンスターとその猫はその後の物語では、お互いに想い合い、「不細工ブチ猫」は「本当は可愛い不細工ブチ猫」という長い名前になって行くのですよ。
なんだか昔に書いたそれらを読み返していたら、こんなことをしてちゃいけないような気持ちになってきましたが、とりあえず今はその洞窟ホテル近くのバーの所に話を戻します。
その猫はとっても人懐こくて星子さんの椅子に上り真横をすり抜けようとしました。
星子さんがその頭を撫ぜても逃げようとはしませんでした。
すり寄って来たのは何か欲しかったからなのかと思っても、私たちはビールを飲んでいるだけで、つまみに付いてきたのはタコスチップスで、この猫にあげるものなどなかったのでした。
そうこうしているうちに、お店のイケメン店員が棒か箒か何かを持ってきて、猫を追い出そうとしました。
「にゃーん」と言いながら追い出された猫さん。だけどまた諦めずに戻ってくるのです。
追い出さなくても良いのになと思っても、お店の方針と言うものがあることなので、そこは口出しなど出来ないところですね。
その時、写真を撮ろうとしたけれど失敗した画像です。
結局追い出されてしまった猫なのですが、私たちがお店から出ると、外の坂道で待っていたのです。そしてずっとずっとついて来たのです。付いて来られても、部屋にも何もないのです。困ったなと思っていたら、部屋の前の低い塀の上で寛ぐ猫。なんだ、ねぐらの方向が同じだったのねと安心して部屋に入ると、そうではなかったのです。その猫は私たちの前を歩き、そして塀の上で待機して、私たちがどの部屋に入って行くのかを見ていたのですね。
頭が良いのですね。そして私たちが部屋の中に入ってしまうとやって来て、ドアの外で開けて開けてとガリガリと爪を立て鳴いていたのでした。
もちろん開けてあげるわけにはいかず、切ないなあと私たちは耳を塞ぎました。
その猫は、何か食べるものを欲しがっていたわけではなくて、寄り添う温もりが欲しかったのかも知れません。
ところで私たちの泊まった部屋を側面から見ると、こんな感じです。11日の夕方のお散歩の帰りに撮ったものです(「洞窟ホテルの夜と朝 その2」)
この写真を今しみじみと見てみると、本当に洞窟だったのは1階の部屋だけだったんじゃないかしら。そう思うと、なんてラッキーだったのかしらと思えてきました。ただ、その部屋は本当に窓の一個もないのですよ。前日の夜に洗って部屋干ししておいたものが、丸一日たった夜に触ってみると、干した時と同じくらい濡れていたのには驚いて、風とお天道様は本当にありがたい事だなと思ったのでした。
それで朝には珈琲などを、猫が寛いでいた(そぶり)を見せた塀の上に腰かけて飲んだりもしたのです。
塀の下にはこんな風景が広がっていました。
11日の夜、夕食から戻ってくる途中ではあの猫には出会わなかったのですが、二人とも気になってはいたのです。星子さんが朝食の時のパンを持っていることが分かって、それをあげようと言う話になりました。猫の中にはパンを食べたり好きな者もいるのです。きっとあの猫は好き嫌いなんか言わずに食べるよと、私は思い込む事にしました。
それで上の画像の所から猫を呼びました。
星子さんは星子さんの呼び方で、私は私の呼び方でその猫を呼びました。
久しぶりに猫語発動です。何を言っているのかと言う為にその記事を探さなくてはと思ったら、何でか昨日、その記事を読んで下さった方がいらしてアクセス解析で見つける事が出来ました。お読み下さった方、ありがとうございます。「「僕のお母さんは猫語が分かる。」」
だけど私はあれからかなり歳を取り、だんだんと分別くさくもなって、昔はほぼ99%に理解できた猫語も、今ではさっぱり分からなくなってきています。たぶん無意識で拒否しているのです。2匹も居て、彼らの言っていることが分かったら、相当面倒くさい事になりそうなので・・・。
我が家のももとあんずには「お母さんは猫語が分からないので、何かして欲しかったら一つ二つと日本語を覚えてそれを言いなさい。」と・・・・・それをまじめに猫相手に言っている私のどこが分別くさいのか ?
