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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

百鬼夜行抄 28

2020-10-21 20:26:11 | 漫画・マンガ・まんが

帯に「祝!連載25周年!!」と書いてありました。

私は全巻読んでいますが、その途中からの参戦です。

文庫で読んでいるので、今は一年に一回のお楽しみになってきました。

これには本当に熱い思い入れがあったりもして、大好きな作品なのです。

 

以前は、物語の冒頭の導入の部分が、何とも言えないような美しさがありまた儚さもありで、心惹かれていました。ただいつも(私には)その冒頭から物語に入って行く部分の流れが分かり辛く、最初の方だけ読み直すのが必至でした。しかしまたいつの間にかそれが無くなっていたなと感じていたのです。

ところが、今回もやっぱり分かり辛さが・・・・・。

それは最初の部分にではなく、むしろクライマックスにそれを感じてしまい、やはり私には読み見直しは必須でした。

最近の、いやもしかしたら最近ではないかも知れませんが、クライマックスで複数の場面で絡み合って起きていることが描かれているように思うのです。

頭の中で映像化すると、かなりの迫力が有り恐怖を感じます。その複数場面での出来事は、時には主人公でさえその真実を知らなかったりして、後で単に起きていた事として知らされるのですから。

ただこれは長々とこの物語に付き合っているから、脳内映像化が叶うのではないかと思うのです。

 

ここまで正直に書くのはどうかと、本当は悩みました。だけどこのブログは、私の感想を書く場所であり、別に世間の代表意見でもない事なので、今この時にどのように(私が)感じたのかを書いておきたいと思いました。

何を感じたのかと言うと、せっかくのクライマックス場面は、要はページ数が足りないに過ぎず、コマワリに読む者が分かりやすい絵が配置されていないにすぎないように感じたのです。

しみじみと想う事は、作品がありそこに名を残していくのは作者のみですが、本当はそこには読み手からは姿が見えない妖魔のような編集さんがいるのですよね。

もっと恐ろしくて強い妖魔さんと、この先もずっとずっと30周年、35周年を目指して頑張っていただきたいと思います。

 

その頃、律は流石に大学生から院生ぐらいにはなっているのでしょうか。

 

さて今回のお話は、

「誰かがつけた鈴の音」

もしかしたら遺品整理屋さんには開さんのような人は必要かもね。この仕事って、これからは凄く需要がありそうだし、だけど鉄道の事故処理の人よりも、かなりきついだろうなって、本当に思います。不動屋さんに遺品整理屋さん。開さんの需要は意外とあるのかも。

「首くくりの系譜」

『私が全部持って行く・・・』と言う言葉で、リアルで怖い話を思い出し震えました。そのお話聞きたいですか ?

でも怖くて書けないから、無理かも。

あのね。。。。。。私の周り、少々不思議な人たちが居て・・・・・だから私はこの物語が好きなんだと思います。

「あやかし達との一夜」

微妙に怖くて微妙に面白い。だけど不思議な力を持つ一族でも、遠く離れた所にわけも分からずに居る一族のひとりは、それゆえに怖さも増しそうです。

「潮流の果てより」

一番怖かったです。水脈さんの一族には、またいろいろな事があって、切なく悲しい物語でもありました。こんな事なら伶と水脈さんは離ればなれにならない方が良かったのでは、ふと思ってしまいました。

 

 

 

 

・・・・・・


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日光浴ノート2020《湯ノ湖半周ハイキング》

2020-10-20 00:05:00 | お出掛け日記

いつもながらの花子・星子の弥次喜多旅行記なので、何もないわけではないのですが、「何もないわけではない」と言う部分は、後から書かせて頂くことにします。

二日目の計画は、まず最初にホテルの周辺を散策しつつ湯ノ湖に出て、そこを1周、そしてまたバスに乗り赤沼まで行って・・・・

と言いながら、いつも星子さんに計画は丸投げで、その先をちゃんと聞いてなかったような気がします。確かこの二日目は星子さん自体も「テキトー」だったような気もするのです。←違う?

