森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

オーシャンズ13

2007-08-15 00:26:00 | 映画
オーシャンズ13 - goo 映画


8月13日家族で観に行きました。

―オーシャンズメンバーのルーベンが心筋梗塞で倒れた。原因は世界的ホテル王ウィリー・バンクの裏切り。

オーシャンズ一人が遣られたら、全員でやっつけに来る。―

おしゃれ、軽妙、痛快。期待を裏切らない展開で、面白かったと思います。



ただ、私はメンバー把握で結構忙しい。テスもイザベラも出てこないで「13」とは、誰のことだ・・・まあ、あの人が一人でしょ。もう一人はあの人・・・?あの人味方じゃなかったよね。

最初に仕事依頼していた人が、一人?  彼は誰だっけ・?
なるほど、最後のあの人が一人?
一体13人目は誰のことを言っているんでしょう?

分かっている人にはイライラしてしまう内容を書き連ねている私ですが、内容は明快、しかも単純です。唸る所はありません。仕掛けはありますが、もはや、そうだったのか~と、コチラも騙されません。そんなところが多少寂しかったかなと思われます。


騙されなくても、細かい所まで凝っていて笑いどころを見つけるのが、楽しかったです。みんながそれぞれに遣っている事が、最後には一つに向かっていく楽しさもありますね。


ちょっと女性陣が、テスとイザベラの綺麗どころが欠けていたのが、物足りない。
エレン・バーキンが一人で頑張っていますが(一人でも、結構濃いですが)、綺麗どころとは、ちと違う。

物足りないと言えば、華麗なる大泥棒ナイト・フォックスの活躍がいまひとつ。マット・ディモンの変装、ブラピの変装はマットの勝ちかなぁ~。

五つ星審査員は気の毒。

また、情けない事を言ってしまうけれど、リヴィングストン・デルは誰に電話していたのかしら。最後のあの人に・・・?

分からないからではなく、面白いからだけど(負け惜しみ)DVDが出たら、また見ようと思います。繰り返し観るのに耐えられる作品だと思います。


ネタバレ無しだとこんな程度かな・・・。

ああ、そうそう。最後に「言葉の力」を信じましょう。励ましの言葉はお手紙で




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清澄庭園

2007-08-14 14:14:23 | お出掛け日記

 

 8月11日に「男鹿和雄展」に行ったことは「トトロの森を描いた人」に書きましたが、東京都現代美術館は、大江戸線、または東京メトロ半蔵門線の「清澄白河駅」からほぼ10分程度のところにあります。また、その近くには清澄庭園があります。せっかくなので寄って参りました。

   

     

 

 

いかにも涼しげでしょう?でも、この日東京でも35度近くあって、盆地の方では37度と言う数字が並んだ日なんですよ。本当に暑かったのですが、「木」というのは、本当に優しい生き物なんですね。少し木陰に入っただけで、熱風の温度も下げて私たちに送ってくれるのです。

 

    

 

同じ場所の春の風景です。この写真は昨年撮ったものですが、家に戻ったらPCが壊れていて、載せるタイミングを失ってしまったものです。季節によって見せる顔が違うのが面白いですね。

 

 

  夏

 

 

 春

 

 

何が違うかと言うと緑の濃さもそうですが、水に映る影のはっきりとした様かも知れませんね。

 

 

   

 

 

 

光と影と

 

 

   

 

涼しいのは亀と、鯉の稚魚ばかりなり

 

ちなみにここは150円。(安いですね)

でも、お隣には清澄公園があります。ただの公園かと思って春は歩きませんでしたが、そこも木々が優しく生い茂り、林の中の散歩と言う気分を味わえます。


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「風林火山」―越後潜入

2007-08-14 02:23:19 | ドラマ (大河)
 越後に鉄砲商人として潜入した勘助でしたが、鉄砲100挺届けさせるまでは人質となってしまいました。何だか景虎にはバレバレの様子でどうなることかと感じさせた越後潜入。一方晴信は、勘助の留守であっても、好機に感じた砥石城攻撃に乗り出してしまいます。それが村上の罠だとも知らずに・・・



