悲しくてやりきれない 改良Ver
―胸にしみる空のかがやき
今日も遠くながめ涙をながす
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか
白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれわびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか
深い森のみどりにだかれ
今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も続くのか ―
加藤氏、残念です。
加藤氏の自殺があったから、この曲を探して持ってきたわけではないのです。夜寝る前に、この曲や「イムジン河」などを聴いています。もちろん拓郎の曲やそのたもろもろ・・・
聴きながらブログを書いていたりもします。
この歌の歌詞からは絶望的な悲しみが伝わってきますが、人は苦しみや悲しみを歌に託し封じ込め、そして復活するのです。美しく伸びる旋律からは、やがて人は窓を開け遠い空を眺め、その涙が枯れることがなくても、辛い気持ちを引きずっていても、それでも生きて行くそんな強さを感じるのです。その証拠に、この歌を聴いて本当に絶望にかられる人っていないんじゃないかなと思います。
ふと気が付けば、結構生きてきてしまいました。夜になるとわずか一日の中で生まれた後悔の重さで押しつぶされそうになります。
でもそんな時、この歌を聴いていたいのです。
「音楽でやることがなくなった。」
空の下にはそれだけの世界が広がっていたのに。
心の中の窓は閉ざされて、カーテンも閉められたまま。ほんの少しだけ開けて、その隙間から広がる空を見ることが出来たなら・・・
でも出来なかった。病気だったから。
そう思うと悲しくてなりません。
遣りたい事リストにも書きましたが、8月は「イムジン河コンサート」に行きたいと思っていました。でもそのコンサートの事を知ったのが、あまりにも遅く一般発売日に頑張ってみたものの、撃沈しました。当日発売券にかけても良かったのですが、普通の生活、つまり仕事を休まないと言う選択をしました。
今思うと、ちょっと気持ちは複雑です。
行きたかったという思いと、さらに悲しみが増すので、行けなくて良かったと言う思いが交錯します。
そしてそれは様々な思いも・・・
だけど今は何も語りたくない気持ちです。いつものようにあなたの音楽を聴いて眠りましょう。
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加藤和彦さんは、自分はフォークも歌謡曲に含めて、日本の歌謡曲の世界を文化の世界に導いてくれた方だったと思っています。あれだけの才能に恵まれていた方が音楽の上での悩みで鬱になられたとしたらあまりに皮肉なことで言葉もありません。
北山修さんもお辛いでしょうね。友人として、優秀な精神科医として。
才能あるがゆえに妥協する事は自分では出来なかったのかも知れませんね。
やることがなくなっても、人は野に咲く花のように風に揺れているだけでも、生きていて良いのだと思って欲しかったです。でもそれだってご自信の錯覚で、また遣りたい事がいっぱいの違う日もやってきたと思うのです。そう思うことが出来ないのが、その病気なようで、側で支えてくれる人が居なかったのが、致命的でしたね。
実は私は北山修さんのファンでした。「サム」と久し振りに打って、照れくさくなって打ち直しました。今回の事で、北山修さんのコメントが少ない事も気になりました。
>北山修さんもお辛いでしょうね。友人として、優秀な精神科医として。
坂崎さんが「気がついてあげることが出来なかった。」と言っていましたが、もっと違う次元で同じことを思い、辛い気持ちで居るんじゃないかと、私も思ってしまいました。
聞き逃してしまったのですが、吉田拓郎さんもラジオで気持ちを述べていたそうです。影響を受けていた人も多くて、彼の人生の終わらせ方に疲労にも似た悲しみを感じます。
ご返事を読まさせていただいて「凛と生きる」というエントリーを再読させていただきました。自然はたくましく、強く、美しいですね。
彼らは何も言葉を持たず、黙しているけれど、それでも時には彼らと語り合いたくなります。
再読、ありがとうございます。
今は真夜中ですが、日付が変わって「今日」です。朝日が昇ったら、また素敵なお互いの一日でありますように・・・