この「テキトー」と言うのは、B型人間には最高な企画でして、湯ノ湖の途中まで行ったら、湯滝のてっぺんの所に出て、そこから水がドドドと落ちて行くのを見ていたら、もうそこから滝に沿って行くと言うコースに変更です。

湯ノ湖に来たのは初めてで、およそ4分の1ぐらいを残してしまったなと言うイメージだったのですが、後から地図を見てみたら、ほぼ2分の1残してしまいました。

湯ノ湖は本当に美しくて心の底から感激しました。その風景を半分も残したのかと思うと、今頃ちょっとだけ心残りのような気持ちがムクリと心の中で目覚めたような気がしてしまいました。

と言う事は、また行かなくちゃね、日光♪

 

以下は、その美しくて心の底から感激した「湯ノ湖」の写真日記です。

ただそれが伝わるか否かは、あまり自信はありません。

 

湖側も綺麗ですが

見上げる事が出来る山側も綺麗です。

向こうの岸に見える風景が「カナダっぽいね。」なんて言ってみたりして・・・。

 

 

 「湯ノ湖」から

水は湯川に流れていき

 

そして・・・・

これを見ては、この水を追いかけて行きたくなるってもんでしょ。

 

映画・漫画・ドラマの感想をはさみながら、つづきます。


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麒麟がくる 第二十八回「新しき幕府」

2020-10-19 16:48:52 | ドラマ (大河)

印象深い順に書くとしたら、私の場合、やっぱりあのシーンになってしまいます。

「仏罰など何もなかった。何も。」と言いながら、首だけになった石仏の頭をペチペチと叩くシーン。

それを嫌な顔をしてみていた光秀。

この物語の中の信長は、すこぶる聡明に見えて、そして実際にあらゆる場所で斬新な思考で結果を出していたわけだけれど、ある視点では、「ちょっとナの人」だったんだなと私は思ってしまいました。

子供の頃ならいざ知らず、あの時の母上の言葉の本意と言うものは分かりそうなものではないですか。

仏の心は私たち凡夫と同様なものではないのではないでしょうか。禁を犯したら、そく罰なんて事はないと思います。昔からよくあるしつけの手段として仏罰と言う言葉を借りたと言うか利用したに過ぎないのですよね。

また刑法なんかないわけですから、ここまでやったらこの程度の罰とかはなくて、もしも罰が当たったとしてもそれが分かったかどうかは分からない事なんですよね。

彼の場合、母親の気持ちが遠ざかると言う、十分な罰に当たっていたと思うのですが。

だけどフツー、仏はそんな事はしないと思いますが、「罰」と言うものがあったとしたらの話ですよー。

それに(この物語の中では)、信長は相当理数系の人で、確かに文系の人ではないですね。

ああ、そう言えば、もうかなり昔の事ですが、なんだか歌集の講義を帰蝶から受けていたような気もします。(確かあったよね。)

だからその時なかったから、「ない」になってしまったのでしょう。

だけど「行動をする→罰」の「→」の長さを、何を持って測り、またいったい何回からの結果だと言うのでしょうか。

 

このセリフ、なんか私的にはかなり「変 !!」だったのですが、ところが私、妙に感心しちゃったんです。

今の信長の力、そしてこの先の信長の未来を示唆しているようで、そしてそれを染谷信長が、すこぶる説得力のあるような言い方をしたからです。

 

ああ、そうそう。

ここまで書いてなんですけれど、「そうじゃないよ。」と私に言いたくなってしまった方もいらっしゃると思うので、書いておきますと、子供の頃のエピソードなんかどうでも良くて、嫌な顔をしている光秀に、元々何にも石仏は石にしか見えない信長が敢えて言ったとも思えます。

 

ただ、「何もなかった。」と信長が言った時、テレビ前で多くの人が「本能寺の変」を脳裏に浮かべたのではないでしょうか。

首がないゆえに光秀が窮地に陥ってしまったわけですが、逆に考えれば、首さえも見つからないような死にざまで、その首は何処にって言ったら・・・・・

 

あー、昨日ね、「百鬼夜行抄」の新刊を読んだばかりなので、脳内がホラーチックになっている私。

彼岸の河原でその頭は転がって、鬼の子が「何もなかった」って、その頭をペチペチ叩く・・・・ !!!

うふふ・・・。←なぜに笑う・・・・。

 

だけど本当、あのペチペチで私の中の物語がみーんなぶっ飛んでしまったのです。「新しき幕府」は何処に !?