 ところでドラマなんかを見ていますと、見ることによって、何かを得たり学んだりすることがありますよね。そういった目でみると、なかなか学ぶ点や考えさせられる点などあるかもしれませんが、今回は私にとっては鏡のような気がしました。鏡と言っても自分を映すという訳ではなく、それによって見ることが出来たのは、自分の「齢」というものです。近頃容姿の衰え著しく、誰にも「若い」とは言われなくなってしまった事は仕方が無いにしても、心と気持ちはかなり柔軟で若いと自負していたわけです。でも、そう思うことからすでに怪しいのかもしれませんが、この「越後潜入」を見ていて、己の「齢」を感じてしまいました。なぜなら、「ドラマなのだ」とその自由な発想を堪能できず、ありえる展開ありえない展開と言う物差しで、推し量りながら見ている自分に気がついたからです。

その自由さをどれだけ受けいられるかが、自分の柔軟さの証かも知れません。
 


 勘助が人質になっているので、殆どが「越後タイム」。景虎の魅力満載です。

ガクト景虎のセリフは多かったですねえ。個性的な話し方なので、多いと鼻につきそうな感じですが、なぜだか容姿に騙されて、全てOKです。
景虎が言う所の、日本をあるべき姿に戻す。天下を取るという己の欲に動くのではなく、朝廷の帝や将軍をお助けする。美しい言葉です。彼の言葉を聞いていると、天下の夢を想い描いている晴信が、本当に卑しきものに思えてきてしまいます。

困った事です。景虎に説得されてしまいそうです。
「道安は如何に。」

景虎ではありませんが、私も勘助に聞いてみたくなってしまいました。晴信への忠義は今更揺らぐような関係ではありませんが、美しきことを語る景虎は、勘助の目から見るとどのように写っているのだろう。画面からは、それが伝わってきませんでした。


 私がありえない展開と受け入れがたかったのは、人質になって逆に偵察が存分に出来ると喜ぶのはOKなのですが、隙を見て逃げると言う発想です。こういう時、勘助って本当に頭いいのかなあ・・彼だっていい年の人なんだよなあ・・と、疑ってしまうのですよ。分からない者だから偵察だと思うのですが、分からない者だからこそ、畏怖の心を持ち慎重にはならないのだろうかと思ってしまうわけなのです。


「 きゃー  きっとバレテイルヨ。どうするのー」ドキドキ

自分の心を辿って、過去の自分を引きずり出してみました。ドラマはこう見たほうが面白いですよね、たぶん。




 「浪に怪しいから経を唱えよと言われ、それらしき経を唱えて上手いことやったね。」

「そ~ぉ? いかにもいいかげんで宇佐美に同じ事言われていたらどうするの?だいたいさぁ、あれだけポーカフェイスで微笑み君やっていたのに、武田の砥石城攻撃の顛末聞いたら、アレだけ動揺しちゃって、どうするのよ。」

「ああ~、勘助、可哀相。何かしてあげたくても、何も出来ない苦しさって、本当に辛いよね。晴信ったら動いちゃって、ばか~ん。」

「(汗)何ばか~んって。でもね、作家様は上手いことやったと思うのよね。勘助がいるのに大敗って、ドラマとして成り立たないじゃない。勘助留守中に動いてしまったからこそ負けた。だからこそ、軍師勘助の対面が保てるわけよ。」

「まぁ、そうなの。でも、どうでもいいわ、そんなこと。私は、駒井君♪平蔵ちゃん♪真田様♪And小山田ちゃま♪でいいの。」



「はい・・・どうせ胸キュンメンバーというところでしょ。でも、小山田ちゃま・・ごほっ、小山田はかすりもしなかったのは納得できなかったよね。彼はこの砥石崩れで、致命的な負傷を負うと言うのに。」


「でも、平蔵ちゃんと真田様に見せ場があったからいいじゃない。平蔵ちゃんたらまるで勘助のようだったわね。真田様も責任感じてしんがりなんか申し出ちゃって。でも、晴信に『生きろ』とか言われていたけれど、代わりのしんがりを勤める鬼美濃は生きなくて良いのなんて思っちゃったわ。」


