ひとつ前の記事「真夜中の電話に震えました」のタイトルをじっと見ていたら、これって、そのタイトルだけでちょっとツリっぽいなと思いました。別にオチなどないわけですが、それでもオチと言うものがあったら、「間違い電話なんてもので、ごめんなさい。」ってなもんですよね。
意外と真面目に書いていたので、そのタイトルの持つイメージなんてものにまで思いがいきませんでした。
「真夜中」「震えた」、こんなキィワードがあったら、やっぱり少々怪異的なものを連想なさった方もいらっしゃったかもしれませんね。
だけど確かに電話と言うものは、時には不思議な力を発揮する時があるのではと思っています。
昔、実家でもありましたよ。
ある日かかってきた電話が、単なる混線電話で(そう言うことって昔はあったのよね。)、「もしもし」と言っても、相手の声しか聞こえてこないわけですが、その声が東京に住む父の姉と、山梨に住む父の弟との会話。
聞き覚えがある声で、なんだか不安に感じて、電話を掛け直すと父の姉の不調の訴え・・・・。
そのおばさんは結局はその後60代で食道癌で亡くなったわけですが、その混線電話がそのおばさんが亡くなっていくまでの物語の最初なんですね。
東京と山梨の会話。そしてそれが姉弟との会話。そんな電話の混線って、どういうことなのかしら。
私自身も、いまだに謎のままなのは「謎の携帯メール事件」。
これは、本当にさっぱり分からない。やっぱり2013年に亡くなった父が打ったのではないかしら。
まあ、分からなくても良いや。
あの人も言ってるじゃない。
「すべてを知ろうなんて、人間の傲慢です。」って(笑)
というわけでタイトルが誤解を生みそうだった「真夜中の電話に震えました」の続きです。
施設と言う所は、別に姥捨て山ではありません。
家で介護している人にも助かる場所かも知れませんが、一番助かるのは、当の本人だからです。
だけど初めて家族を預かってもらう時、少々複雑な気持ちになるのも分かります。
今頃何をしているのかなと気になっていたところに、真夜中の電話です。義母の場合、衰弱してからのショートステイだったので、何があるか分からないじゃないですか。ドキドキしましたが、間違い電話でホッとしたのです。
だけど朝方夢を見ました。
荷物に化粧水と乳液を入れる時に、量が少なかったのが気になっていました。それでそれを届けている夢でした。
普通のなんて事のない夢だったのに、なんだか目覚めが悪かったのです。だけどこの夢はすぐに忘れてしまって、なんで目覚めが悪かったのかも思い出せませんでした。何か夢の中でトラブったような気がしました。
その日の夕方、義母から電話がありました。
明るい感謝の電話で、楽しく語らい、私は心からホッとしたのです。
「良かったわ。たった一日で声に元気が出て来たわ。」
「ずっとここにいるわけじゃないのよね。」
「違うわよ。ちゃんと食べて気力と体力が戻ったら帰ろうね。もう気になっちゃって、今日夢まで見ちゃった。」
「ありがとうね。頑張るね、私。」という感じで、そんな電話があったことを、早く夫にも伝えてあげたいなと、彼の帰宅も楽しみに待っていました。
帰ってきた夫、靴を脱ぎながら(早く私に言いたかったのでしょう。)、開口一番、「早速来たよ、電話。」
「えっ、パパにも来たんだ♪」と明るい私。
「帰りたいってさ。」
「えっ!? えええっ!!!」とビックリな私。
「なんでこんなところに私いるのか分からないって。あなたが無理やり車に乗せて連れて来たってさ。」
その嫌な報告は、もっと長かったわけですが、私は震えてしまいました。
「なんか天国と地獄じゃん。私とあなたの電話の違いって。」
阿修羅って仏を守る鬼神だし、菩薩も悟りを求める修行する人、一般的には仏に準じるイメージがあるじゃないですか。夫と私のふたりは、ともに義母を支える人なわけですが、義母から見たら、夫は阿修羅側の人で私は菩薩側の人に感じているのでしょうか。
でも次に電話がかかってきたとき、夫にかかってきたような話だったらどうしようと、真夜中じゃなくても私は震えました。
確かにお義母さんは、少々ボケてきてしまったように思います。(少々とは言えないかも。(/_;))
だけどもうすぐ100歳なんですよ。今頃になってやっとなんですよ。
立派だと思います。あと17年生きて日本最高齢になるとは、さすがに思えないので、ちょっと頑張ろうって思っています。
そして掛かってきたのですよ・・・・・その電話。
だけどこの嫁は意外とですね・・・・・ってまた続きます。
でも次はドラマや映画や本の感想を少し続けて書く予定です。