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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

麒麟がくる第一回「光秀、西へ」

2020-01-20 00:32:38 | ドラマ (大河)

やっと始まりましたね。

なにげに待っていました。日曜日の夕方から大河ドラマを見るのは習慣化しているものですから。

それに明智光秀の物語ですから、期待も大きいのです。三日天下の明智などと言われていますが、大河ドラマではいつも、あまり悪くは描かれてはいないように思うのですよ。いつも彼には彼の義があってと言うものを感じていました。この主役である大河では、どのように見せてくれるのでしょうね。

しかも長谷川さんですからね、見た目も楽しいのですよね^^

カッコいいですよね~。

 

さて感想ですね。

明智庄での光秀たちと野盗との戦いのシーンでは、人が絵の中に入り込んで動いているような映像だなと思いました。

私たちが勝ちましたと家臣の藤田は言いましたが、畑は燃やされ米も持って行かれて、家も破壊されて、確かに被害は最小でも、やはり勝ったとは言えないような気がしました。

野盗が持っていた、見た事もない戦の道具(鉄砲)に心が動く光秀。

でも彼は、その鉄砲が欲しいというのではなく、見聞を広めたいという理由で旅に出たいと思うのでした。直接、殿(道三)に直訴する光秀。

 

今回、キャストからも先の展開が楽しみになっています。

本木君の斎藤道三VS伊藤君の斎藤義龍。

両人とも演技に拘る方々なので、楽しみでないわけがありません。

 

吉田鋼太郎さんの松永久秀とのお酒を飲みながらの本音トークシーンですが、お財布の紐をちらちら見せるので、また松永がそれを気にしているので、お金の持ち逃げを心配してしまいました。

鋼太郎さんの食えない感じが良かったですね。

それに三淵藤英(谷原章介さん)も出てきました。いろいろと知らない事が多かったので、第一回目の視聴後の私は検索魔になってしまいました。

やっぱり戦国時代と言うのは、凄まじい時代です。

凄まじい時代のそれぞれの人生。

それは穏やかな小春日和のようなものとは程遠いものだと思います。

だからドラマ的には面白くなりそうで、楽しみに感じるのですね。

 

それから初回から登場の川口さんの帰蝶も、良かったですね。なんだかむしろ彼女で良かったような気さえしてしまいました。

また京での出来事は、王道と言う感じもしないではなかったです。

 

それでも駒の、大きな手によって助けられたという話も良かったです。

いつかその大きな手の持ち主が現れるのでしょうか。

そしてこの時光秀の言った言葉は、心に残りました。

「旅をしてよく分かった事があります。麒麟は何処にもいない。誰かが何かをしなければ・・・・・。美濃にも京にも麒麟は来ない。」

思わず私は,そこに「東京にもね。」と、勝手に付け加えてしまいました。

 

今の日本は、その麒麟がやって来る国と言えるのだろうかなんて事を、考えながら・・・・。

 

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センター南の「湯もみの里」

2020-01-19 00:11:20 | お出掛け日記

考えてみると、横浜市営地下鉄に乗ったのは、今までで2回ぐらいなのではないかと思いました。あまり馴染みが無いのです。

ちょっと用があって15日に横浜の実家に戻りました。

横浜駅を歩くと、あっという間に私は横浜人に戻ります。つまりずっと横浜に居た人のように、そこにいる事に違和感がなく、そしてずっとこの街で暮らしていたいような気持ちになるのです。これが故郷と言うものなのでしょうか。

ところがその市営地下鉄のセンター南と言うような、見知らぬ駅で降りると、すでに横浜は、私の見知らぬ街に感じるのでした。

そのセンター南は、開けた賑やかな街で楽しげでした。

そしてその駅から10分もしないところに「湯もみの里」はありました。

 

街中温泉、つまりスーパー銭湯に来たのは11月以来です。

 

今回はラッタさんと二人で来ました。

 

カキフライは4個あったのですが、2個食べた所で写真に撮ってない事に気が付いて撮ったのです。このカキフライが美味しくて~♪

 

全体的に静かで綺麗なお店でした。

お風呂はシンプルな感じ。岩盤浴もありましたが、行った時間が遅かったので、今回は無しです。

岩盤浴利用者だけの休憩室があって、そこは漫画などが読み放題みたいでした。

これもまた今回は利用しなかったのですが、足湯なんかもあったみたいで、ここに姉妹で来るような事があったら、おしゃべりしながら楽しめる足湯なども利用したいと思いました。

 

ここには夜に行ったので、実家には1時間近くかかって帰りました。

やっぱりスーパー銭湯は楽しいです。

昨年の暮れ、1月になったら姉妹で行こうと決めていたスーパー銭湯があったのですが、それは妹が元気になってからと言う事での保留中になっています。

 

最近ルート君は付き合ってくれないし、星子さんはこう言うところは好きではないみたいなんです。

仕方がないからしばらくは一人で行こうかな・・・・・・。ボソッ

 

 