「『しんがり』の意味を、少しでもいいから入れて欲しかったよね。知ってて当たり前と言う常識の世界になっているけれど、『風林火山』が歴史物デビューの子もいるかもしれないじゃない。『しんがり』は、一応名誉とされているから鬼美濃は『任せておけ』とばかりに頼もしかったけれど、責任感じている真田がしんがりをやってしまうと、死に向かって突っ走ることがわかっていたから、晴信は諭すわけなのよね。石垣である人を大切にしようという晴信の気持ちが伝わってきてよかったよね。平蔵のシーンも、生きていく道は違っても、絡み合った過去はともにあるみたいな青春群像みたいなものを感じてしまったわ。しかも、勘助の影響によって浮かんだ智恵が、勘助の大切なものを窮地に追い込むなんて、皮肉もいいところで、この先の平蔵と勘助の最後の絡みが、思い切り気になり始めた今日この頃です。」



「何、まとめに入っているの?駒井君は不吉な雲を見て、何かを感じていたわね。陰陽師学なんかにも造詣が深いのね。



「だからそれもね、駒井の深層心理が、雲の形を借りて、警告を自らに発していたのよね。晴信もそう。決断の時、一瞬勘助の言葉を思い出した。それも警告だったのよね。そういうことって、経験あるなあ~。」


「おばさんになると、複雑ね。」


「あんたは、何歳だって言うの?」


「26歳かなあ。」


「・・・・・昔はものを思わざりき。単なるミーハーねえちゃん。そういえば、流し目王子とか言われている早乙女太一が9月から北条新九郎役で出るのよね


「・・・・


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トトロの森を描いた人

2007-08-12 08:48:45 | お出掛け日記

 ジブリの絵職人「男鹿和雄展」に行ってきました。

 

 先日、テレビでも紹介していましたし、夏休みと言うこともあって入場の段階から30分以上の待ち時間と聞いていました。確かに待ちはしましたが、10時少し過ぎた頃に「清澄白河駅」に着いたので、比較的スムーズにいった様に思います。入場した後も入場制限しているためか、ゆっくりしっかり見ることが出来ました。ただ、帰る時入り口を振り返ったら、かなり大変なことになっていたので、これから行こうと思われている方は、時間は早めに動かれた方がいいですよ。その後の昼食の事も含めて、そう思いました。

 

 展示作品数もかなり充実していて、尚且つ見応えがあるので、2時間はゆうにかかり、足は疲れましたが、本当に感激しました。

 

 撮影フリーなコーナーもあって、原画ではないにしても記念として楽しめました。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当はこの絵の前に折り紙で作ったトトロなんかを立たせるわけです。

 

そのトトロの作り方。

 

 

これじゃあ、分かるわけないですね。でも、コレ、最後の足や尻尾を出す所を適当にやっていると、意外と侮れないですよ。作るコーナーは結構混んでいたので、私のように作り方を写真に撮っている方が多数いたのですが、皆さん、足巧く作れましたか?

私のように不器用に自覚ある方は、その場で作られたほうがいいですよ。

 

ところで、上の画像は折り紙トトロの背景サイズですが、下の画像は私たちの背景になる絵です。記念撮影用ですね。アニメの世界に入り込むチャンス。私も撮りました。御見せは出来ませんが・・。

 

 

 

 

 映画で見た一瞬であったけれど、好きだナァと思ったシーンの数々がダイレクトに 、私に語りかけてくれる、そんな贅沢な時間が持てたと思います。

 

 本当に素敵な風景が、作品となって多数展示されていますが、男鹿さんがそれだけの数の実際の風景を見続けてきたのかと思うと、「本物になっていく道」と言うものを感じました。それは、何にでも通じるものかも知れません。

 

彼はジブリ作品以外にも、たくさんの仕事をしてきました。昨日、テレビで「はだしのゲン」を放送していましたよね。私はラッタ君が幼児の時、テレビでそのアニメを見て号泣したことがあります。その背景も携わっていたのですね。

 

 萩尾望都がキャラクターデザインをした「時空の旅人」。その背景も描いていました。その時は気にも止めませんでしたが、安土城にはかなりの研究がされていて、凄いと、ただただ感心してしまいました。

 

