森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

5月に見た映画のまとめ

2020-06-17 23:35:15 | 映画

もう6月も半ばですが、今年になって続けている1か月のまとめを書いて行きたいと思います。それに先んじて、5月に見た映画のまとめです。

まだすべておうちで見た映画です。

因みにそろそろ映画館にも行ってみようかなと、考えてはいるこの頃です。

映画の感想は、思い出した順番で書いていて、別に評価の高い順と言うわけではありません。

 

 5月26日にEテレにて鑑賞。

なんだかタイトルから、小学生の温泉旅館の若女将修行の根性奮戦記かと思ってしまいました。確かにそれもあったかも知れませんが、それは単なる根性ものなんかではありませんでした。事故で両親をいっきに失ってしまったおっこは優しい人々に見守られ、前に進んでいきます。その優しい人たちは、おばあちゃんや旅館の人たちばかりではなく、風変わりなお客さんたちや、そしてライバル旅館の意識の高い少女、そして幽霊たち・・・・。その優しさの表し方も、さまざま。そして最後の試練がやって来るのでした。

物語にも、少女の心情にも、そして取り巻く幽霊たちの気持ちにも、いろいろと感じて泣きっぱなし。

まあ、私は泣き虫なので、「泣いた」は評価の基準にはならないのですが、これはアニメではありますが(またこのようなタイトルでもありますが)、どなたさまにもお勧めできる良作だと言えると思います。

 

 1998年のアメリカのSF映画。凄く正直な気持ちで言うと、このメンツでこれか~ってな感じです。古い映画だから、そう感じるのかもしれません。今見ると、ちょっとB級映画っぽいなと感じました。

1000年経っても、その力を使いこなせる人はいないのではと思いました。古典的な雰囲気のSFを楽しみたい気分の時にはお勧めできる作品です。

あらすじは→こちらで(ラストのオチまで書いてあるのでご注意ください。)

 

 見始めて、「これ、韓国映画のリメイク ?」と夫殿に聞くと、そうだと言いました。どんなに日本人でリメイクしても韓国テイストを感じる、それって不思議ですね。韓国のドラマや映画も、日本のドラマなどをリメイクをたくさんしてるでしょう。それも日本的な部分が残るのかしら。

と言う事はさておいて、実は私、韓国ドラマはほとんど見ないと言っていますが(言ったことありましたっけ?)、それは恋愛ドラマに限ってで、韓国の刑事ドラマや映画はむしろ好きな方です。なぜかと言う部分は、ちょっと言葉を選ばなくては、書き言葉では難しい所があるかもしれませんので書きませんが、この作品も面白かったです。

犯人はすぐに分かってしまうのですよね。これは映像で見せるサスペンスの厳しい所だと思うのですが、それでもそこにたどり着くまでとかの流れが面白かったし、視力を失ってしまった元女性警官がと言うアイデアも魅せられました。

だけどこれはやはり日本映画なので、あくまでも私個人の願望なのですが、あの刑事は瀕死の重症で命ギリギリで助かって欲しかったです。ショックで意識がなかなか本筋に戻れなくなるのです。

でも映画自体の評価は高評価ですね。

韓国映画の方は「ブラインド」。いつか機会があったら見てみたいと思いました。

 

 見る側の視点で、正義と悪は分かれてしまう・・・・・。

会議室での攻防戦が、本当に面白く、ドキドキしながらも、なんだか勝ったような気分になる・・・・・。

が、ラストにある種のどんでん返しがやって来る。

今まで見てきたものがすべて違うように見えて来て、正義と悪がひっくり返ってしまうようにさえ思えてくる・・・・。

と言うような面白さがあり、この映画も高評価。分かります !

でも最初のシーンが、大和のラストから始まってしまうので、そこに乗っていた多くの若者の事を思うと、どんなに言葉を尽くした想いがそこにあっても、それは頭の中だけの理屈だよと私には感じてしまったのでした。

 

 5月19日、WOWOWで視聴。

これは映画サイトでの評価がイマイチでした。そうだろうなと思いました。でもそう思ったのは、つまらないとか駄作だと思ったからではなく、クドカンシナリオがぶっ飛んでいるからです。(きっと原作もそうなのかも知れませんね。)それで好きと嫌いが分かれるのだと思うのです。

昔テレビで「真夜中の弥次さん喜多さん」と言う映画を見たのですが、なんて言うか吃驚しました。その時の誰かの感想の中に、映画館で老夫婦が途中で黙って帰ったと言うのがあって、思わず頷いてしまったのでした。ところが私、それが癖になり、意外とクドカンの映画を見ているのですね。だけどある日、姑が阿部サダヲ主演のクドカン映画「なくもんか」が面白そうだから一緒に行きましょうと誘われて行ったことがあるのですが、私は映画館の中で、違った意味でドキドキしていました。その作品は、意外とフツウで面白くホッとしたのです。

綾野剛はその色気ある雰囲気で女性陣からの人気は揺るがないものがあると思います。もしもこの映画を綾野剛だし時代劇だしと言う事で、姑に誘われていたら、私は映画館で、心の中で悲鳴をあげ、そっと隣にいる姑の顔を覗き見たでしょう。それでも96歳の姑が「意外と面白かったわねぇ。」と言ったら、・・・・・・いや、言いそうな気もしますが、もしもそう言ったらば、ちょっと尊敬しちゃうかも。でもテレビで一緒にこの映画を見る事はないと思います。

わけが分からない。ぶっ飛んでいる。だけど面白い。そんな映画です。

そして何か、この物語の向こう側に何かあるのかと、考えてしまったりもするのです。

 

これ以下の映画は、映画館でも見た映画です。面白い映画は何度でも見ます。

 シリーズの中でも最高傑作だと思っています。

映画館で見た感想は→「アベンジャーズ/エンドゲーム」

 