※        ※

そう言えば、前回の街中温泉記事を書きそびれているなと気が付きました。

自分的メモの為にここに書いておこうと思います。

毎年11月には父の誕生日墓参りをします。その時セットでみんなでお風呂に行くのです。今回も近い所で「満天の湯」に11月16日に行きました。ここは駅に近いというのが最高に良い所です。なんたって母のような老いた人と病人の集まりなので、そこは大事なポイントですね。他に横浜でよく行くところは「龍泉寺温泉」なのですが、そちらの方がちょっとゴージャスな感じがします。岩盤浴もあるし炭酸泉も気に入っていました。

だけど最近はそれでも「満天の湯」の方をチョイスしてしまうのは、その駅前にあるからと言う点にあるような気がします。それに泥パックタイムとか日替わりのお湯などに工夫がされていて、なかなか楽しいのです。

意外とラッタさんは土日だったりすると、温泉イベントなどにも、いそいそと参加しにやって来ます。

たぶん好きなのではないかしら。

  

 

 

 

 

 

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相棒18 第12話「青木年男の受難」

2020-01-17 01:00:48 | ドラマ(相棒)

《ドラマの感想はネタバレ全開。再放送時などの予習検索にはお気をつけて》

なんだかちょっと可哀想な気がしちゃったなぁ。

若い時はいろいろと、想いに駆られてたくさんの失敗をしたりもするじゃないですか。

だけどこの人の失敗は、この人自身の大いなる大志の道を阻む事になってしまったなと思うのですよ。

だって彼が、つまり木村がこのまま刑事でいられるわけはないですよね。

本当は、あんなキャリアの署長より(彼は下手をしたら冤罪を作り真実をうやむやにする、むしろ民衆の敵じゃないですか。)、真実を追求しようとする、木村のような刑事にずっと残っていて欲しいようなものです。

だけど真実を暴くように調べなおして貰いたかったという願いは叶ったようなものですよね。

ただ作戦が、甘く浅はかだったのではなかったのか・・・・。

父の無実を信じる青年を利用して、発覚した時の青年の未来など考えもしなかったのですから。

 

時々「相棒」は連作を作る時もあったでしょう。前に出た人がまた出てくるとか。あの時はネタ切れかとか、意地悪にも思った事があるのですが、こういう人の失敗からの再生のドラマを見せてもらいたいなと思ったりもするのですよ。

本当は成宮カイトのそれを見たいと思っているのですが、叶わないなら、こういう青年の続編をいつか見てみたいです。

 

物語は終わっても、その世界での彼の人生は続いているわけですから。

殊の外人生は思っていたよりも長く・・・・・・

そして残酷。

ちゃんと調べた結果、無実だと信じていた父は、やはり過失で人を死なせていた事が分かるのですから。

だけど青年の父は、過失で人を死なせてはしまったものの、ちゃんと罪を償おうとして、立派だなと感じました。だからそんな父だからこそ、彼は父の無実を信じたのでしょね。

そして木村のやった事も、すべては無駄ではなかったのでした。

真実の一つはちゃんと明らかになったのですから。

 

しかし青木はシブトイし図太いですね。ある意味逞しい。

そして感謝知らず。

だけど右京も、いつも青木に感謝していないし、彼のそのたくましさを知っているから、救助より真実の追及を優先させたのかも知れませんね。

悪態をついて去っていた青木を、なんとなく微笑ましく(?)見送っていた所なんかに、それを感じました。

面白かったです !!

 

 

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2020年、お正月のまとめ

2020-01-15 02:24:07 | ちょっと楽しいつまし...

上の月は、1月10日の午後6時くらいの月です。

 

5時くらいの月が、上の画像。

ベランダに出たら、月があまりにも綺麗なので、思わず写真を撮ったのでした。

そして夜のバイトに行く時も、やっぱり夜の色が深くなってきたところでもう一枚撮ったのです。

月が美しいと、なんだか嬉しくなる私です。

誰だって、美しいものが天空に大きく浮かんでいたら、同じような気持ちになるものかも知れませんね。

 

さて「お正月のまとめ」ですが、主に飾りやイベントなどのメモで、時々書いている「暮らしを楽しむ」というテーマなのですが、本当にささやかな雰囲気が漂っていて、ゴージャスとは程遠い我が家の飾りです^^

 

このリース、2016年に作って、使いまわしてきました。だけど接着にはリミットがあるみたいで、出した時に飾りが外れました。それを修理したら、昨年とは違った感じになって、むしろ怪我の功名だったかもしれません。

そう言えば、こういうものは、毎年新しいものをと思う方もいるかもなと今思いました。しめ縄のアレンジですから、「本来は」と考えればそうなんだと思います。

だけど私はやっぱり、同じものを一年に一回出してきて、出来る限り使うという考え方で行きたいなと思っているのですよ。

(でもこの飾りは、少々限界かも知れませんね。)

 

そして毎年、場所を変えて飾るこれらの飾りです。

そして今年の七草粥ならぬ七草雑炊は

 

大根(葉も)・カブ(葉も)・人参・三つ葉・小松菜・ブロッコリスプラウト・ネギ

で、その他に鶏肉も卵も入れたのだから、七つではなくて、九つになってしまいましたね。何か問題があるかしら。

いや、そもそも、これは「七草粥」ではないだろうって?