 「幻魔大戦」の破壊された街の絵を見て、ふと、思いました。

 

気にも留めなかった、一瞬の風景。でも、その一瞬の光景を見て、私たちは物語の展開を理解しているのです。大切でありながら、だからと言って、そのシーンの絵に光を当てて語り合う事は、あまりないのではないでしょうか。

 

それを描き続けることによって、その素晴らしかったものを、もう一度再認識させてくれた男鹿和雄さんは、やっぱり凄いと、またしみじみと思ってしまうわけです。

 

※ 9月30日まで

  東京都現代美術館にて

 

 

 

 

 

 

 

 

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物の魂を信じている?<その5>

2007-08-10 08:09:07 | 思いつくまま

 近頃私は忙しい。

なぜか?

それは洗濯機を買い換えたからだ。

 

 

 なんだあ、と思いましたか?でも、なんでそれで忙しいのだろうとも思ったかもしれませんね。でも、なんで忙しいのかなんて話は週末にでも「梢は歌う」の方に書くとして、ここでは、久し振りの「物の魂を信じている」のお話です。

 

 「久し振りの」なんて言った所で、多くの方が「ハァ? 」ってなものでしょ。実はこのブログ始めたばかりの頃書いた記事なんです。

 

 

「物の魂を信じている?・・・続きの続き」

買い換えたのはその中に出てくる洗濯機なんです。このタイトル、ちょっと変わっていますよね。実はシリーズで書いていた、私のお気に入りのたわごとなんですが、今日あなたがお暇なら読んでみてください。

物の魂を信じている?」

物の魂を信じている?・・・続き

そして、この後の「物の魂を信じている?・・・おまけ

 

 ちなみに「おまけ」に出てくる友人の洗濯機は、それから一週間後に買い換えられてしまいましたが、調子が悪いと言いながら、私のうちのは、それからさらに1年と半年の間、頑張ってくれたのです。

 

 さすがにここの所、「もうダメだ」言う感じになってきてしまいました。一日一洗濯と言うか、一回洗濯したら、後はもう動きません。コンセントを抜いて一日休ませると、また翌日一回洗濯をするのです。洗濯機なのに「老人」と言う感じがしてしまいます。洗濯機に性別があるわけはありませんが、どうもおじいちゃんと言う感じがしてしまいます。

 

 もう、だめだな。流石の私も思いました。あっ、最初の「」の中のダメだは、私ではなく洗濯機が言ったのですよ。ほらほら、また怪しくなってきた。

 

 洗濯機は買いに行きましたが、その日に配達と言うわけにはいきません。(それも困ります)

 

 最後の数日の彼は、本当に酷かったのです。水を入れている途中で止まり、また洗濯の途中で止まり、脱水中で止まる。私はコンセントを抜いて1時間休ませて、またその続きからやるのです。そんなことしていないで、「コインランドリー」に行けばいいじゃないと思ったでしょうね。でも、車を運転しない私は、実はコインランドリーも未経験です。未経験のものに、チャレンジする気分にもなれないし、朝はとりあえず動く気配を見せるので、騙されてスイッチを入れてしまうのです。

 

 新しい洗濯機が来るまでの二日間は、洗濯物を溜めてしまいました。もう、動いても脱水が出来なくなってしまったからです。終わったなと思っても、ビショビショでした。

 

 その最後の時。

ちょっと、私は困っていました。動く気配の無い洗濯機の中には、半端に水が入ってしまっていました。排水させなくちゃなと思って、じっと彼を見ていたら、ふと歌いたくなりました。

 

♪あなたは  すっかり  疲れてしまい~

  生きていくのも嫌だと泣いた~  ♪

 

すると彼は、カッタ・カッタ・カッタと動いて水をちょろちょろちょろと吐き出しました。

 

私は排水ホースを引き抜き、彼を拭きました。

―ありがとう。もう、いいんだよ。―と私は、言いました。

 

 

返事を感じません。

―ヘンジガナイ。シンデイルヨウダ。―と、呟いてみた私・・・・。

 

 

 

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「風林火山」31回ー勝どきの陰には

2007-08-06 00:59:08 | ドラマ (大河)
 今回は、私の好きな真田のエピソードが中心。そういえば楽しみにしていたような・・・。なんだ、その冷めた言い方はという感じですが、正直少し冷めていたかも知れません。