 映画館で見た感想は→『メン・イン・ブラック インターナショナル』を見ました。

 

 映画館で見た感想は→「Diner ダイナー」を見ました。

どうしてそうなるのと言う理屈は要りませんね。ラスト終わらせ方が好きです。ホッとして微笑む事が出来終わると言うのも、映画では大事な要素ではないかしら。

 

と言うわけで、5月に見た映画の感想はこんなものだったように思います。


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#麒麟がくるまでお待ちください

2020-06-15 12:38:13 | ドラマ (大河)

「麒麟がくる」はしばらくはお休みになり、「麒麟が来ない」日曜日が少々続きそうですね。

だけど、収録再開は6月30日からと決まったようで、再び「麒麟がくる」日も近い事でしょう。

その間に放送されるのは、「麒麟がくるまでお待ちください」と言うもので、今までの大河の名シーン集ですね。

その第一回は「独眼竜政宗」でした。

1987年の作品で「梵天丸もかくありたい」と言う流行語を生みだし、平均視聴率39.7%、最終回の瞬間最高視聴率47.8%だった大河ドラマ絶頂期の代表作ですね。

 

私も見ていましたよ。面白かったですね。キャストの皆さんも本当に皆お若くてキラキラしていました。

せっかくなので、私もほんの少しだけ記憶をたどってこの作品を振り返ってみたいと思いました。

 

私は愛姫の桜田淳子さんの美しさが好きで、彼女のその政宗の妻役が気に入っていました。

娘の名前を五郎八と名付けて来た政宗に「ごろうっぱちだなんて。」と言うシーンは好きなシーンでした。

 

たった1時間でのハイライトなので、そこは取り上げられませんでしたが、私はこのドラマの中で最上義光の娘の駒姫の悲劇を知り、ずっと心に残りました。

前に山形旅行に行った時に、その歴史館に訪れて、その時は意識から遠のいていた彼女の悲劇をまた思い出したわけですが、最上義光は原田さんと言うのが、私の脳内で定着したイメージになり、その資料館でも、そのイメージで資料などを読み進めしみじみとしました。・・・・って、その事をブログにも書いていなかったっけ ?

と、思ってその山形旅行記を読んでみたら、書いてありましたね、同じ事が。(^_^;)

→ 山形市内観光

その時の駒姫は坂上香織さんと言う方だったのですが、可愛らしい方でしたよね。

 

番組内で取り上げられていた名シーンの一つは、やはり母による暗殺未遂事件のあのシーン。

母と子の確執、弟殺しとか書くと、やっぱり信長と被るものを感じてしまうのですが、まったく違うのですよね。この母は、梵天丸の時から、本当に子を愛おしく思っているし、兄弟にも慕い合う愛があったのですよね。

だから高視聴率だった最終回のシーンにはうるっと来てしまいました。

 

流石に33年前の作品で、ほとんど忘れています。

夫婦仲が最初は上手くいかなかったゴクミがボンヤリと庭を眺めているシーンや、畳に零れた砂金を、さも何でもないように払うシーンとか、そんなささやかなシーンは覚えていると言うのに。

だから最終回がどんなものだったのか、まったくでした。神々しく母が迎えに来てくれて、和解し今生を去って行くと言うのは言いラストでしたね。母が来た時に障子が歪んでいると言うのも良い演出でしたよね。

ああ、でも・・・・あれは、私の目が歪んでいたのかしら・・・・ちょっと自信が無くなってきました(^_^;)

 

覚えているシーンでは、本物の花押にしか入れていないと政宗が主張した鶺鴒(せきれい)の眼で有名なエピソードとかもありますが、死装束で秀吉に小田原で対面するシーンは印象深かったです。

そのシーンを見ていたら、夫殿が

「やっぱり勝新の秀吉は合わないよなぁ。」と言いました。

それを聞いて、私はイラッ―としました。何をいまさらと思ったからではありません。

33年前のその時、あなた様は同じ事を言ったのよ !!

 

と言うわけで、次回は「国盗り物語」で、それも楽しみですね。

 

コメント (2)
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朝飯前。

2020-06-14 11:11:40 | 物と私と片付けと掃除

ブログに書くと、なんとなく公言しているような気持ちにもなるじゃァないですか。

 

昨日の土曜日は終日雨でしたね。朝いちばんに買い物に行ったので、午前中で私はもう疲れてしまっていたのです。なんでかスーパーでの買い物があまり好きでなくて、いつもクタクタに疲れます。

服や雑貨やその他の不要不急じゃない買い物は楽しいのに、なんでなんでしょうね。

あっ、そう言えば、今度のコロナの自粛生活で、人生で大切な事や楽しい事は、皆その不要不急のモノの中にあったんだと誰かが言っていたのですが、言われてみれば本当にそう思えてくるのです。

で、お話を元に戻すと、午前中の買い物で疲れてしまったので午後からはゴロゴロとしようと思いましたが、「雨」と言うお天気が私を落ち着かなくさせるのでした。なぜなら「雨耕晴読」と言う記事の中で

>もうこれからは、雨が降ったらいつもベランダで土を篩に掛けたり、要らないプランタとお別れしたりいろいろとしようと思いました。

と書いたからです。

近頃の雨は皆夕方からと言う日が多かったので、なかなか予定通りには行きませんでした。その間に挿し木をしたかったので白いゼラニウムを貰ったり、紫蘇やコキアの苗を貰ったりしたので、仕方がなくピカピカとお日様が照っている時に土を作っていたりしていました。

それでも古い土をリサイクルして花たちを植え直したら、朝顔の双葉が出てきたり、これは何だろうかと言う芽が出てきたりで、やる事がずっとあるし、それよりも夫の趣味だった物の残骸や残骸とにかく残骸、それの処理(なぜか私がやる。)、土の整理。