だからそれはね、ここに至るわが家の歴史があるのですよ。

・「季節の行事を楽しむ(1月)」2017年にその理由が書いてあります。

・2010年には違う理由で、大根と株だけ雑炊を作る理由が書いてありました。

図らずも、マイペース」

やっぱりいろいろな意味で、ブログって便利ですよね。

我が家ではこの形が、ずっとこの先定番になっていくと思います。

 

11日の鏡開きの日には・・・・って、うっかり忘れて12日にしたのですが、

今年はお汁粉に入れて、無駄なく頂きました。

あのチッチャナ鏡餅は、あっ、我が家の場合はですが、一番小さな鏡餅を飾るんです。でもそれって、いつも食べるタイミングを逃して、時には・・・・・・って言いたくない。誰かに叱られそうだから。

でも今年はちゃんと頂きました。

だけどトンカチで割るとかは無いですよ。だって無理ですものね。

遣ってはいけないと言われている包丁を使いました。

だって今のちゃんとカバーされているお餅って、干からびないから、トンカチでって無理っしょ。

私が思うには、「カミサマ」と言う方は、細かい事は言わないと思います^^

 

ああ、だから、こう言えばいいのですね。

「包丁を使って餅を開きました。」

 

 

日本のお正月は、やはり楽しいですね♪

 

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築地場外市場に行ってみました。

2020-01-14 14:55:52 | お出掛け日記

1月の「東京散歩」は、両国の「すみだ北斎美術館」に行った後、築地場外市場に行って食べ歩く事でした。

ただ後で、この場所を検索して分かった事ですが、1月8日の水曜日は、東京中央卸売市場がお休みの為に自由営業の日だったのですね。

事前検索をしないのかと言うところですが、相棒が星子さんの時、私はほとんど丸投げ。ときどきそれで弥次喜多道中になっちゃったりすることもあるのですが、なかなか星子プロデュースが面白いので、丸投げを止められません。だけど水曜日のほとんどが自由営業日だったことを事前に知っていたとしても、出掛ける事が出来たのは、8日以外になくて仕方がない事だったのです。

 

着いた時間も少々遅くなってしまって、思っていたような築地場外の風景は見る事は出来ませんでした。

まあ、閉まっているお店も多かったですし、空いていたという事なんですね。

それでもですね、頂いた握りや海鮮丼は、滅茶苦茶美味しかッったのです。

 

お店は「うに虎」とあと一つの名前は何だっけなぁ。

お買い物もしなかったし、街並みの風景の写真も撮ってません。

雨は上がったものの、天気予報で言っていたように気温が上がって来ることもなく寒かったです。思っていたような風景ではなかった事もあるし、それに「すみだ北斎美術館」で、私は気持ち的にかなり満足していたこともあってか、なんとなくこの場所に対して、あまり踏み込んだ気持ちにはなれなかったのでした。

 

だけど・・・・・。

ここには、以前、築地市場が豊洲に移転になる前に、姉妹でここに来ようと計画を立てていたことがあったのです。義母は、ここに来るときはリュックで行きたいと言い、一回ラッタさんの置いて行ったリュックを貸してあげた事がありました。なので、義母に築地の楽しみ方などや周り方のレクチャーを受けたりなんかもしてあったのですが、なんだかんだと企画は流れてしまいました。たぶん優先順位などの問題やみんなの時間が合わなかったという理由だったと思います。

それで豊洲に移転になってしまったから、もう築地はイイやと思っていたかも知れません。

でもまだ豊洲には行く気分にはなれなくても、ここになら意外と気楽に来ることが出来るなと思いました。

だから上の美味しそうな画像を姉妹に送って、体力が回復したら、やっぱりここには来ようねとラインに入れました。

もしいく日が決まったら、私はもう一回来て、もう一度下見しても良いかなと思いました。

きっと姉妹も買い出しには興味が無いと思うので、美味しいお店の効率的な周り方をもっとリサーチしてみたいような気持ちになったからです。

 

その時はまた、星子さんに時間があったらお付き合いしてもらっても良いかなと思いました。

だから

 

築地本願寺、ちょうどトラックが来て良い写真が撮れなくて、

「あっちの信号が変わるまで待ったら。」と言われましたが、「いいです。また来るときにちゃんと撮りますから。」と言ったのでした。

 

そこからまたもテクテクと東京散歩の時間です。

東京はさりげなくビルの前などにオブジェなどがあるのも魅力的です。

 背後にあるビルは、「えとビル」。

「何だろうな」と近づいてみると

  

干支がグルリと彫られていたのです。

 

またテクテク行くと

 

だけど、何でここは荒れているのかしらと、上を見上げたら、大きなビルが空き家。何のビルかは敢えて書きませんが、なんか大都会の中の大きな空き家って、胸がキューンとなるような切なさみたいなものを感じました。ここに通っていた人は、新社屋が出来て、きっとみんなニコニコと出て行ったに違いありません。それでもここには、かつて笑いや涙や、様々な声や感情が渦巻いていて、そして今はシーンとしている。そう思っただけで、凄いものを見たような気がしたのでした。

