秋になると気になるのが十月桜。そしてそれとセットで見に行かなくてはと言う気持ちになってしまうのは、同じ公園内にある小さなバラ園の薔薇たちです。
行くタイミングで見事な時もあり、早すぎる時もあり、そして今回のようにギリギリ間に合った感じと言う時もあります。
それでも、今年も見たなと言う満足感があるのです。
下の囲みは昨年の10月28日に投稿したもので、10月22日に見に行ったのでした。
今年は11月12日。こんな日付に意味があるのかと言うところですが、何かを想えば意味はあるし、何も考えなければ単なる数字です。
「名前に圧がある花がいる。」「名前に圧がある花がいる。」と、ルート君が言いました。 22日、一日の何かしらの満足を求めて、ルート君に近所の公園の薔薇園に連れてきてもらったのです。すると彼がそ......
また昨年はルート君と見に行って、今年は数年ぶりに会ったFさんと、いつもお電話でお茶に誘ってくださるSさんと見に行ったのです。
この誰と行ったかと言うのは、いつ行ったかよりも、本当は意味のないことのような気がします。なぜなら毎年同じように花を見ているので、誰と行ったかと言うのは曖昧になり、すぐに忘れてしまうからです。
昨年はルート君の会話から生まれた記事だったので、忘れなかったようなものです。
毎年同じような行動をすると言うのは、そう言うことなのだと思います。
だけどこんなことを書くと、逆にあの人と行ったなこの人とも行ったな、時には一人でも行ったしなどと思い出してしまうから不思議なものですね。
この公園の紅葉を見ると、別にどっかに行かなくても良いじゃんと言う気持ちになります。
なんだって忘れずに冬ってやって来るから不思議よね。
ああ、寒いなどと言っている真夜中です。