今は「私のベランダ」を取り戻しつつあって、毎朝、そこで珈琲などを頂くのも楽しみになってきました。でも、ちょっと放置期間が長すぎました。畳半畳分の「何とかしなくちゃコーナー」が・・・・涙

で、疲れてゴロゴロしようと思った午後、その「畳半畳分の何とかしなくちゃコーナー」の整理に勤しんだわけです。

 

さすがに疲れたのか、夕食あと、WOWOWで映画を見た後ゲームなどをやっていたら急激に眠くなり、気分的にはいつもの夜の転寝でしたが、そのまま寝てしまいました。シャワーも浴びずに汚い子ちゃんです。

早く寝たと言っても、11時過ぎくらいですが、それでも一度にはたくさん寝る事が出来ない私なので、4時には起きてしまいました。4時半までは我慢して布団の中にいましたが、起きだして家事に勤しみました。

トイレ掃除に脱衣所の掃除、夜家事をしないで寝てしまったので、キッチンの片づけ、そしてお洗濯。今日も午後から雨だと夫が言っていましたが、それでも溜めるわけにはいかずマット類も全部洗いました。シャワーも浴びて7時半。そしていつも通りの朝食タイムでした。

 

と言うわけで、朝飯前に家事終了~。

正確に言えば、お洗濯はマット類も入れて3回洗いましたので、それらを干し終わっても9時でした。

 

最近の私は、いつもならその時間が家事スタートです。(昔は、朝ドラが始める前に終わっていたのに・・・。(:_;))

今のお仕事をまだちょっと続けたいと思っているので、今日みたいな事が続くとは思えないけれど、朝型もイイナと思いました。

 

これも以前にどこかで読んだ事ですが、「こんな事は朝飯前」と言う言葉もあるじゃないですか。簡単に終わる事と言う意味だと思うのですが、毎日の暮らしの中で、その朝飯前にやる事を決めて実行する事は良い事なのだそうです。その話は印象深かったので、時々私は意識してそれを実行することもあるのですが、ある程度の決め事をすると、後からの達成感も得られるかもしれないと、今考えている所なのです。

 

お掃除は頑張りだすと、あちらこちらに目がいって、果てしなくエンドレス。完璧主義は欠点だよと、先日も子供に言ったばかり。沼に落ちないように考えながらやっていきたいと思っています。考えながらと言うことは、脳トレになるって事かしら。

 

 

 

 


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囚われの姫と王子たち

2020-06-13 12:23:39 | 梢は歌う(日記)

上の画像は6月7日の月です。

月が昇る前、森が光っていました。それだけ月が明るく大きかったのだと思います。椅子に座っていた夫殿が窓の外を見て

「ああ、月が昇ったね。」と言いましたので、ベランダに出て撮ったのでした。ところが折しもちょうどその時、一筋の雲が月の光をさえぎって、まるで目や耳などをつけたくなるような月に姿になったのでした。なんかその姿が微笑ましく感じた私です。

 

毎日の生活はいつもとさして変わらないのに、やっぱり大きく違う毎日を過ごしている私たち。

みな様、お変わりありませんか。

 

私の周りは、結構疲れてしまっている人も多いのですよ。

 

緊急事態宣言が解除されても、再び感染者数が増えて来て東京アラートが発令されたりで、まだまだ油断が出来ない事だと思います。

東京に住んでいるスノウさんは(すぐ下の妹)、もう限界だと嘆きます。

一生懸命頑張って治療して生きようとしているのに、こんな生活を強いられるなら、何のために生きているのだろうと言う気持ちになって来てしまうんだと言いました。

浅はかな・・・・・とは言い切れない・・・・。

 

二世帯住宅の友達は、毎日傍に誰か孫がいて、その複数の孫たちがそれぞれに今日は午後から今日は朝からと不規則なスケジュールで、いつも心が休まらず、前に精神的にダメージを受けて安定剤を飲んでいた時の恐怖が蘇ってくると言いました。

 

その方とまったく同じ生活をしているのが、姉の蝶子さん。

私は全然平気よなんて言うけれど、目の下にクマが出来ていました。

 

先日、久しぶりに星子さんと会ってランチをしました。

その時の彼女の話は、強く印象に残りました。

新聞で読んだかテレビで言っていた事らしいのですが、人は罰則の為になぜ刑務所に入れられるのか。それは人間にとって「拘束」と言うのは一番の苦痛だから。だから刑務所に拘束されるだけで罰になるのだということ。

このコロナによって人々は皆、行動を規制されて、いわば見えない壁の中に放り込まれて拘束されているようなもの。だから人々は疲れ果て苦痛に感じてしまうのだ。

と言うようなものだったと思います。

もちろんこれはまた聞きのまた聞きになるわけですから、元の正確なお話と少し離れてしまっているかもしれませんが、あまり問題はないように思います。なぜなら、私は「そうか~」とすこぶる納得したからです。

 

シミュレーション !?」と言う記事の中で、今の生活は老後の生活のシミュレーションのようなものだと気が付いたと書きましたが、はっきりとその生活に不満を感じていました。散歩に行ったりして美しい風景にたくさん触れていた私は、けっこう今の生活のストレスを発散していた方だったと思うのです。それでもです。

それは海外旅行やそこまで行かなくても日本旅行、それさえも出来なくても、何も不満には感じないのです。ただ姉妹たちに電話を掛けて、

「じゃ、来週自由が丘でみんなで会いましょう。」と言えない事や、

「明後日実家に帰るね。」と自由に言えない、ただそれだけが不満だったのです。

または「あっ、そうだ。明日栃木に行ってみようかな。」と夜からチマチマと計画を立てて、朝早くからイソイソと出掛けて行く、そんな自由さがない事に。

 

見えない塀の中に囚われていたんだな、私たちは。

だったら、その塀の中で、出来る事を考えながら少しずつ今はやっていくしかないのだと思います。

 

久しぶりにお店で頂いた珈琲が美味しかったです。

そしてこの星子さんから聞いたこのお話、実はその日のうちに役に立ったのです。

 