 

え~とえ~とと思い出すと、

永禄12年1月5日に信長の留守中に、三好三人衆が本圀寺を襲撃する→将軍のお住まいとして二条城を建てる。

松永の処分を信長の言うとおりにする代わりに、新幕府の政務を今までそれに従事していた摂津晴門に任せる事を認めてもらう。

以前の幕府を腐らせた者が、新幕府を任せたらダメよね。

 

そして私は、また「旧二条城」の事を考えてしまいました。

その場所から地下鉄工事で100体以上の石仏が発見されたとか。

『この石仏は伏見区、安楽寿院と、西京区、京都市洛西竹林公園に保管され、同時に発見された石垣の一部は、京都御苑下立売御門内と、現二条城内に復元されている。現地平安女学院前に石碑。地下鉄丸太町200メートル。』

https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=8&tourism_id=892

行ってはみたいけれど、石碑を見に行く事は、相当マニアック。友達は誘い辛いかもです(^_^;)


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日光浴ノート2020《裏見の滝にやっと行けました!》

2020-10-18 16:21:03 | お出掛け日記

日光浴ノート2020《東照宮に行きました。》の続きです。

 

ずっと昔から日光の「裏見の滝」に行く事に憧れていました。

なぜなら芭蕉さんが、そこに行って

「しばらくは滝にこもるや夏の初め」と言う句を詠んだと「奥の細道」にあるからです。

2015年に星子さんと愛子さんと日光に行くようになる前から、そこにはいつか行こうと自分でも調べていたのです。

出発時間から日光に行くアクセス方法。そしてそこに行くバスを検索。だけどその時は、学生時代からずっと日光に入った事もなかったし、バスからの道にも迷いそう出し(たいがいは迷うのはお約束だし)、だいたいどのバスに乗れば良いのか分かるのかしらなどと、「日光日帰りひとりミニツアー」は、イメージもつかめずにいました。しかしそれはそれなりに楽しい妄想タイムではあったのでした。

それで2015年に星子さんたちとここに訪れた時、バスに乗っていて「裏見の滝入口」なるバス停を通り過ぎる時、思わず私はワクワクしてしまいました。そしてその事を星子さんに告げたのです。

「じゃあ、ここにもいつか来ようね。」と言う事になりました。

 

そしてそれがとうとう今年実現しました。

 

チョー嬉しい♡♡♡

 

だけど・・・・・

「裏見の滝入口」と言うバス停を降りた後、延々と舗装された道路の坂道を上っていくのですよ。

およそ2.5㎞なのですが、ずっと上り坂なので40分ぐらいかかるのです。

その間、すれ違った人は、どうも近所に住んでいるかのような高齢のご婦人ただ一人だったのです。

 

こんな坂道を延々と・・・・・・。

 

それに既に、私たちの足は「東照宮」の「奥宮」に行ったことで、そうとうぶっ壊れていましたから、この40分は本当にきつかったです。太ももも脹脛も、足の付け根も皆ズキズキとしだしました。

そこで思わず愚痴がポロリとー。

「なんで芭蕉さんは山寺と言い、裏見の滝と言い、辺鄙で健脚でなければならないような所ばっかし行ったのかしら。もっと大通りを歩き給えよ。」

これでは裏見ならぬ恨みの滝になってしまいそうです。

 

その言葉を聞いて、私がギブしたいのかと思って星子さんが言いました。

「じゃあ、どうする?」

「行くに決まりでしょ。だけど文句は言うのよ。文句、言わせて !」と私。すると

「あなたと一緒で良かったわ。じゃなかったら、こんなに先が見えないし、どんな滝かも分からないんだもの。私一人だったらやめちゃったかも。」と星子さんが言うので、私は驚きました。

「あなたと一緒で良かったわ。」と言うセリフは私のセリフだったからです。

私一人だったら、「誰がこんな所に来るって言ったのよ~~!?    あっ、私か~~。」ってベソをかきたくなってしまったと思いますから。

 

そう言えば、「誰が行くって言ったのよ~?  」って、だいたい犯人は私だな。

「東照宮」の「奥宮」。確か星子さんは「そんな所行かなくて良いよね。」と言う雰囲気だったのに、「行くでしょ、と―ぜん。」と言う態度だったのは私だものね。

 

嬉しかった標識♪

そして

ようやく小さな駐車場に辿り着いた私たちは、そこから山道に入って行きました。

ここからはおよそ15分です。

 

ここまでお車でビューンの人たちの中には

「道は結構険しくて、坂道もきつい場所もあったかも。」なんてのたまう方もいらっしゃるかもしれませんが、

「チ・チ・チ・」と舌を鳴らして首を振りたい所です。

確かに凸凹の山道、油断は禁物です。しかも雨降りの日が続いたので下は滑りやすくなっています。だから絶対に油断はしちゃダメですよ !