 

そしてまた私たちは銀座まで歩いて行き、「キルフェボン」にてお茶を頂いて帰ることにしました。

何にも並ばずに入れました。

 

そして最後に、「セントラル・ベーカリー」でパンを買って帰ったのでした。

時間的にギリギリで、奇跡的に何も並ばずに買えましたが、残り何本かの世界。買えてラッキーでした。半分義母にあげようと思いましたが、翌日は出掛ける時間が取れず、美味しかったので自宅であっと言う間に消費してしまいました。

ずっしりと重いのですが、今度は二本買って、1本まるまるあげようと思います。

その日の歩数は14643歩でした。

 

 

 

 

 

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「カイジ ファイナルゲーム」を見ましたよ♪

2020-01-13 00:21:31 | 映画

これ、前に言ったことがあったかしら。

「カイジ」の原作を読んでいた頃、私は耐えきれなくなってその本の持ち主のラッタさんに言ったのです。

「この本、全巻揃った時に貸してください。ドキドキしすぎて、きっとなんとかなってるだろうラストまでの一気読みじゃないと、心臓に悪すぎる。」って。

だって最後は絶対になんとかなるってものじゃないの。それが物語の完結と言うものでしょう。だけど分かっていてもドキドキするのよねぇ。

それがあの「ざわざわざわ」の世界なんですよね。

原作にない書下ろしと言っても、シナリオが原作者なんで、その世界観は壊さずになかなか面白かったです。

だけど

「あー、どうなっちゃうのかしら。」と言うざわざわざわ感がちょっと足りなかったかも。

でも私には今回のお話程度のドキドキ度で良いかなとも思うのですよ。なんたって、ドキドキしすぎて原作を読めなくなっちゃう人なのですから。

なんでなのかと思う事はちょっとあるけれど、まあいいんじゃないかしら。これは近未来を描いたSFのようなものだしね(いつの間にか ・(笑))

(なんでか)頭脳戦・チーム戦だし、織り込まれたヒューマンドラマ(?)のエピソードは、ちょっとジーンとしました。それになんだかんだと言っても、彼は「ありがとう」と言われる側の人間なのですよね。

楽しい時間でした♪

ネタバレなしで書こうと思いましたが、ラストの感想だけはどうしてもネタバレになってしまうので、画像の下に書きます。

ああ、物語のネタバレではないですが・・・。

 

あっ、そうそう。やっぱり「カイジ」はクズばっかり出てくるお話ですね。

小者のクズから、元クズだった男から、今も大いなるクズとか、詰めがいつも甘いクズとか、金の亡者のクズとか・・・・これ以上書くと、やっぱりネタバレになるな^^

 

 

昨日、「トップナイフ」を見て、やっぱり天海祐希は好きだなぁと思ったのですが、今日は嫌い。

いや、嘘です。

だけど、あのアマ~!!!  ←お下品で失礼^^

ってな気持ちにはなりますよ。

でも彼女のあの助言が無かったら、危なかったのかも知れないし、彼女の登場は微妙な感じですね。

「ファイナル」と銘打ったから、ゲストも多数でしたね。出ない人も映像だけの顔見世もあったし、サービスのようなものだったのでしょうか。

 

 しかし班長への分け前は良いのでしょうかね。気になりましたよ。

 

ラストは「カイジ」のお約束なようなものですよね。

「舌切り雀」の大きいつづらと小さいつづらではないのですから、しっかり中を確認しましょうよと思ってしまいます。

「底辺が似合う男」なんて思えませんが、億万長者のカイジなんかは、まったく似合わないとは思います。だけどあんなに頑張ったのですから、根こそぎ奪わないで300万くらいはあげて欲しいなと思ってしまいました。その数字はテキトーなものですが、私的に頂けたら、凄く嬉しく感じる金額なのかも(笑)

 

でも「キンキンに冷えてやがるぜ。」

と言うセリフで、「まっ、良いか。」ってな気持ちになるから、やっぱりカイジにはこんな場所が似合っているのでしょうね。

 

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すみだ北斎美術館にて『北斎視覚のマジック』

2020-01-11 22:20:18 | お出掛け日記

最初に、前の記事で

多くの方から「応援」をしていただきありがとうございました。

心から嬉しく思っています。

「すみだ北斎美術館」が出来た事を知ってから、ずっと行きたいと思っていました。

1月8日に、行く機会を得て行ってまいりました。

今やっているイベントは、小布施の「北斎館」の名品展である「北斎視覚のマジック展」をやっていました。

初めて行ったので、建物もかなり興味が深く感じました。

公園の遊具も、なんかかっこ良くて、美術館前であることを意識しているのかと思ってしまいました(笑)

ぐるりと回ってみましたが、感心したのは、どちらの方向から来ても入り口に入っていく事が出来る点です。それはどちらの方向にも出られるという事なんですね。

素敵なデザインの美術館だと思いました。

下の画像の作品が3階のホワイエに展示されていました。

お正月だからなのかなと、じっと見てきましたが、HPを見たら

『お正月を迎える風習を描いた北斎の肉筆画「新年風俗図(初夢・朝化粧)」(原画:フリーア美術館蔵)の綴プロジェクト高精細複製画を、お正月の時期に合わせて特別展示します。』とありました。