夜はお仕事。

疲れ果てているのは大人たちだけではありません。

長いお休みだったとしても、夏休みのように楽しい事など何もなかったお休みに、子供たちの中にも参ってしまった子供たちもいるのです。このお休みの間に引きこもりになってしまって、学校が始まっても行く事が出来なくなってしまった子や、学校には行けても集団での授業が上手く受けられなくなってしまった子・・・・・・。

たまたまそんな子供とお話する機会がありました。

それで私は昼間に仕入れたその話をしました。

そして

「わたしはね、いつもなら『みんなも言ってます。』って言う言葉はどちらかと言うと嫌いです。いったい誰と誰と誰が言ってると言うの、具体的に名をあげなさいとか言ってしまう方。でもやっぱりみなさんはその言葉、好きじゃないですか。だけどその言葉は使いようによっては良い言葉ですね。いつ使うのって言ったら、今よ、それ。『みんなも言ってます、疲れたって。』『みんなも同じです。』って、言ってみると良いですよ。本当に疲れてしまっているのは、みーんなおんなじなのよ。自分だけじゃない。そう思うと、ほんのちょっとだけ気持ちが軽くなるかもしれませんよ。」

と付け加えて言うと、少女はにっこり笑いました。

 

姫は見えない塀の中に囚われてしまっている。だけど王子は助けには来ない。なぜなら王子もまた同じように囚われてしまっているから。

だけど今にこの塀は、誰かの明晰な頭脳と社会正義の気高い心で内側から崩壊するのです。

それまでは私たちはコロナ大魔王の罠に負けないように、手探りで足元も確かめながら、「楽しさ」を集めながら先に進んでいくしかないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 


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「わたしは真悟」を観ました。

2020-06-12 01:11:30 | 観劇・コンサート日記

wowowで放送され、録画しておいた「わたしは真悟」を観ました。

 

このお芝居の解説とあらすじを、wowowのHPから頂きました。

『高畑充希&門脇麦W主演!楳図かずおが1980年代に発表した伝説的SF長編マンガをフィリップ・ドゥクフレがミュージカル化。

工場見学で出会い、お互い恋に落ちた小学6年生の真鈴(高畑充希)と悟(門脇麦)。ただ純粋に愛し合う2人は、夏休みの間、工場にあった産業用アームロボットに自分たちの情報をインプットして遊んでいた。
しかし夏休みが終わると、真鈴は父親の転勤でイギリスに行くこととなり、2人に別れの時が訪れる。すると「結婚して子どもをつくろう」と言いだした真鈴。ロボットに子どものつくり方を聞くと、「333のテッペンからトビウツレ」という答えが返ってくる。そこで2人は、地上333メートルの東京タワーのてっぺんへと向かうのだった。
その後、真鈴と悟の情報をインプットされたロボットに、徐々に自我が芽生えていく。ロボットは真鈴と悟を自分の両親だと認識し、2人から1文字ずつもらい、自ら真悟(成河)と名乗る。離れ離れになってしまった真鈴と悟の身に危険が迫ったとき、真悟は2人を助けるために人知を超えた進化を始める…。』

 

なんだか分かったような気分になって、凄くしみじみとし感激もしたように思ったのですが、正直に自分のうちなる声を聞くと

「難しいなぁ、よく分からなかったなぁ。」と言う小さな声が聞こえてきたのです。

ー最初に言葉ありき。

単なる部品を組み立てるだけのロボットに、なぜ自我が目覚め育って行ったのか。

そして様々な事を学んだロボット真悟は、最後に何を学んだのか。

「ボクハイマデモキミヲアイシテル」

なんて美しい言葉なんだろう。

ただそれを伝えようとする真悟。

 

この作品の原作は楳図かずお。だからなのか悟の衣装が赤と白の縞々でした。

そして私にはもう、門脇さんは美少年にしか見えません。もちろん高畑さんの安定した歌唱力に心が響きます。

門脇さんと高畑さんのW主演と謳われていますが、私はもう一つ「×」を足して、真悟役の成河の名を対等に並べてみたいと思いました。

「門脇×高畑×成河」

難しくてよく分からなかったと思いながら、それでも心が揺れました。

 

そしてやっぱりこれは原作を読んで、「よく分からない」の壁を打ち破りたいと思いました。

この原作は1982年から1986年まで『ビッグコミックスピリッツ』に連載されたもので、かなり昔の作品です。ちょうどその頃、私は子供を産み育てていた頃で、世間のいろいろな事を知らずに生きていました。萩尾望都の新作も知らず、吉田拓郎の新曲も興味を持たず、テレビをつければ「お母さんと一緒」、漫画も「ドラゴンボール」の時代です。

このお芝居は、そんな私に、知らずに過ぎてしまった過去の名作を教えてくれたと言うところにも、私的には大きな意味があったように思いました。

 

 

ミュージカル『わたしは真悟』 ダイジェスト映像

 


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「魔法少女まどか☆マギカ」を読みました。

2020-06-11 08:34:03 | 漫画・マンガ・まんが

 

この漫画の感想を書くのに、ふと自分が18歳だったら良かったのにな、いや、18でなくてもに28歳ぐらいだったら良かったのになと思いました。

しかし現実は、私はもうー。

今時の絵柄であり、若い人たちを中心に絶大なる支持を受けているこの作品の感想をまじめに書くのは、ちょっと気恥しいような気もするからです。

だけどいつも言ってることですが、実は人間の中身は歳を重ねたとしても若い時とそうそう大差ないのだと私は思っているのです。それを実感させるもの、またはあぶりだすものが、この作品にはあったように思いました。

ただ歳を重ねていく事で感性が失われて行くということは確かにあると思います。反面、それによって培われる経験値もあるわけで、また違った視点を得る事が出来ると言う事も確かな事だと思うのです。