でも本当に厳しく感じたのは、舗装された延々と続いた上りの坂道でしたよ。

 

 

途中で見えた、下の滝をそれかと思って引き返してしまいそうになりました。

とんでもない事です!!

さらに奥に入って行くと

ありました~!!!

「とうとう来たよ~!!!」と私は思いました。

達・成・感 !!!

それが半端なかったです。

 

 

雨の日が続いたことが幸いして十分な水量で、そして美しく爽やかでした。

芭蕉さんの頃は、滝の裏にも道があり裏側から滝が見えたのです。でも今は道も潰れていて、それは出来ません。名前のみにその歴史が残ったのです。

「奥の細道」にも

「二十余町山を登って、滝あり。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝えはべるなり。」

とあり、冒頭の方に載せた句を詠んだのです。

 

私的には「きちがいじゃが仕方がない。」などと言う「獄門島」の和尚さんのようなセリフが脳裏に浮かびはしました。

でも「季ちがい」なんかまったく気になりません。きっと芭蕉さんだって、本当はこっちのほうが良かったかも~。

 

因みに「一町」とはどのくらいかと調べたら、109メートルですって。単純に20で掛けると2180メートルで、「余」とあるので、けっこう芭蕉さんの旅行記は正確なんですね(今頃)

バス停からほぼ2.5キロ歩いた事は楽ではなかったのでしたが、「奥の細道」により近かったような気がして、後から「ああ、良かった。」と言う気持ちが増しました。

やはり季節ちがいですが、芭蕉さんが詠んだ日光は

「あらたふと青葉若葉の日の光」

 

やっぱり日光には日の光を感じさせるものがあるのですね。

 


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日光浴ノート2020《東照宮に行きました。》

2020-10-17 01:09:31 | お出掛け日記

『疲れた時にはお日様にあたり日光浴をいたしましょう。

心が疲れた時にも大好きなものの気の力に囲まれて癒すことも大事だと思います。

私の場合は森の木々のささやき・水辺のせせらぎが、心の日の光になるのかもしれません。

その日の光は、名前のごとく「日光」にありました。』

2015年10月4日5日に出掛けた日光のお出掛け日記の冒頭は、そんな始まりでした。→日光浴ノート☆千手ヶ浜

「毎年行きたいね、日光。」と思ったものの、やはりそうはいきません。それでも2015年の後、2017年にも日帰りで行きました。

タイトルは皆「日光浴ノート」です。

だから今年の15日16日の「日光お出掛け日記」も「日光浴ノート」です。

 

今回は、一番最初に「東照宮」に行きました。

 

唐門の前に立っていた時に、1匹の蝶がひらひらと私たちの頭上を舞いました。

「あらッ、あの蝶って右と左の羽の色が違うように見えるね。」と言うと、星子さんも「そうだね。」と言いました。

それは光の当たった関係でそう見えただけだと思うのですが、一瞬そう見えて不思議に見えて目で追いかけてしまいました。

すると星子さんが

「あれは『許すよ』と言う合図なのかもね。」と言ったのです。

 

何を「許す」と言うのかと言うと、「日光浴ノート☆ランランラン♪その2」

と言う記事内に書いたことですが、2015年、タッチアウトで閉門の時間に間に合わず、中にいる人たちを羨ましく思いながらも、「東照宮」に入れなかった私たち。

癪だったので、星子さんと共に「家康なんか大嫌い !!」と悪態をついたら、その後に撮った表門が真っ黒に映ってしまったと言うアクシデントがあり、やはりお墓近くで悪態などをつくなどもっての外と叱られたような気がしたと言う事があったのです。

 

でも今回の私たちは、自分の足を棒にしてまで奥宮まで赴きました。

もうクタクタでした。

それでそのクタクタに免じて、家康殿が「許す」と蝶を頭上で舞わせてくれたのだと言う結論になったのでした。

 

何をたわけた事をって・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

でもね、「免じて」と言っていただきたいくらい、今の私には「奥宮」は大変でした。

 これが延々と続くのです。ここは石廊下と呼ばれていてなんと207段ですって。

いや、今考えると、目黒雅叙園の100段階段が二つあると思えば良いんだと思うのですが、この上っている時はとてもそうは思えませんでした。

私はここには、昔来た事があったのです。

はるか遠くの学生時代です。

確かちょっときつめの階段を上ったなあとは思いましたが、「別に~」「さほど~」と言う感じだったのですね。

それよりも、小学校の修学旅行では来なかったこんな所にこのような場所があったとはと感激した気持ちの方が大きかったのですね。

ああ、年月って恐ろしい~。

足のもも上げを200回やったようなものですよ。もう家康公には会いに来ることは、・・・・・・二度とないな !