たぶん説明は書いてあったはずなのに、読まなかったのですね。

複製なのですね。本物の原画かと信じて見てきました(^_^;)

「新年風俗図(初夢・朝化粧)」(原画:フリーア美術館蔵)(高精細複製画) 双幅 

この企画展も常設展も展示数が多過ぎずに、かえって疲れずよく見る事が出来たように思います。

富嶽三十六景がかなりの数、展示されていましたが見応えがあって嬉しかったです。

浮世絵などは、やはり狭い家にも飾れそうだなと言うところにも魅力があるような気がしました。

また膝の上で飽きずに見続けると言うのも、いいよな~と思ってみたり。

 

やっぱり北斎は大好きです。

それに年齢に関係なく挑戦し続けた彼の生き様を思い、そして彼の作品を目にすると、なんだか「頑張ろう♪」と思えるところも良いですよね。

 

常設展の方に、北斎の絵を描く姿を再現しているコーナーがあるのですが、あまりのリアルさに、これまた吃驚しますよ~!!

近頃、絵葉書が増えすぎているので、「手紙魔」になろうかと、考えている所です。

なので今回は、下の本を買ってきました。

膝の上ではありませんが、ページを捲って気まぐれに楽しもうと思っています。

 

 

 

すみだは北斎の街。

近所には、このようなお店がありました。

織物のお店だったのかしら。作品が多数飾ってありましたが、お食事とお飲み物が頂けるカフェになっていました。

 

 

珈琲タイム。

コップの中の海。ちょっといい感じだったかも ♪

ちょっと癒された時間でした。

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自由が丘に行きました。その6

2020-01-09 14:25:48 | 家族スナップ

2019年12月12日に、俳優の梅宮辰夫さんが亡くなりました。

「やすらぎの刻」で主人公の父親役(幽霊で)として出ていたので驚きました。確かに痩せたとは思っていました。でもまだまだ元気で活躍するのかと、なんとなく思っていたからです。だけどこれを別のちょっと嫌な言い方をすると、あまり彼に興味を持っていなかったとも言えるんかもしれません。

それなのに彼が亡くなって、その生きざまを知ると、私は彼の闘病の生活に心打たれ大いに励まされたのでした。30年で6度の癌と闘ってとどこかで読みましたが、もっと違う所で詳しく読み直してみると、最初の癌告知は36歳の時だったというのです。

でも彼は活躍しながら81歳まで生きたのですよね。

梅宮さんは、自分の愛する家族のため、そしてご自身のために一生懸命生きられたのだと思います。だけどその病気に負けなかったその生きざまに、見も知らない私が励まされているのです。

16日の日に妹の病気を知って、正直メチャクチャ落ち込みました。だけど知らず知らずのうちに私は彼の事を考えていたのでした。

 

なんでもない毎日を送っているような私たちでも、知らないうちに誰かを助けていたり、誰かの考えるヒントになっていたり、誰かを励ましていたりするのかも知れません。

そしてもしかしたら、この私たち姉妹のエピソードも、見えない誰かの力にならないとは限らない事だと、私はそう信じているのです。

自由が丘に行きました。その5」の続きです。

 

※   ※

1月3日に母も連れて、また自由が丘の病院に行きました。

母は見た目は若いのですが、耳がどんどん聞こえなくなってしまって、話がかなりのトンチンカンですし、「もう」「もう」と牛の鳴くように「私は老人」というアピールをするので、どんどん年寄りくさくなっていって、嘆かわしく思っています。

どうせ鳴くのなら「まだまだ」と鳴いた方が良いに違いありませんよ。

そんな母の事を嘆きつつも、ちゃっかしお昼は奢ってもらう、いつまでも母と子供たちの構図を(敢えて)断ち切らない私たち。

 

 ←母は、今、歯が抜け掛かっていて、掛かっている歯医者が「抜けたら来てね~。」などとトンチキな事を言うので、こんなパスタでも硬くて食べられなかったのです。(何とかしなくちゃの案件ですね。)

 

3時の面会時間に間に合うように行ったのですが、1月3日なので、ちょっと早く着いてしまっても大丈夫だったみたいです。

病院に入った途端に、窓辺に佇む妹の連れ合いの写真が送られてきました。。

「こんな風に待ってるよ。」と言う意味なのかと思いました。

ところが後で聞くと、写真を拡大したらわかった事ですが、向こうから病院に向かって歩いてくる私たちが分かったので、それを撮ったみたいなんです。

豆粒だったので、(いや米粒よりも小さかったと言うべきでしょう)だから分からなかったのです。

 

談話コーナは私たち以外は誰もいなかったこともあってか、これが見舞いかと言うくらい賑やかでした。なんたって母と姉妹と姪も入れたら女が6人ですものね。

妹は日に日に良くなっていき、元気で明るかったです。

乳癌転移の脳腫瘍らしいので抗がん剤なども免れないようなのですが、それは先の話になるようです。放射線での治療の日程や、なんとなくの退院の予定はぼんやりとは決まったようです。