18歳の私だったら、この物語を今のように感じる事が出来ただろうか、28歳の私に同じように感じる事が出来たのか、むしろ疑問に感じるのでした。

この物語には、大人はほとんど出てきません。自分の私生活をさりげなく晒してしまう子供じみた担任の先生とか、ヒロインの若い母親ぐらいで、後はせいぜい魔女に影響を受けた通りすがり程度。

少女たちの宇宙。それがこの作品の世界なのだと思います。

だから自分がその世界に引きづり込まれ、かつて自分の中にいた冒険少女が目覚めてしまうのか。それとも突き放した大人の目で、そのヒロインたちを見守ってしまうのか、それさえもよく分からないのですが、ひたすら涙が出るのでした。

 

中学二年生、たった14歳かそこらの少女。

「魔法少女」と言う言葉に、そのコスプレのスケッチなどして世界を救うヒロインの可愛らしい夢を見る。同じ秘密を知る友と笑い合いながら。

この子たちは本当に可愛い !!!

「僕と契約して魔法少女になって。」と言うキュウベイも、とっても可愛らしいキャラ。だけどそれはありがちな、どんな時にもヒロインと一緒に居て、困った時には手を貸し決して裏切らないとっても大事な友達、と言うようなキャラではなかったのでした。

 

次々と暴かれて行く残酷な真実に少女たちは、如何に立ち向かっていったのかー。

物語的に凄い発想で今までにない斬新さを感じました。

しかもこの絵柄で・・・・・。

この絵の感覚って、本当に「今」と言う感じがするのです。そしてもしかしたら、この絵から感じるのは、この作品を愛する多数の人は男性なのかしら。

 

そうだとしたら、何で私はあんなに泣いたかなぁ。

少女たちの持つ一瞬の煌めきが、宝石の中に閉じ込められたような、そんな光りを放っているからでしょうか。かつての自分の過去を懐かしむように。

いいえ、それは違います。

私には、あんなに可愛らしく笑ったり友情のためだけに生きたり、美しさだけで成り立っているような少女時代などなく、別の物語の住人だったと思います。

もしかしたらそれ故だったのかも。

リアル世界にはないような理想の少女たちの世界だったから。

まがまがしい世界観と、綺麗で純粋な心の少女たち。確かに嫉妬や羨望、臆病になってひるむなどあったかもしれませんが、いつも最後は他者の幸せを願っている少女たち。見事に作り込まれた物語に多くの人が感心し支持したのではないかと思いました。

 

今のところ、ラッタさんの本箱の漫画を何作品か読んでいて、この作品が一番心が動いたのですが、だからと言ってバトルシーンが多数なので、このブログの読者様(たぶんワタクシと同年代の方が多いのではないかと。)には「イチオシ」と言う言葉は使いづらいです。(^_^;)

ただ「知っている」「興味がある」と言う事が、それだけで歳を重ねる事で知らず知らずに実行されている自身の中の放出を、多少なりとも食い止めるばんそうこうのような力を発揮する場合もあると思います。

また私の場合は、お仕事の場所でいつと言う約束など無いことですが、意外とね、役に立つことも多いのですよ^^

もちろんそんな計算もなく、ただ面白そうだから読んだにすぎない事なのですが、読んで良かったです。

 

 

↑ これはちょっと別物かな。「まどか」も「おりこ」もかなり重いので、この軽さには救われるかも。

・・・・


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名探偵ポワロ第3話「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」/ The Adventure of Jonnie Waverly

2020-06-10 01:00:49 | 海外ドラマ

このポワロシリーズの感想には、なぜか全く関係のない画像をトップに持ってくるのも3回目。いつまで続くか分かりませんが、とりあえず意味もなくやっています。6月3日の夕日です。

 

気まぐれに「名探偵ポワロ」の感想を更新しています。

「名探偵ポワロ」はBSプレミアムで毎週土曜日5時台に放送中。

AXNミステリーにても7月27日に、1話から4話までの一挙放送あり。

また、GYAO!にても配信中。チェックしてみてくださいね。

 

『ポワロは「金を払わなければ、明日12時、子供をさらう。」という脅迫文が届いた元大地主ウェイバリー氏から相談を受ける。脅迫はこれで2度目か3度目に なるという。ポワロはウェイバリー氏と共に、ジャップ警部のもとを訪れるが警部は本気で相手にしない。しかしポワロはこの事件の依頼を引き受ける。予告通 り、ジョニーが誘拐される。』AXNミステリーより

 

やっぱりアガサは、ミステリーの古典で基本かなと感じてしまいます。

とりあえず最初はミステリー部分無しの感想ですが、お話の内容のネタバレはしています。

私、このお話で一番印象深かったのは、ポワロがイギリス式朝食に拘った点なんです。

ヘイスティングはお米が入っているからインド式って言ってたけれど、おかゆっぽかったので中国式なんじゃないかしら。

だけどあくまでもドラマの中ではインド式と言っているので、いったいインド式の朝食と言うのはどのようなものなのか興味があります。ミルクで炊いたリゾットのようなものかしら・・・・・・ああ、気になるな。

と言うわけで、またもインド式朝食と言うのを検索してみたけれど、美味しそうな画像ばかり出て来て、ヘイスティングが不味そうに食べていたようなものはなかったのでした。

 

しかし有名なイギリス式朝食でカリカリベーコンとか卵を食べようと楽しみに起きて来たのに、おかゆでは元気も出ませんよね。

でも本当の中国式のおかゆだったらいろいろ入っていて結構美味しかったはずなんだけれど、男の人にはあまり受けないと思うのです。ドラマには関係のない話ですが、或る日中華街のおかゆモーニングに子供たちと一緒に行こうとしたら、拒否られてコメダのモーニングになった事があるのです。