と言うわけで、そこから戻って来た私たちの足の太ももからふくらはぎまでパンパンになり、「きつかったね」とげっそりしていた所に蝶が舞えば、家康公に「許す」と言われたような気分にもなるってものでしょう。

勝手に解釈、勝手に和解と言うところですね(笑)

 

ところで、やっぱり「東照宮」は見どころがたくさんありました。以下は写真日記です。

御存じ

こっちも可愛い

灯篭多し。

手前にあるのはポルトガルから運んできた鉄を使用した「鉄灯篭」です。

下の説明に、上にアップした象さんの説明も書いてありました。

 

そして「陽明門」

「陽明門」は人を切るのは難しいですよね。

敢えてやってみると

涙・・・・・・、あまりよろしくはナイナ。

全体と細部、そのバランスって大事ですよね。

 「陽明門」の普通の模様。

そして下のは模様が逆の向きになっている「逆柱」です。

 

 

神楽殿にある花かごの彫刻で、珍しいものらしいです。

有名な「眠り猫」は「奥宮」の行く入口にあります。

その裏側には、凄くボケてしまったのですが、スズメが二羽楽し気に遊んでいる彫刻が彫られています。

スズメが楽しく遊んでいられるのも猫が寝ているからだとか、徳川政権下の太平の世を表しているのだとか、奥深い意味があるそうですね。

 

 

そして私たちは、神橋に出て、

少し道沿いに歩き、ランチタイムを取りました。

 

焼ゆばサンド、美味しかったです。

 

東照宮には5173体の彫刻があるらしいのですが、そのうちの2468体は本殿にあるらしいです。だけどその本殿を見る気持ちになれなくてスルーしたのは、片手落ちのような気もしないでもありません。しかしその後の私たちの行動を思い出すと、やはりあの「見ない」と言う選択は正しかったのだと今更ながら思ったのでした。

時には、「何かを得るには何かを捨てる」と言う事は大事な事なのかも知れません。

じゃあ、何を得たのかと言うお話は次回に。

 

※ 「相棒」の新シリーズが始まりましたが、実はまだ録画して見ていません。今旅行の準備で、見る時間がなかったからです。

これも「何かを得るには何かを捨てる」の一つだったかもしれません。お蔭で用意もサクサク進み、寝不足にならずに旅行に行けましたから。

あっ、でもたいがいの時の私は、「何かを得ても何も捨てない」人なんですけれどね。


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「根の深い木」の感想 その2

2020-10-14 03:00:25 | 海外ドラマ

昨日の朝、本当に後2行で終わったはずの、「根の深い木」のネタバレ感想の部分がパァッと消えて、そのショックから少々立ち直れませんでした。

あれがいけなかったのかしら。

「殺人マシーン」と打ったから・・・・・・って、今打てるじゃん。

一体何だったのかしら。

殺人マシーンのように強かったユン・ピョン役のイ・スヒョクとソン・サンムン役のヒョヌはイケメン枠で、何気にケパイ役の人も良い顔をしていましたね・・・・と書きたかっただけなのに。(ノД`)・゜・。

と言う事はさておいて、少々冷静になって見ると、また別記事で書くとすれば、長くなるからと省いた部分も書けると言うものですね。

 

で、この記事はネタバレ全開になっています。

ドラマ的には歴史アクションストーリーでも、その本質はミステリーで、ウキペディアでも遠慮して遠巻きに書いていることも、ある事についてはストレートに書かせていただきます。

 

でも主に、私的涙ポイントの感想です。

朝鮮王朝第4代世宗イ・ドは王に即位していても、その実権は上王である天宗(テジョン)イ・バンウォンに握られていて、その彼は粛清による粛清で王権強化を図っていました。自分の義父までもその対象になってしまい、イ・ドはなんとしても助けたいと行動を移すのですが・・・。