だけど手術の後遺症もなくて、快活に妹は手術の体験談とかその後の話とかをしてくれました。

私たちも、退院して体力が回復したら行こうと計画を立てている温泉への旅の話などをして、盛り上がりました。

 

「ラッタが言ってたよ。」と私は言いました。

「『3つの大病に打ち勝つ女、なんかすげぇなぁ。』って。」

「そうでしょう。エヘン。」

彼女が明るい事を良い事に、更に私はかなりろくでもないことを言いました。

「なんか続けて言うとゴロが良くてラップみたいよね。『乳癌・肺がん・脳腫瘍イエィ♪』」ってさ。

 

なんてことを言うんだ、この人はって今思った人もいるだろうなぁと思いますよ。いや、自分でも思いますもの。よそ様では絶対に通じない会話です。

ところがですよ、ここに頓珍漢な母がぶっ飛ぶようなことを言ったのです。

「さぁ、ここは病院だから長生きしちゃダメよ。」

「なんてことを言うのよ。せっかく強く頑張ろうとしているのに、長生きしちゃいけないのかい。」と妹が突っ込みます。

何を言い間違えたのか、皆分かっていてのツッコミです。母は本当に昔から、言葉をいい加減に話すのです。でもここでそれはまずいじゃないのよ~。

私はもう、ツッコミなど入れられないくらい笑っちゃって、深夜にひとりでお風呂に入っていた時も思い出して、声を出して笑ってしまいました。

あっ、そうそう。これは「長生き」ではなく「長居」の間違いで、うっかり「き」をつけてはダメですよね。

 

本当はラッタからの伝言の後に、私はこう続けました。

「本当にあなたは凄いと心の底から思ってるよ、私も。」

「明るいから?」

「いや、本当は違うと思ってる。」などと実も蓋もないようなことを言う私。

だって次から次へと襲ってくる病魔が辛くないわけがない。怖くないわけがない。悲しくないわけがないじゃないですか。

「だけどね、その仮面を被れること自体が、『凄いな!!』って本当に思ってるよ。」

 

「長生き」じゃなくて「長居」をしてはいけないので、話も盛り上がって楽しく名残惜しかったけれど、帰ることにしました。

病院を出た時に、ふと、そう言えば来るときと同じように上から見てみ送っているのかなと思い出し、見上げてみると、妹たちは家族3人で手を振ってくれていたのでした。

 

 (姪が上から撮ってくれました。)

MaskWomen 帰りまーす。

 

NYUUGANN   HAIGANN   NOUSYUYOU   YAY!

だけど彼女は負けないんだ。

だけど彼女は笑ってる。

NYUUGANN   HAIGANN   NOUSYUYOU   YAY !

ずっと一緒につるむんだ。

ずっと一緒に遊ぶんだ。 

ねっ、おとうさん !

 

そう言えば集中治療室で彼女がうっすらと目を開けた時、傍に若くてハンサムな男の人が、じっとこっちを見ていたんだって。

「なんだ、誰かと思ったらお父さんじゃない。なんでそんなに若いの ? 」って妹は心の中で話しかけたんだって。 

その話、ちょっと泣けました。

 

 

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自由が丘に行きました。その5

2020-01-08 00:13:48 | 家族スナップ

はっきり言って「その5」があるとは思いませんでした。「自由が丘」と言うところには、妹が病気になる前にも3度くらいは遊びに行ったように思います。雑貨のお店も多くて、結構楽しい街です。

この記事は、「お出掛け日記」ではありません。だけど次にこの街を訪れる時は、そんな感じになるのかと思っていたのです。

現に「自由が丘に行きました。その4」では、ほぼ「お出掛け日記」のような感じで楽しかった姉妹集会の事を書いたのです。

後は妹の体力回復と髪が伸びるのを待つばかりと思っていました。

 

だから、12月のline集会の時に、お正月の役割分担などを決めた時に、彼女が提案した手毬寿司の、作る係りの人たちを束ねると言う重大な役割が振られたのでした。

「頭が痛くって、3時に病院に予約を入れたから。」とその時、妹は言っていたのですが、お正月の事でも張り切っていたので、風邪でも引いたのかと思っていました。

それは12月13日の午後2時の話です。皆予定が詰まっているとの事で、最近盛り上がる事の多いline集会を30分で終えて解散したのでした。

私はその後はバイトの日だったので、バタバタと夕食を作って出掛け、帰った早々、吉田拓郎氏のラジオなどを聴いていたのです。その翌日は朝からまた別のお仕事なので早く寝なくちゃと言いながら、いつも通りの深夜になっていました。その時、充電させるために、バッグの中からスマホを取り出すと、そこにはトンデモない姉妹たちの会話が並んでいたのです。