それはともかく、結局はその朝食が原因でジョニーが誘拐された時に、居合わせる事が出来なかったと言えなくもない。

二人で村に繰り出して、素敵な木陰で朝からビールまで飲んで朝食を楽しみ、挙句車が動かなくなって、間に合わなかったと言う・・・ああ…という展開になりました。

 

お茶の正確な時間に拘ったりと、なんとなくポワロらしいエピソードだと思います。そして次に気になったのは、まさにいい気分になって二人で車の中で歌う歌。

これはマザーグースか何かの歌なのかと、これも調べてみたけれど、とうとうわからずじまい。

「ひとりの男が牧場へ干し草刈りに」と言うタイトルのがあって、私的にはこれが怪しいと思っているのですが、歌詞までは検索で出てこないので、確認できないのです。

ただ分かった事は、ポワロは長く愛されて何度も放送されていて、感想を書いている方も多数いらっしゃるみたいで、この歌の検索でいくつかのブログに辿り着いたのですが、皆この回の感想に、このポワロとヘイスティングの歌の事をあげていましたね。

「2人の男、牧場で草刈、2人と1人と🐕1匹♪」

何回聴いても、ええととなってしまいます。とにかく一人ずつ増えていきどんどん早口言葉みたいになっていくのですよね。

この歌、ちゃんと知りたいなぁ~。

 

後、気になったミステリー以外の点は、ミスレモンのスキルの高さ。あのファイルではパソコンの検索機能にも匹敵するのではないかと思いました。

それから古い屋敷では、カトリックの牧師をいざという時に逃がすためにトンネルがある・・・・・・って、これも素敵ですね。ロマンを感じます。

と言うわけで、ミステリー部分の感想を少々。

アガサが古典で基本と思うのは、ドラマでこういう誘拐事件が起きた時に、一番先に親を疑うということを教えてくれたのは、アガサだったからじゃないかと思うからです。

だけどそうじゃないのだとしたら、犯人や誘拐のトリックなど、意外と誰もが知っているものではないかしら。時計をずらすなんて怪人二十面相なんかがよく使う手ですよね。

 

しかしお金持ちは大変ですね。妻がたくさんお金を持っていても夫とは別で、彼は四苦八苦していたのですね。妻は嫁いだ先の家の改修費も出さず、子供の身代金を「私が出す」とも口にせず泣くばかり。あの夫はこの先どうやって妻からお金を引き出すつもりだったのかしら。

だけどウェイバリー氏はなぜポワロに依頼なんかしちゃったのかしら。

罪を暴かれて、その上ポワロに支払いをせねばならないわけで、財政が困難なくせに更に出費をすることになってしまったのでした。

 

 

 

 


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麒麟がくる 第二十一回「決戦 ! 桶狭間」

2020-06-09 00:34:10 | ドラマ (大河)

とうとう「桶狭間」。

そしてしばらくお休み。

ちょっとロスになりそうです。だけど一応ですが緊急事態宣言も解除しているので、気を付けながらの撮影は可能で、しばらく我慢していれば、再開の日はきっと近いと思いますし、そう信じたいです。

しかし、ここまでやってくれてのお休みは本当に良かったですよね。一回前でだったら、なんか相当なストレスになったと思いますから。

やはり「桶狭間」と言うと、特別な力があるのか、いつもならナガラ見の夫が真剣に見ていました。そして

「やっぱり今川は、これの前に軍師を失った事が大きいよな。じゃなかったら、こんな戦い方はしなかったはずだ。」などと、まだドラマは始まったばかりで信長も出陣さえしていないのにそう言いました。私もそう思うし反論などありません。

珍しく私に感想などを行って来たので、私も言いました。

「どうせ、これはこの作者の(史実を基にした)フィクションなんだから、(光秀は)周辺をチョロチョロしてるだけでなくて、彼の重要な発案で桶狭間に行ったぐらいにしちゃえばいいのにね。」

「そりゃ、無理だろ。」と夫殿。

そうかなぁ~。やっちゃうライターさんもいるじゃない。

本能寺で襖を開けたら、江の幻影って・・・・←これ、けっこう、トラウマ。

本当はこういうのって嫌いなんだけれど、見せ場で脇役の主役って、本当に厳しいなぁって前回も言ったかもしれないのですが、そう思っているのです。

 

だけど限られた出番で、しっかりアピールって大事ですよね。

戦いの後の一杯の水を差しだす光秀。なんか美しいシーンだと思いました。

この時の会話で、光秀の中に、この男とならば、いわば道三の遺言でもあった「大きな国」を作っていけるかもしれないと言う、確信のようなものが生まれたのかも知れませんね。

信長を見送る光秀の心中はいかに。

良い所で終わりました !!

 

とラストシーンに触れて、もう感想も終わっちゃたかのような感じになってしまいましたが、いろいろと感じた事も多かったので、もう少し書かせてくださいね。(もう少しと言いつつ、少々長いです。)

数が圧倒的に違う出陣に、本当に心配そうな顔で見つめる帰蝶。信長と帰蝶を見ていて、この二人は本当に良い夫婦で、どんなに短い時間だったと言っても、帰蝶には信長のような人がいて、信長には帰蝶のような妻が居て良かったなと思いました。だけどこの先、帰蝶は他の妻に産ませた子供たちを見てどう思うのかなと続けて思ったのでした。

そしたらですね、いきなり出てきたのですね、長男が。

えっー !!

ここで ?