この物語は、そんな恐怖の大王のような父に挑む物語ではなく、ひたすら耐える始まりなのです。時が過ぎて、そんな暴君もこの世を去って行きます。多くの禍根をこの地上に残して。

その時、ひとりイ・ドは宮廷の池の前に佇み

「イ・バンウォンの居ない世界だ。」と父の支配からようやく逃れ、やっと自分の治世が始まるのだと一筋の涙を落しながらしみじみと想うのでした。

 

カン・チェユン(トルボク)とタムは子供の頃に、イ・ドの義父シム・オンので、天宗のシム・オン粛清に巻き込まれ、お互いに幼く未熟なるゆえに、力及ばなかったり見栄を張ってしまったりなどと言う理由で、父たちや皆を死に追いやり守る事が出来なかったと思い込み、そのトラウマにずっと悩まされ続けていました。

ある時カン・チェユンは世宗に自分の事を語ります。

「ある時まで父親が自分の世界のすべてでした。だけど突然その父を失って、世界でたった一人になってしまいました。」

少年トルボクは必死になって、子供のようになってしまった父親を全力で愛し守っていたのです。守ろうと思っていたタムともハグレそして彼女も死んでしまったと思っていたカン・チェユン(トルボク)は、復讐を生きる糧にその苦しみを乗り越えてきたのでした。

一方でタムはソイとして、王の文字創製に関わる事で、自分の生きる道を見つけ出そうしていました。

そんな二人の再会のシーンは、本当に泣けました。

 

そしてカン・チェユンはささやかな未来の夢を見るのです。

ただその時、タムの見る夢は、王の文字創製から公布までを見届けたいと言うものでした。もちろんその先の想いはカン・チェユンと同じだったと思います。

だけどタムはその公布式の様子を、自分の目で直接には見る事は叶いませんでした。そのタムの最後、その役のシン・セギョンは美しく胸に迫る迫真の演技でしたね。

そしてタムが最後の力を振り絞って書いた制字解を持ってカン・チェユンは、公布式に走るのでした。

だけどそこにはイ・ド殺害のために送り込まれた「対戦不可」と言われている最強の男ケパイとの戦いが待っていたのでした。

 

カン・チェユンのラストドリームは、彼が願っていたささやかな未来の夢でした。

子供たちに地面に文字を書き字を教えているカン・チェユン。そこに優しく微笑みながらタムがやって来ます。

「ほらお母さんだよ。」とカン・チェユンが言うと、子供は顔をあげて

「あっ、お母さんだ。」と笑いながら言うのです。

そんなささやかな普通の生活の夢。

望めば叶う夢だったけれど、彼らはその夢は先送りしたのです。タムは自分の夢を追い、その夢を見届けるのがカン・チェユンの夢になっていたのだと思います。いつかそのささやかな願いが叶う事を楽しみにしながら。

その公布式でなぜ彼が刀の刃を握りしめているのか分かりませんでした。血が滴り落ちて大地を染めていきました。痛々しくてドキドキしました。そしてようやく分かったのです。その痛みで遠のく意識を呼び戻していたのだと。

そして彼は公布式を、タムの人生を見届けたのでした。

 

本当に号泣して鼻がつまって苦しくなりました。

 

あとホロリと泣いたのは、彼の父とタムの父が陽気な亡霊になって出て来て、カン・チェユンを復讐の想いから解放させてくれるシーンです。酒を酌み交わしながら陽気に踊る父。思わず一緒に踊ろうと手をあげると、そこにいるのは自分ひとり・・・・

だけど器にはお酒が並々とつがれていたのでした。

 

この先の感想には涙は不要。でもいろいろと思い心に残りました。

最大のライバルだった、秘密結社密本(ミルボン)の第3代の本元チョン・ギジュンは最後に王の椅子で息絶えました。

世宗は、その彼に「ありがとう」と呟くのでした。

若い時には「お前には何も出来ない。」と言われ、だから頑張れたのかも知れません。また

「お前は民を愛してなどいない。」と言われたから、その言葉に向き合う事が出来たのかも知れません。

 

ところで秘密結社密本側にハンの旦那と言う人がいて、彼が最後に本名を語るのですが、朝鮮の歴史に詳しい人や歴史ドラマの好きな人は、それを聞いて「おお !」となるらしいのです。私はまったく知りませんので、まったくそれが分からず、それは寂しいので調べてみました。