なんとなく、大河に関しては燃え尽き症候群に陥っている私です。それを、私は先週感じたのです。

 ガクト景虎がどんなに長々出ていても、イケメン義元の嫌味っぷりが健在でも、越後の新メンバーが出揃っても、何だかぜんぜん面白くなかったのですよ。しかもダラダラ長い・・・。長いな、まだやるんだ、と思って時計を見たのって初めてのことでした。

でも、コレは私個人の問題ですよ、きっと。だって見所はいくつもあったのですよ。たまたま気持ちに引っ掛からなかったのですね。終わってみれば平蔵~、ヒサ~、良かったね~と言う感動が一番でした。それとですね、軍議の場の景虎の背景です。素晴らしいですよね。あの竜の・・・なんていうのかな、襖じゃないから襖絵でもないし屏風絵でもないですよね・・・?
わからないけれど、凄く好きです。だって、漫画っぽいですよ、あそこだけ。

それから、浪が出てきましたね。私のかすかな記憶のあぶくがぱちんとはじけて、石坂浩二の声で「ナミ」と聞こえてきましたよ。その時やたら笛を吹いていたナミさんは樫山文江さんがやっていたけれど、そのナミさんでしょうか。純情悲恋の期待が募ります。


アレッ、つまんないから書くことナイやって書かなかった先週の話が延々と・・
じゃあ、先週書けよってなもんですね。いやあ、そう言わないでくださいよ。やっと今頃だから書けているんですよ。それで、今週の分は来週・・なんちゃって。そこまで、脳の回転が遅いのでは困りますね。


そこで、頑張って書いてみますと、真田の諜落シーンは凄かったですね。幸隆はそこまでやるかと言うくらい徹底していましたね。相木などは直視できていませんでした。でも、あそこまでやったからこそ、敵を欺けたのだと思います。普通なら、ヤッター、巧くいったと感情移入して、スカッとする所でしょうが、作家様は許してはくださいません。

欺かれて散った兵側の無念さを、平蔵の義父となった矢崎の死と重ね合わせてしまいます。なぜか、相木の勝どきも空しく感じてしまいました。


その勝利に、晴信は砥石城へ向かってしまいます。
悲劇へのカウントダウンが始まってしまいました。


悲劇―小山田の藤王丸を見たときの狼狽振りは半端ではありませんでした。でも、その直前に、彼、変な事言ってなかった?
ホントに変なセりフ言っていたような気がするんだけれど、ああ、気のせいであって欲しいな。どんなセリフかって、アホくさくて言えませんが。


今回、とっても短い越後タイムが面白かったのです。勘助もいい感じで仕事してました。でも、武田の弱点は軍師侮りすぎですよ。「駄目だよ、動いちゃ。」って、ちゃんと言っておいても、みんなで無視して、もう勘助が可哀相になってしまいます。

ですが、予告編を見る限りでは、あまり悲劇の模様ではなくて、勘助主役の見応えのありそうな感じなので、楽しみになってきました。


最後にどうでもいい話。
視聴率とるのって難しいんですね。あんなに良かった「逆襲!武田軍」でも20%越えをしなかったんですよね。数字分析が好きなもので、つい考えてしまうのですが、歴史ものって、どういう理由で数字が動くのでしょうね。
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さらば涙と言おう

2007-08-05 03:12:22 | 同じ時代の船に乗る

阿久悠さん死去 歌謡曲黄金期の作詞家(共同通信) - goo ニュース

 

 普段、

「私は阿久悠が大好きだ。」と自覚する方は居ないと思うのだが、「ああ、この歌いい歌だなあ。」と思うと、阿久悠氏の作詞であったと言う事は、誰でも経験があることなのではないだろうか。

 

 私は歌のジャンルの中では演歌と言うものが苦手で、なぜかみんな同じ歌詞、同じメロディに聞こえてくる。そんな私でも、何作かは知っているものもある。いずれも大ヒット曲ばかりだ。その中の「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「舟歌」は、彼の作品である。

 