と、思いましたが、ある意味上手いですよね。これぞどさくさに紛れてと言う感じです。これはこの時代には仕方がない事とちゃんと分かってはいても、いきなりでもあるし、何かやっぱりショックだったと思うのです。

「えっと、えっと、えっと」とプチパニックになっている所で、信長は走って去って行きます。

信長はいつも走ってる、家の中で。

ちょっと好きな演出です^^

 

「桶狭間」って、皆それぞれの記憶の中の「桶狭間」って無いですか。

私の中の「桶狭間」って、いわば夜討ちのようなイメージがあるのです。雨の中ドドドと油断している今川勢に攻め込む織田勢。

今川勢は、自分たちの勝利を疑っていないものだから、前祝のように泥酔していた・・・・のようなイメージ。

そんな風に思うと、だいぶイメージは違っていましたね(^_^;)

 

だけどこれはこれで良かったです。

今川が破れた理由は、確かに軍師不在もあったかも知れませんが、やはり油断もあり、それと共に傲慢であったからとも言えるかもしれないと思ったのでした。その傲慢が不運を招いたのだなと感じました。この戦いの最中に「三河の守」になる・・・・・。

もう人の気持ちなど全く分からないものになってしまっていたのですね。

心を持っている人間を、将棋の駒のように動かそうとした。だけど元康は最後の一番肝心な時に動きませんでした。

人間だから。

元康の事に触れたので、彼の事だけを先に書くと、戦いが終わって駒から貰ったお守りの薬をじっと見る元康は何を思っていたのでしょうか。

そんな彼は駒に手紙を書いて、その後の近況を伝えました。

母と16年ぶりに再会できたこと。お互いに泣いてばかりでまともに話が出来なかった事。そして三河に帰れることになった事。

信長の沙汰も、他の今川の武将たちとは違うものになったと駒と東庵の会話で分かります。きっと信長に、大事な局面で元康は動かず、動かない事で信長を援護したことをちゃんと伝えるものが居て、それを信長は理解したのだと思いました。

 

その駒にも良い事がありましたね。

門外不出の秘伝の丸薬の作り方を書いた紙を貰うのですから。

愛されキャラの駒ですね。

 

そして話をまた「桶狭間」に戻すとですね、信長の勝機はアレですね、あのコロナで言われている

「正しく恐れよ。」と言うあれ。

今川の大軍と言う数で右往左往せず、その数は本当なのかと検証をしていったのですね。それも信長は父の言葉からヒントを得たようです。

この時の数の引き算は、HPに載っています。

ちょっとそれを、こちらに持ってきましょう。

今川本軍は20000.

鳴海城への援軍が-3000。鷲頭砦に2000。丸堤砦に2000。駿府に残した軍勢が6000。で残りは7000。

更に信長はこちらの兵を300投入して、今川軍の1000をひきはがします。

これならいけると、出陣をするわけですが、その時折しも豪雨が・・・・。

その雨を逃れるために移動して、今川義元周辺はすっかり手薄になってしまいます。

そこに織田勢がなだれ込むのですから、堪ったものではないですよね。

 

織田勢にしても今川勢にしても、兵たちがドドドと言う感じにはならなかったのは、意外とnhkらしくない感じがしました。ゆえにこれはいつ撮ったのだろうかと、ふと思いました。裏方では、本当にいろんなものと闘いながら、これを撮ったのかもしれません。

兵たちのドドド感はイマイチでも、演出は最高でしたね。

毛利新介の八艘飛び・・・・違うって。

だけど真上からビューンと飛んできて、その姿が義元の瞳に映って・・・・・ウワァてな感じがしましたね。

この時義元は何を思っていたのだろうかと、やはり考えてしまったのでした。何も考える時間はなかったと思います。それでもあの時、この時と悔いの想いが矢のように走ったのに違いありません。

片岡愛之助さんは、目が乾く~なんて事を思っていたかも知れませんが。^^

 

そして再びラストシーン。

水を所望した信長は光秀に褒めてくれるかと問います。

もちろんですと応えると、信長は嬉しそうでした。そしてまた父にも母にも褒めてもらえなかった過去を語るのでした。

「帰蝶さまは ?」と光秀が問うと

「あれは何でも褒めてくれる。帰蝶は母親ぞ。」と言いました。

光秀もその言葉には驚いたようでした。大事に思っている女性を「母親」と言われたのですから、「どういう意味 ?」とちょっとなったのかもしれません。

私ぐらいの年齢になってくると、時々凄く優しい気持ちになった時は(時々 ?!)、「私がお母さんになってあげよう。」みたいに思う事もあるのです。だけどまだ子供を産んでいないような女性を「母親」と言ったのですから、耳がピッキーンとなりました。

だけど今度は彼女のために美濃を取ると言う信長。

母とは、自分の完全なる身内であり、または信長の一部であると、彼は言いたかったのかもしれませんね。

 

と言うわけで、終わりですが、何かいろいろと見落としているかもしれません。

だけどなんたって「ドドド」「ビューン」に「ウワァ」のブログ記事なので、見逃しの一つ二つはあるだろうと、ご勘弁願いたく・・・。

是非また近いうちに、お会いしたいと願っています。

 

 

 

 


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「ああ、そうだったのか。」

2020-06-07 15:45:34 | 思いつくまま

私たちは生まれてくる時に、

何も知らされずに誕生してくる。

そしてそれから、

何も分からずに生きていく。

そして何んにも分からないまま死んでいく。

 

確かに、生まれて死んでいくまでの間に多くの知識を得る事でしょう。

でもその知識は、どんなに人類の今や未来のために役立つ知識であったとしても

生きて死んでいく間に役に立つ知識でしかないわけで、

今目の前のご飯を食べるのに必要な箸と大差ない大事さなんじゃないかしら。

それはけっして軽んじて言っているわけじゃないの。

生きて死んでいく間に役に立つ知識こそ、最重要事項よね。

だって、私たち

生きて死んでいくまでの世界が、自分で認識できるすべての世界なんだもね。

 

とうとう何もわからずじまいなのかと思うのは、

命は何処から来てどこに去るのか

何のために生まれて来て、また死んでいくのだろうか

それよりも

宇宙とは何なのか

宇宙とはどこに存在し、その存在が消えた時に、そこには何があるのか。

人間の脳の許容範囲を超えているのか、

考えだすと狂い出しそうになる。

あっ、失礼しました。

「人間の脳」などと、皆を巻き込んでは行けなかった。

「私の脳」と言うべきなんだろうね。

 

