台風19号の爪痕は深く、今もなおその苦しみと向き合っている方も多いと思います。
起きてしまった多くの悲劇の心の傷跡は、そうそうは癒える事はないと思います。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、残された方々の心の平安、また一刻も早くの街の復旧をお祈り申し上げます。
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昨日の朝、私は異常に早く起きてしまいました。それと言うのもその前日は深夜族である私が23時半には就寝してしまったからなのです。
目が覚めて、「痛くない !!」と感じた私は気分も爽やかに起き上がりました。
この十日ほど、毎日毎日歯の痛みと闘っていました。
その前日に早く寝てしまったのは、その戦いに心身共に疲れてしまったからに他なりません。
この歯の治療は継続中でもあり、この体験談を語ると攻撃文章になることは予想できる事なので、今の段階では書かない予定です。
ただ私は思いました。
「痛みのない世界、バンザーイ。」と。
そして放置してあった、台風のせいでザラザラになってしまっていた玄関とポーチのお掃除、洗面所の片づけと掃除にと勤しみました。
痛みに耐える事だけで疲れ果てていた私は、この数日、何かをやる気力も失せていたのです。
たった1本の歯の痛みにも、日常は奪われてしまいます。
これが死に至る病の痛みなら、もう何が出来るのか分かりません。ただひたすらに痛みに耐えるか、もしくは意識を失っても強い痛み止めを処方してもらうか、その選択を迫られる日は、約束のようにいつか来てしまうのでしょう。
死ぬまで生きていたいと願っている私ですが、それはそんなに簡単な事ではないのかも知れません。
動けるうちになんでもやろう。欲を出して生きよう。
そんな事を思いながら、あれやこれやと家事に精を出しました。
遡って9日水曜日。
歯が痛くて、決められた予約日以外に、また予約を取り歯医者に行きました。そこに行くまでは帰りにパン屋に寄ると言うのも嫌だと思いました。ところが治療が終わって、一時的に痛みの引いた私は、急にやる気が出て来て自転車で近くの公園に行ってみようと思いました。
公園に着くと、ふと薔薇園はどうなっているのだろうかと思い立ちました。
昨年以前のブログ記事を見てみると、いつもは11月過ぎにここに訪れているみたいなので、
いつもよりも早い薔薇園訪問でした。
秋薔薇はなんだか美しくて気高くて、そしてなぜか寂しい・・・・。
9日のこの日は、まだ私は友人の死を知りませんでした。
それでも私は、その人の事をぼんやり考えていました。私は、まだ彼女が頑張って闘病している最中なのだと信じていたのです。
その前の週に会った別の友人が、彼女の近況を伝えてくれました。
「旦那さんが病室に行くと、彼女が『痛い、痛い』と苦しんでいたので、いたたまれずに早々に帰ってきたって言ってたよ。」
私はその話に胸が苦しくなるような感覚を覚えました。
居たたまれずに帰れる人は良いけれど、残された人はその痛みから逃れられるわけでもないんだよなー。
痛みはその人だけの苦しみ。近くで「分かるよ。」「苦しいよね。」「辛いよね。」と言っても、それ、どうなのだろうか。やはりむしろひとりで闘っていた方が楽なのだろうか。それとも少しは気が晴れるのだろうか。
歯痛程度の痛みだと、夫に「分かるよ。」「酷いね。」と言われると、ほんの微かに気持ちが救われたような気がしました。それは痛みの度合いによるものなのかしら・・・・・?
12日の嵐の夜は、私は既に友達の死を知っていました。
外で吹き荒れる風の音を聞きながら、たった一人で家に居るだろう、彼女のお連れ合いの事をふと思ってしまいました。
我が家ではその日の朝、夜に備えてベランダにあるもののほとんどを家の中に入れていました。
たった一人でやったわけではありません。
夫と私の二人三脚で、嵐を迎い入れる準備に間に合いました。
そして深夜のうなる風の音を聞きながら、仲が良くてどこに行くのにも二人だったあの片割れの人は、ひとり何をしているのだろうかと、親しい人でもないのに思ってしまったのでした。
薔薇園を見て、さあ帰ろうと思った時、今度はふと
「そう言えば、十月桜はどうなのかしら。」と急に思いだし、ぐるりと回って行ってみる事にしました。
十月桜は毎年みる事になっているのに、なんだかすっかり忘れていました。
15日。友達4人で集まってお食事をしました。
その時、彼女のお連れ合いから連絡を貰った友達が語りました。
「旦那さんが言ったの。『私はこれからどうやって生きて行けば良いのでしょう。』って。」
私はちょっと驚いて耳を澄ませました。
誰かに言いたかったんだわ、そんな言葉をと、私は思いました。残された人の寂しさを深く感じました。
「それであなたは何て言ったの ?」
「私、泣いちゃって・・・・・。『きっとそばで見守り続けてくれますよ。』って言うのが精いっぱいだったの。」
それを聞いて
「そのお役目、本当にあなたで良かったわ。」と、私は頷きながら心を込めて言いました。
もしも私だったら、泣き虫の癖にこういう場面ではまったく泣けない私だし、いつでも正直すぎるので、きっと言ってしまったでしょう。
「私には分かりません。」って。
「だけどそれでも生きて行かなくちゃいけないんですよ。」って。
自分の痛みには耐えるのみ。
だけど人の痛みに寄り添う事は、本当に難しい事だなとしみじみと思ったのでした。
子福桜