彼の名はハン・ミョンフェ。

最後に集賢殿の学士ソン・サンムンとすれ違うのですが、「なんだか嫌な気がした。」と言うのです。

この後ハン・ミョンフェは最高の役職まで上り詰め、王の後継の争いで敵対する事になっていくのでした。

詳しい事はこちらでどうぞ→韓明澮

私、思わず「おお !!」と言ってしまいました。

 

最後に「根の深い木」の意味ですが、ドラマ内では三峰先生の政治的思想云々みたいな感じで出て来て、なるほどと思う所なのですが、今このドラマの感想を書いていて、ふとドラマ的にはもうちょっと膨らませた意味合いがあったのではないかと感じてしまいました。

ドラマ内で語られた意味は「根の深い木の意味」で検索して頂けると良いかと思います。

と言うか、この記事はドラマを見た人が訪れている確率が高いので、それを言う必要はなかったのかも知れませんね。

 

私が感じた「根の深い木」の意味の膨らみの部分・・・・。(はっきり言って自分勝手に思っただけです。)

カン・チェユンもタムも死んで、チョン・ギジュンも死んで、それでもドラマは続きます。ちょっとだけ驚きました。シメが長いなと。

(お供が後ろにゾロゾロ着いては来ますが)ひとりでイ・ドは宮廷中を歩き、

「ムヒョルの居ない世界だ。」「ソイの居ない世界だ。」「トルボクの居ない世界だ。」と言い、それでも泣きもしないで粛々と仕事をこなしていくのだと語ります。

このシーンは、最初の「イ・バンウォンの居ない世界だ。」と対になっていたのだなと気が付きました。

どんな暴君でも、皆に慕われた賢帝であっても、そして忠臣であっても一心に人生を通り過ぎた人たちであっても、国と言う木に咲く花にすぎず、皆等しく咲いては散っていくのだなと私は思いました。そして隣に咲いていた花が散っても、いつか自分と言う花がハラハラと散る時まで、静かに咲き続けていくのだなと感じたのでした。

 

さて、次は何を見ようかな ?

もちろん、今日の夜は「相棒」ですね^^

 

 


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「根の深い木」の感想 その1

2020-10-13 12:23:49 | 海外ドラマ

姉の蝶子さんが「運命のように君を愛している」と言うドラマを見て、チャン・ヒョクに嵌ってしまいました。どうりで好みで無いはずのジャンルである「ボイス」も食い付いて来たわけだと納得しました。

それで、彼の出ていたドラマを検索してみると、なんとなくいい感じのタイトルのドラマが出て来たので、教えてあげたのです。でも私はそこまで彼に嵌っていたと言うわけではなかったので、一緒に見始めると言う事もなかったのでした。

ところがこのドラマは、GYAOで18日までなんです。

期間が迫っている・・・・つまり期間限定で視聴可と言うわけで、その「期間限定」「今だけ」と言うのに弱いのは主婦のサガでしょうか。

さほど見る気もなかったのに、それもあり蝶子さんの

「まだ見始めてないの?」と言う見て当然でしょうと言う発言もありで、見始めてみると、やはり一気見の暴走は止められませんでした。

朝鮮王朝第4代世宗イ・ドの時代のハングルの創製と公布までの物語。

 

今まで私は、文字の創製に想いを馳せた事などあっただろうかと思いました。

ドラマ内でも文字と言うものは、何世代の時を超え人々に伝えられ積み重ねて伝えられるものであり、それを一代で作り公布し流布させるなど暴挙であると言うようなことが語られます。

いろいろと考えさせられました。

ハングルを作り出していく想いもに触れた時、ふと自国の平仮名は、カタカナはどうだったのだろうかと、またそれにも考えが及び、奥の深い物語でした。

こんな風に書くと、チョー真面目な硬い物語なのかと思われてしまいそうですが、そうではありません。

原作がイ・ジョンミン作「景福宮の秘密コード」と言うミステリー小説なんですね。

 

謎あり、アクションあり、そして溢れる愛のある物語で見ごたえ十分。

何度も涙し、有るシーンでは誰もいない(猫以外)事を良い事に、声をあげて泣いてしまいました。

ただ宮廷を舞台にしてはいますが、「大奥」のような華やかさは皆無で、ちと奥様受けはするかしないかは分からない事です。

 