それは彼女が病院に行く時、あまりの頭痛に吐いたとか、病院で診察を受けたら大きい病院に行くための紹介状を貰ったとかいうもの。

もちろん深夜だったので返事も出来ず、朝一番に、そのラインにコメント参加したものの、とにかく月曜日に大きな病院に行くまでは何もわからず、重い気持ちが波のように押し寄せてはきましたが、分かるまではジタバタせずに過ごす事にしました。

それで土曜日はバイトに行ったり、銀行回りなどをし、日曜日は習い事のイベントがあったので、それに参加。月曜日は、友人たちとランチの約束がしてあったので行きました。

土曜日も日曜日も、いつになく活発にlineでの会話がありました。私のイベントの報告などを聞いて貰ったり、一番下の妹の近況なども含めてでしたが、その時なんとなく彼女の打ち間違いが多いのが気になっていました。

それが時々、「どういう意味なんだろう。」と言うものが、紛れるようになってきたのです。

「あれっ、スマホが、なんか変。」と彼女は言いました。

今思うと、打ったものを読み直した時に、そのわけの分からない文を見て、妹はどんな気持ちになっていたのかと思うと、なんとなく切ないです。

月曜日は友人とのランチ。そのテーブルの上に出していたスマホが啼きました。

「このまま入院になりました。脳腫瘍でした。」

とそこにはこう書いてありました。

 

ちょっと予測はしていました。

だけどその文字は、やはり大きなショックでした。

珈琲のお替りをしに席を立ちましたが、そこは普通のドリンクバーとは違って、誰もいないひっそりとしたところにあったのです。思わず私は耐えきれず、しくしくと泣きました。

「酷すぎる・・・・・。」

肺の検査の結果を聞きに、姉と一緒に自由が丘に妹を訪ねて行ったのは、2019年の1月だったのですよ。「自由が丘に行きました。

もうすぐゴールかと思ったのに振り出しに戻された双六のようだと思いました。

「明日行く !!」と返信すると、そこに姉も一番下の妹も「私も!!」と並びました。

姉は本当は娘の子供たちを預かっているので、ひとりで夕方から向かうしかないと思っていた所、義兄が代わりに面倒を見るから一緒に行っておいでと言ってくれたのでした。

私も翌日のバイトのお休みを取るのに、ちょっとバタバタしました。もちろん気持ち良くお休みを頂く事は出来たのですが。

そして三人で軽いランチを頂いてから、病院に向かいました。

車いすに乗った妹は、すこぶる元気で明るく振る舞っていました。

あまりにも明るいので、私は逆に胸が痛くなりました。

いつか笑い話にする時の為にと、四人で写真を撮りました。

 

妹は月曜日に入院し、17日の火曜日に私たちのお見舞い、そして水曜日には諸々の検査をして、木曜日にはすぐに手術が決まりました。

驚いたことに翌日金曜日の夕方には、集中治療室を出て一般病棟に移ったのでした。

そしてその日にラインで報告が来ました。

思わず姉が「本人?」と聞いたくらいです。

 

きっとみんなの「元気玉」が効いたのかも知れません。

それは何かと言えば、私たちとそれぞれの子供たちで、主に旅行時に使うグループラインをしているのですが、水曜日と木曜日の朝、そこにみんなで応援エールを入れました。姉が「元気玉を送るよ。」と言う言葉を使い、私は思わず、その分かりやすさに頷きました。

私たちは、見せた側と見た側とで、皆「ドラゴンボール」世代なのです。みんなのエネルギーを少しずつ分けて、ヒーローの闘いを助けるのが「元気玉」です。

その時のみんなの言葉は、きっと元気玉になって妹の生命力の一部になったと、私は信じます。

 

お正月、流石に妹は来ることは出来ず、その家族も妹に付き添ってやって来ませんでした。

ならばこちらから行くと、1月3日の日にまたも自由が丘に行きました。

それは次の記事に続きます。

 

 

お土産に持って行ったプリン。

 

 

 

 

 

 

 

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「おばか選手権」で優勝した者は ?!

2020-01-05 03:00:45 | 家族スナップ

今の時代、悲しい事にと言うか情けない事に、馬と鹿がつるんで走り回っていると言う事もたくさんあるかと思いますが、これは我が家の小さな世界のお話です。

※    ※

夜、運転係だったルート君が、なんだか今日は直線を曲線にして走ったような一日だったとぼやきました。まあ、彼はこのような言い方はしませんが、そのような内容のボヤキでした。

「まあねえ。だけど考えてみると、そのような事は私の中では日常で・・・・・。」

 

※    ※

 

1月1日は、例年通り家を午前7時に出て横浜の実家に向かいました。

その前に、やはり横浜にて一人暮らしをしているラッタさんを迎えに行きました。

前日、彼に時間等の確認のメールを送った時に、いつになくご機嫌な軽い感じで「了解」という返事が来ました。その時、砂糖とか生協のお気に入りのポテチは要るかと聞くと、砂糖は一年分くらいあると言うので、箱買いしたポテチだけ持って行ってあげる事にしました。

昨晩ホイホイと返事が来たので油断したわけですが、着くと言う5分前に電話を入れると、なんとその電話で飛び起きた模様。

掛けておいた目覚ましでは起きられなかったのです。

彼は必ず朝シャワーの人。

私たちはその間に彼の部屋にワイワイと押しかけて、トイレなどに行き、そして急いで身支度をした彼と一緒に、新年の朝とは程遠いメニューの朝食を頂きに、デニーズに行ったのです。