と言う、私のタワケ話は置いておいて、お話を元に戻すと、それでも我が家の猫たちから学んだ鳴き方でその猫を呼びました。
ちょっと高い声で「ニャーーーーン !!!」と。
それを繰り返しても、猫は姿を見せません。
「ダメか。」と言って、狭い道を渡り自分たちの部屋に戻ろうとした時、いきなりその猫が塀の上に現れたのです。
私たちの部屋の前は狭いのに、けっこう車が通る道で、折しもその時車が上ってきたところだったのです。
「キャー、ダメよ、止まって止まって。」
「ストップ、ストップ」
と、私たちは悲鳴をあげて猫がこちらに渡って来るのを止めました。
車も驚いて止まってくれましたが、猫もこっちに来る勢いがあったのに、止まってくれたのです。
「そっちに行くから、そこに居てね。」と言いましたが、このトルコ猫に日本語や英語が通じたわけではないと思います。
だけど手首をしっかり曲げて手のひらを見せて、「ダメ」のポーズは世界各国共通のポーズだったのかも知れません。
またはちゃんと心が通じたと言うのでしょうか。
車もソロソロ走ってくれたけれど、この頭の良い猫はちゃんと塀の上で待っていたのです。
呼んでから現れた時間までの事を考えると、この猫は上の画像の坂の下の方のどこかに居たのではないかと思います。呼ばれたと分かって、きっとその草地の坂を駆け上って来たに違いありません。
そしてパンをあげたら、この猫さんは喜んで食べてくれました。
その時、ふと私はこの猫の写真を撮ってない事を思い出したのです。
恐る恐る近くからカメラを向けました。
するとカメラを通して見ると、野芥子が猫のおやつを食べるのをかなり邪魔してることが分かりました。
私はそっとそっと手を伸ばしました。人懐こい猫であっても、人の予測不能の行動にはかなりの用心深い行動をするのが猫と言うものです。だけどその草を抜いて脇に捨てる事に成功しました。
「ねっ、これでok.」と言うと、猫はクイッと顔をあげて私をじっと見たのです。そこで私は我が家のももに教えてもらった、親愛の気持ちを込めて挨拶をすると言う意味の、「ゆっくりと瞬きをする」をしました。
猫はホッとした顔をして、ゆっくりとパンを食べ始めました。
その時ふと私は、まるで自分がハロウィーンモンスターのような気持ちになって、
「本当は可愛い不細工ブチ猫、君はこんな所に居たのだね。」と心の中で言っていたのでした。
その翌日は、朝食の為に坂を上ってレストランに行くために出発したら、もう部屋には戻らない事にしました。
部屋を出て少し歩いて、
さよなら、カッパドキア―
そう思って振り向くと、
「えっ !?」
私は自分の気持ちに戸惑いました。
胸がキューンとなって、思わず涙がこぼれそうになったからです。
「うっそー。」と独り言を言いながら、自分の泣き虫っぷりに呆れてしまいました。
でもその時、私はあの青ヶ島の「おもうわよ」と言う、さようならの言葉を思い出していたのです。
※ ※
その時、まだ旅は半分も終わってなかったのでした。だから私は涙を押しとどめ、その後も楽しく旅を続けました。
家に帰って来てから、ふと私はあの「本当は可愛い不細工ブチ猫」の事を思い出しました。
ちょっと薄汚れていて、喧嘩にも弱いらしくて、朝のレストラン裏の厨房で何か貰おうと集まっている猫たちの群れの中にも入っていなくて、あの猫は大丈夫だろうかと思ってしまいました。
だけどどんなに心配になっても、自転車を飛ばして見に行く事も、電車に乗って会いに行く事も叶わない、トルコのカッパドキアは遠い遠い遥か彼方にあるのです。
私は写真を大きくして、この猫をじっと見つめました。
ー 大丈夫だ。この猫は決して痩せこけていたわけではないんだな。―
と、私は思いました。
― この猫は賢い。
この猫は人懐こい。―
そんなものを武器にして、きっと力強く生きていくのでしょう。
いいえ、きっと、すでにこの猫は誰かに可愛らしい名前で呼ばれていて、その頭を毎日撫でてもらっているに違いありません。
そんな事を私は信じ思いながら、それでもこの猫に会いたくて、誰の遠慮もいらない深夜の一人の部屋で、なぜかポロポロと泣いてしまうのでした。
旅の出会いは一期一会。
「くさい」などと文句を言っていたけれど、あの部屋だったから可能だった素敵な出会いだったと思います。