とりわけ、「舟歌」は好きな曲である。

しみじみ飲めば、しみじみと、

ほろほろ飲めば、ほろほろと、

ぽろぽろ飲めば、ぽろぽろと、

酒の肴なんてどうでも良くて、男は思い出を肴に酒を飲んでいる。店の明かりはぼんやりと灯り、遠くで霧笛がかすかに聞こえてくる。

 

思わずその空間に引きずりこまれてしまうような歌だと思う。

その「舟歌」の歌詞はコチラ

 

ところでタイトルにした「さらば涙と言おう」は、青春の巨匠(訳の分からないニックネームだが)と言われている、森田健作氏が歌ってヒットした曲である。この歌を歌っていた頃の彼は、ハンサムだったので、私はかなりのファンだった。先日インタビューに答えて、その彼が、いろいろな場面で、自分のこの歌を口ずさみながら頑張ってきたというようなことを、言っていた。

 

このときの森田氏の言い方のどこかが、私の気に触って嫌な気がしてしまったのだが、言った内容には頷いていた。

 

阿久悠氏の歌詞は、苦手な演歌であっても一度ちゃんと目を通すと、なぜだかすんなり頭に入ってきて覚え易い。それは、曖昧ではない確かな日本語で出来ているからではないだろうか。

 

歌詞と言うものを、あまり国語の教科書では見た事がないが、(本当は皆無、あるかもしれないので、「あまり」にしておこう。)詩として、捉えてみるのも良いのではないかと思う。

確かに、載せても良い詩を見つけるのも、難しいかも知れない。だけど、この「さらば涙と言おう」はどうだろう。森田氏ではないが、青春時代、私はこの歌を結構口ずさんだが、時代に色あせない歌もあれば、忘れられていく歌もある。この歌も後者なのかも知れないが、歌自体はそんな曲ではない。

 

さよならは誰に言う

さよならは悲しみに

雨の降る日を待って

さらば涙と言おう

・・・・・・・・・・

中略

 

恋のため愛のため

真っ直ぐに生きるため

泣ける事もあるけど

さらば涙と言おう

 

 

あまりにもたくさんの歌の中に、人それぞれの思い出があるのだと思う。凄い人だったのだとしみじみと思う。

 

彼のHPに行ってみた。その「あんでぱんだん」の中の「あまり売れなかったが、なぜか愛おしい詩」を読み出すと止められない。かぐや姫のデビュー曲の話や吉田拓郎との仕事の話など、興味深い内容が盛りだくさんだ。

 

ところで、この―あんでぱんだんーの意味だが、語源はフランス語で「自主・独立を意味する。」。

 

8月1日、阿久悠氏が亡くなられたその日、たまたま、私はアンリ・ルソーのことを書いて「アンデパンダン展」に触れた。今、阿久悠氏のHPの名前が、同じだと知って少し驚いている。

本当は、何も関係はないことなんだと分かっている。だけど、それでも人はそこに何かあると感じてしまう習性を持っているのかも知れない。

逝く人を想う日であるのだと。

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これ、なーんだ?

2007-08-03 08:12:51 | ’08/12/7までの未整理日記

 

 これ、何だと思いますか。黒い風呂敷の模様?

答えはこれ。

 

   

 

やっぱり、何だ、コレですよね。

じゃあ、これは?

 

 

 

 

   

 

まるで、プラネタリウムで見た昴座みたいですよね。

少しはそれらしきものを。

 

 

   

 

 

どうでしょうか?

 

わかりましたか?   これって、夜空の花火なんです。ぜんぜん綺麗でないものをお見せしてしまって、申し訳ありません。

 

 

昨日ベランダで、少し遅く洗濯物を取り込んでいたら、いきなり目の前に花火が上がりました。

 

横浜から今住んでいるこの街にやってきて、いろいろ驚いたことがありましたが、花火はその中の一つです。何がしの花火大会ではなくて、近所の町会の夏祭りで花火が上がります。

 

八月の土日などは、同時に西と東の空に上がることなんかもありました。家の真上に上がることもありました。もちろん、連玉みたいな物でもなく、大きさも数もそんなではありませんよ。

 

