・「9月の4枚」の記事の中に
>『9月29日、ずっと台風の影響による長雨だったのが、先週はずっと晴天続きで、しかも29日は夕方からの予定もなく、なんだかお出掛けの気持ちがうずうずして、ふと思い立って、行った事のない「幸手」に行って見る事にしたのです。』
駅からは1時間に1本ですがバスも出ています。桜の頃には臨時バスも走るようです。
電車のつくタイミングで、ちょっと待つことになりそうだなと思った私は、調べたもののアクセスに「約2キロ徒歩30分」と書いてあったので、権現堂堤まで歩いていく事にしたのです。
もちろん私の足では、倍くらいはかかると思っていました。
なんたって、膝故障中で、以前ならタッタッタッタッタと歩けるところが、トボットボットボッと歩いているわけですから。
「徒歩30分」と書いてあっても、たいがいはプラス10分はみておくと思います。それの2倍と思っていましたが、それでもこんな私の足でも1時間で着きました。
お散歩に来たのですから、ちょうど良かったような気がしましたが、だからと言って往復徒歩は絶対にやめておこうと思いました。 (笑)
道は覚えたけれど、次に来て、時間が中途半端になってしまったら、駅前で珈琲を飲んで待つか駅のベンチで時間を潰そうと思いました。暑かったし、やはり遠く感じたからです。
だけど1度は歩いてみたかったのです。
なぜなら
ここは日光街道幸手宿だからです。
と言いましても、あちらこちらによって観光をしてきたわけではありません。
目的地は、あくまでも権現堂堤の曼珠沙華ですから。
とぼとぼと歩いていると、昔を想わせる雰囲気の建物がちらりほらりと残っていました。
途中の小さな公園には、こんな地図が設置されていました。
この方、駅にもいたような。可愛らしいですね。
だけど隣にあるのは、ゴミ箱ではありません。ごめんなさ~い。私、最初そうなのかとちょっと思ってしまいました。目が慣れて住んでいる人には分からないってやつですよね、これ。m(__)m
私、何しろゆっくり歩いているものだから、ちょっと考える時間があったんですよね。
この町は、桜の季節に賭けているのかなって感じました。桜の季節に来てみないと分からない事ですが、たぶん多くの人は車かバスで、この町を素通りしていくと思うんです。そして車の人たちが、何処かのお店に入るとか・・・・。
でもね、市はお店マップ、グルメマップとか作って、ネットで検索してみた時にはヤル気を感じていたのですが、そのマップの駅とかでの配布もないし、駅から権現堂堤までの途中の道しるべもないんですよ。
もしかしたら駅にマップはあったかも知れませんが、分かりやすい所にはなかったです。「無い」と判断しました。
一番はあと何キロとか、あと何分とか書いてある矢印ぐらい欲しいなと思いました。それが権現堂堤まで遠く感じさせた一番の理由だったと思いますから。
何となく、街中に微妙な温度差が漂っているような気がしたのです。
但しこれは、あくまでも歩いていた時に、ザワザワと私が感じた個人的感覚です。
駅にネットで調べた地図がなかったので、ずっとスマホを開きっぱなしでした。それもこの後のスマホ死亡に繋がってしまったかと思うと・・・・(/_;)
だけどこんな事を書いていますが、私はそれなりに楽しく歩いていました。
ちょっとここにも来てみたかったものですから・・・・。
芭蕉さんの句の碑です。
『「幸手を行ば 栗橋の関」
この句は、松尾芭蕉(まつおばしょう)が、奥の細道の旅から4年後にあたる、元禄(げんろく)6年(1693)の句会(くかい)で詠んだものです。
旅に同行した弟子の河合曾良(かわいそら)が残した「曾良旅日記」の元禄2年(1689)3月28日の記事では、「この日栗橋の関所通る。手形も断りも入らず」と、関所を普通に通れてしまったことに対して、少し驚きをもって記録しています。』(久喜市のHPより)
これを読んで、私は「???」となりました。「七七」だし、これの何がイイのかなってなるでしょう。
でも見つけました。
『1693(元禄6)年、深川芭蕉庵での十三夜連句会で、松尾芭蕉は奥州への旅路を思い起こし「幸手を行けば栗橋の関」(上の句は「きり麦をはや朝かげにうち立てて」)と詠んだ。なおその時に弟子の曽良が詠んだ句は「松杉をはさみ揃ゆる寺の門」で、聖福寺の勅使門を詠んだとされる。』
なるほど~。
これをちょっと調べていて、良い所を見つけました。→こちら
リンクした「こちら」は幸手宿の地図なのですが、やっぱりこういう地図って面白いですよね。あの公園の地図ももっとしみじみと読めばよかったです。
この句碑は、聖福寺の参道の入口にあります。
そこにはこんな地図も掲示してあります。
このお寺は、将軍が日光社参の折に休憩所に立ち寄られたところだそうです。
なんでこの勅使門を間近で撮らなかったかと言うと、あとどのくらい目的地までかかるか分からなかったからです。いろいろやり残したように感じました。
とぼとぼと歩いて、ようやく権現堂堤に辿り着きました。
既に1時になっていたので、茶屋で
こんなお団子を頬張っていたら、三人組の楽しいおばさまたちとお話するチャンスも生まれ、ひとりでいてもなかなか楽しい休憩時間でした。
だけどお団子なんか撮ってないでさ~~・・・・ああ・・・・・
さぁ、お花をと思ったら、スマホがバイバイと言ったのですものね。
でも楽しかったです。
やっぱりまた行こうかな~。
そして行きか帰りかは、やはりちょっと歩いて幸手宿をもっと掘り下げたいように思いました。
この町、実は将門の首塚もあるんですよ。愛馬が運んだ将門の首。
「これって、あのお芝居みたいじゃない。」→「蒼の乱」をwowowで
お芝居にも大事な愛馬が出てくるんですよ。作品を作る人って、本当にいろいろと勉強してるんだなって思いました。
ワクワクして行って見たいなとなったのですが、バスから降りて徒歩40分とかなったら、そりゃ、簡単には私には行けないような気がしました。
だけどこんなミニ旅であっても、いろいろと検索したりするところに楽しいの一歩があるのかも知れませんね。