私には量子力学とか科学から答えに辿り着くには、そうとうの年月を待たなければならないような気がしてしまう。

 

子供の時には、死ぬその時に

パァァァぁあと

光が目の前に広がって

「ああ、そうだったのか。」と、すべてが分かるような気がしていたんだ。

なんでかそう思い込んでいたんだよ。

だからそれはいつか未来のお愉しみみたいにも思えていた。

つまり死ぬときのお愉しみ。

本当にそうだったらいいのになあ。

 

だけどそれは子供時代の思い込みで、人はただ死んでいくのではないかと

なんだか分かって来ちゃったんだよね。

 

だからね

命の秘密を

人は生まれた時にも何も知らず

そして、何もわからずに生きて

また

何も分からないまま死んでいくんだ。

 

ああ、だけど

本当の事は分からないよね。

だって本当に死んだ人に聞いたことないでしょう。

 

人は根拠なく思う時、何か無意識のうちに計算していたり、

過去の経験を通しての思考だったりすることがあるでしょう。

子供の時に思い込んでいた

死ぬときに何かが分かると言うのは、もしかしたら完全な間違いとは言えないかも知れないじゃない。

 

人間なんかちっぽけな存在だから、すべてなんかが分かるわけがないかもしれないね。

それでも

死は魂が老いたり損壊したりで維持できなくなった肉体を捨て去る儀式だったとしたら、

その魂は解放されて

いろいろなものを一気に見たり、広い世界を見渡す事が出来るかもしれない。

そして

「ああ、そうだったのか。」と、思えるような事が何か一つでもあるかもしれないじゃない。

 

 

いや、むしろ

今はそうであって欲しいなと私は思っている。

そして願ってもいる。

「ああ、そうだったのか。そんな事があったのか。そんな風に生きて来たのか。

そんな風に思っていたのか。そんな所にいたんだね。」

もう腕はないんだ。地上に置いて来てしまったからね。

それでも残像の腕を差し出して、記憶の中の少女を抱きしめる・・・

命の秘密などと、大それたことが分からなくても、

一生懸命に生きたご褒美に、

たった一つの真実を

どうか

彼に教えてあげて欲しい。

 

心の底からそう思う。

 

 

※横田滋さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 


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「うさぎドロップ」を読みました。

2020-06-06 01:38:01 | 漫画・マンガ・まんが

 

この作品は、松山ケンイチと芦田愛菜との出演で映画化されていた事は知っていましたが、未見です。

祖父の葬式で隠し子であるりんの存在を知り、その子の扱いに困っている親戚たちの会話から、勢いで引き取る事になってしまった大吉の子育て奮戦記かと思って読み始めました。

確かに最初は子育て奮戦記。

けっこう仕事も出来る大吉なのに、りんを育てるために部署を変えてもらったり、職場の人たちに体験談を聞きまくって、新しい人間関係を築いたりでなかなか面白かったです。

やんちゃマックスのコウキとその美しいシングルマザーの母と知りあったり、りんが小学校に上がるとパパ友が出来たりと楽しいです。

またりんの母親が、ぶっ飛びの設定で興味深いのですね。

そのりんの母親、正子との歩み寄りや、コウキの母とのラブストーリーも絡めて、物語が進んでいくのかと思ったら、5巻でいきなり、りんは高校生になっていました。

りんとコウキの青春物語が中心に・・・・・。

なんかあまり面白く無くなって来たなと思いつつ、読み進めていくと、話はそう単純ではなくて、安易に上手くいかない所がなど、ちょっとやきもきさせて引っ張られました。

 

しかしふと、30歳の独身男だった大吉が、40になっている姿を見て、メチャクチャ可哀想に感じてしまったのです。だから私が、ちょっとつまらなくなったと感じた5巻からも読み進めたのは、彼になんか良い事が起きないかなと思っていたからだと思います。例えばコウキの母と上手くいくとか・・・・。

 

これ、ハッピーエンド。

だけどこの終わり方に、なんか気持ち悪いんじゃないと思う方もいると思うのですよ。

愛がすべての少女漫画には、昔からこの手のお話には、もっとどぎついものもたくさんあって、読み慣れているので、私は許容範囲です。

だけど、

 

☆  ☆   ☆  以下ネタバレしています。

 

私もその本を閉じて、ふとリアルにそのようなカップルがいたら、自分の妻を育てた「源氏物語」のようなものだなと思いつつ、ちょっとだけ道徳心がうずきます。

実は私、日本が誇る大ベストセラー作品である「源氏物語」の紫の上のお話にも、ちょっと嫌悪感を感じるのです。あれは本当に酷い話だと思いますよ。可愛いからって誘拐してきて、自分の理想の妻を育てるのですものね。

ところが古から、それが「素敵~!!」っていう認識になっているのでしょう。作者が女性って言う事を考えると、女性の心理の中に、そう言う潜在的願望があるのだろうかと首を傾げたくなるのです。あっ、これって「源氏物語」の話ですよ。

そんな事を考えていると、エディプスコンプレックスの何チャラかんチャラとか考えだしてしまうので、これは漫画だと言う結論で終わりにしたいと思います。

何が言いたいのかと言うと、大吉に良い事はありました。りんを妻に向かえ、二人はずっと幸せに生きていくと思います。

10巻は本編には描ききれなかったエピソードが収められています。

コウキのその後なども。また正子さんの新しいパートナーとのエピソードは凄く良かったし、大吉とりんのその後も、良かったです。

 

うちのラッタさん、本編の最終回以降の10巻まで買ってあったのは、やはり最後が気になったし、ちゃんといろいろと見届けたいような気持ちになったからなのかと思いました。

今度会った時に聞いてみよう。

・・・・・

 

 

 

・・・


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