 

そこでの男たちの会話は(特に夫殿の)、会社の馬と鹿はどうのとか、政治の馬と鹿はどうのとか、とにかくヤな感じ。

で、言いました。

「正月早々、おばかな人たちの話ばっかり聞きたくないわ。もっと楽しい話にしない?」

その時、ふと頭の中で今日の実家にての楽しくなるに違いないイベントの事が思い浮かんだのです。

我が家では一族でビンゴをするのですが、ほぼ同額の景品は持ちよりなので、ゲームをしながらのプレゼント交換のようなものなのです。参加資格はその「景品持ち寄り」なんです。

「あっ!!!」

ビンゴの事を思い浮べたので、思い出しました。

「ラッタさん、ビンゴの景品を持ってきた?」

「あー、忘れた。取りに戻らなくちゃ。」

ウンザリ顔のルート君。さっきの馬と鹿の話題が我が家レベルに降りてきてしまった夫。

 

まあ、それはともかく。

 

とりあえず、当初の予定敢行です。朝食を頂いたら、これまた例年通りの父のお墓参りに行きました。

ところがお墓に着いてみると、今度はバッグを先程のデニーズに忘れてきてしまった事が分かったラッタさん !!

皆お口あーんぐりですよ。

「取りに戻るのは良いけれど、だったら今度は運転してよ。」などとルート君がラッタ君に言うので、思わず

「絶対にヤッダ― !! 私。今日のこの人に命なんか預けられないわよ。」と押しとどめてしまいました。

朝の5時まで起きていたというラッタさんは、まだちゃんと目が覚めていなかった模様です。(単なるアホか。)

 

更にところが !!

お墓でラッタさんが車を降りると、彼の座席の横辺りに置いたと思い込んでいた、お年玉を入れておいた袋がありません。彼がバッグを忘れたと言ったので、私も座席に目が行き、その事に気が付いたのです。

家を出る時にはビンゴと3人分のビンゴの景品とすき焼き用のお鍋(大人数なのでいつもひとつは持参します。)など大荷物です。そこに箱買いしたポテチ、用意したお年玉。

ラッタさんの家でポテチは降ろすので、その箱を別の袋に入れて座席に置いておいたのです。その時にお金をお鍋と置いておくのもどうかと車の後ろに置いてある大荷物から抜いておいたのでした。

そのお年玉が無いのです。

いや、無いわけがないので、自分のバッグの中、もう一度大荷物の中と確認しましたがなかったのです。

お墓参りが終わり、またもデニーズによって彼の忘れ物を取りに行き、またも彼の家に忘れ物を取りに行きました。

ラッタさんの家で、トイレに行った時に廊下にでも落としたのかしら・・・・・。

夫殿が、

「この親にしてこの子有りだな。」などと言うので

「ええ、そうよ。この子は私の子供に間違いはないわ。だけどあなたの子かどうかは分からない事よね。」と癪に障ったので、正月早々ブラックな事を言う私。

部屋に帰ったラッタさんが、車で待つ私に電話をくれました。

「あったよ~。」と。

「えっ、どこに ? 廊下とか?」

「あるとしたら、ここしかないなと思った所にあった。」

「えええ ? どこ、それって。」と聞くと、

「ポテトチップスが入っていた袋の中さ。」

あああ、そうか~。私のやりそうなことだわ。

 

だけど、と、言う事は ?

ラッタさんがビンゴの景品を忘れなくても、いや忘れたからここにあると気が付いたわけで、(バッグも忘れたから、お年玉の入っている袋が無い事に気が付いたわけだし・・・)

「うん、なるほど~。ここに戻るのは運命だったのね。」

「だろ。」とラッタさん。

「こらっ」とルート君。

と言うわけで一件落着したのですが、夫殿のしつこいバカバカ攻撃が始まりそうな予感がしました。

事実

「まったく君たちは・・・・」となってきたので、

いや、事実、本当に脳内に馬と鹿を飼っている私なのですが、煩いのは鬱陶しいので

「昔からね、『馬鹿って言うやつがバカ』って言うでしょう。」

「何、その小学生みたいなセリフは。」

「だからね、馬鹿って言った回数を考えたら、あなたが一番よ。『おばか選手権』優勝~ !!! で、以上終了~!!!」

と言うわけで、夫殿が優勝したのでした。

 

※     ※

姉の手伝いをしながら、ふとルート君に

「今朝はここに至るまでにいろいろあって、疲れたね。」と話しかけていると、姉がさわやかな笑顔で

「どうしたの ?」と聞いてきました。

口を半分開けて、話そうとしましたが、思わず

「話し出すと、これ長いから。」

 

(結局のところ、やっぱ、私か。)←心の声

2020年の元旦からこれでは、私は今年ちゃんと生きていけるのだろうかと不安にもなりますが、まあ、一応頑張ろう・・・・。

 

 

 

 

 

 

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