でも、それでも花火って楽しいですよね。私の町の夏の風物詩です。これからは、どんどん空き地にも家が建ち、こういうことも減っていってしまうかも知れないと思うと、寂しい気持ちになります。

 

ところで、昨日は水曜日。この花火は町会の夏祭りではなく、どこかの企業の納涼祭のものですね。少し、数も多かったですし。

それで、そこにあったカメラで写してみたのですが、花火を撮るのって難しいですね。夜空にあるものは、みんなそれなりに何がしの写し方があるんだろうなと思いながらも、知識がないので、何か映ればいいやとシャッターを押してみました。

 

ところが、このシャッターを押すタイミングがだめだめでした。夜空なので、すぐ下りないんですよね。真っ暗な夜空ばかり数枚撮ってしまって、 気が付きました。ひゅうと言う打ち上げの音を聞いたら、もう押してしまえばいいんだと思って撮ったのが、載せた(悲しい)写真です。

 

今思うと、「ひゅう・んっ・ぱっ」と言う間で撮ったら良かったかなと思いました。花火って、上に上がって爆発し、流れる様が美しいのに、爆発の所で写ってしまっているんですものね。

 

でも、本当の所はそんなことを考えていないで、説明書を読みましょうと言うのが、正解なのかも知れませんね。

 

 

それでも、負け惜しみを言ってしまうと、花火って花開く前はこんな風になっているのか、へぇ~とも思ったのですよ。

 

だけど悔しいので、落書きしてみました。

 

      

 

  何だか、鳥の羽みたいですね。そういえば、今でもあのカラーひよことか言うやつは、縁日などで売っているんでしょうか・・・。

 近頃そういう所には、縁のない私なので分かりません。

 

 

 

 

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陽、落ちる前

2007-08-02 18:26:54 | お散歩&写真日記
 昨日の空です。もうすぐ夕闇と言う頃。

光る空は好きです。
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八月葉月は光がきらり

2007-08-01 10:24:28 | ’08/12/7までの未整理日記

 

 八月葉月は光がきらリ

 

―アンリ・ルソーは好きですか。

 

ルソーのお客はね、肉屋なの。

それが今では、お札と言う紙の束が、

彼の絵の前に詰まれるんだよ。

一枚二枚って、数えられないよ。

だって、億枚もあるんだよ。

お金、数えて日が暮れちゃう。

風吹いたら過ぎていく、人生が終わっちまうよ。

 

              ―そんな事、水辺の穂が囁いていた。

 

 夏が来ると、必ず彼の絵を思い出す。学生時代に「アンデパンダン展」と言う展覧会を観に行った。それは、今もあるそれではなくて、その展覧会から世に出てきた人たちの展覧会だった。そこで、私はアンリ・ルソーと出合った。

 

 一言、またも抽象的な言い方で言うと「エ~」と言う感想。または、「何こりゃ」と言う感想。

 

 でも、私の感性は正しい。これは、彼がアンデパンダンに出品していた頃、その絵に群がった人々の多くの感想だったと思う。

 

 不思議な気持ちのまま、私はその会場を後にしたが、記憶の中に留まった彼の絵は、静かに私の感覚の中に浸透して言った。それは、ムンクの「叫び」やゴッホの「ひまわり」のように、神経を逆撫ぜしながら、記憶から消滅させたい衝動に駆られながら、やがて負けて、認めると言うものではない。

 

 やがて、ある夏の日、私は八月の濃い緑の森の風景に、彼の絵を感じてしまった事があった。まるで、その風景は彼の絵そのものだった。

その時から、夏の濃い緑を見るたびに、私は彼の絵のことを思い出している。

 

彼の絵は現実とは切り離されたような、または無風、そんな感じがする。だけれど、独特の視点に切り取られた、そのシーンは現実の風景の紛れもない凝縮なのかも知れない。

 

だけど、私が思っている絵が見つからない。だから、写真も森の緑ではない。

かなり記事とはイメージの違う作品だけど、これは如何。

 

                 

                    

 

 <・・・この絵を観て、『え~、なんだコリャ』とおもったわけではありませんよ。あしからず>

 

今日から八月。やっと暑さも本格的ですね。夏を楽しみたいですね。


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