最初、トルボク(大人になるとチャン・ヒョクが演じる)と言う少年の気性の粗さが尋常ではなく、視聴自体を諦めかけました。

でも後に考えてみると、その気性の粗さは直らなければ殺してしまえとさえ言われるようなものだったのに、それが後の物語には必要だったのだと思いました。あの時、ユートピアのような村で優しくしてくれたおばさんに心を開いてしまったならば、彼は違った立場の人になってしまっていたに違いありません。

すべて意味のある事だったんだなと思いました。

またウルボクの父は知的障害を持っていて、その彼をからかう者がいると、けっしてトルボクは許しません。

父を必死で守ろうとするトルボク。親子が逆転しているように思えますが、そんな父に、子を必死で守ろうとして山から落ちた父さんは、ちゃんと子を守ってると語るのです。たった一言のセリフで、この親子の今までみたいなものが見えて来て、良いシナリオだと感じました。

その期待は裏切られませんでした。こう打ってるだけでも、ちょっと目頭が潤みます。

良いシーンがてんこ盛りでした。

全24話。

そうですね。今日から見たら一日4話ずつで見終わる事が出来るとは思いますが、また(無料で)見る事が出来る機会があるかもしれません。

お勧めできます !!

 

☆      ☆

唐突ですが、今かなり落ち込んでいます。

たった今、この下にネタバレ感想を熱く書きました。

言いたい事は、やはりそちらにあるのですよね。あと2行で終わると言うところでいきなりパッと消えてしまいました。

普通は、やり直せば書いた部分まで反映させてくれるはずですが、それも叶わず。一回だけ下書き投稿したそこまでしか復元しません。

 

好きなドラマだったので、ちょっと力が入っていたので、同じ文章をすぐに書き直す気力がありません。

とりあえず、ここまでにして、ネタバレ感想は、また後程アップしたいと思います。

 

はっきり言って泣いてます(ノД`)・゜・。

 

 

 


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麒麟がくる 第二十七回「宗久の約束」

2020-10-12 08:30:44 | ドラマ (大河)

時に「教育とは恐ろしいものだ。」と言うようなことを言う場合がありますが、まさに今回それを感じてしまいました。

武士として育ったものは、同じ1千貫でも、それが弓や刀や鎧に変わるものに見え、僧侶として育った義昭には金の一粒一粒が、街角で配る食べ物に見えるー。

人は育てられたように育つのだと思いました。

そんな義昭に光秀から聞いていたとはいえ、武士として育てられた信長はやはり驚きを禁じ得ないようでした。

 

HPから得た知識では、1貫は15万円で、1千貫はおよそ1億5千万。

義昭談。

「これだけあれば、1万の貧しき民が、ひと月は過ごせよう」

だそうです。

これだけのお金や義昭のための鎧や名刀を献上した信長の心意気が伝わって来そうでしたね。ゆえにちょっとだけ肩透かしにあったような気持ちも分かるような気がします。

(でも今の日本に住む私には、義昭の発言の方に寄り添いたいような気がし、だけど夫などは

「やはりこの人には荷が重かったね。」と感じたようです。だけど二人で共通して感じたのは、この義昭の丁寧な義昭の描き方への好感でした。これは何気に、最近言葉を変えて毎回言ってるような気もしますね。)

 

そして都から戻った光秀が宗久との約束を会議の場で伝えると、もうとても冷静な会議の場とは言えなくなってしまいました。

その約束とは上洛の際には鎧を脱いで京の街に入る。

そしてその代わり、堺の会合衆は三好に対しての金銭支援を止めると言うものでした。

 

怒鳴り合い、とてもまともに議論など出来なくなってしまった家臣たちの会議の様を見て、信長は上座にて一人静かに脳内打算機を打っていたに違いないと思います。

 

「自分たちだけで決める事ではない。義昭さまに伺ってみよう。」

と、信長は言いましたが、あのような義昭では必ず思っていたような答えをすると、信長は確信していたに違いありません。

思っていたようなと言うのは、まさに「鎧を脱いで上洛を果たすと言う考えは良い考えだ。」ということ。

信長はそれでも敢えて光秀に、本当は柴田勝家たちの意見に「是」であると言うのでした。立場は彼らの方、だけど義昭に従うと言う形を取っているけれど、堺が手に入るのなら、信長の心中は最初から決まっていたと私は思いました。

将棋や碁の勝負の如く、これを動かしたら盤上ではどうなっていくのかを考える事もなく、「武士は武士は」「危険危険」と怒鳴り合っている会議を収める、これもひとつの手かなと思いました。

 

あれだけ強さを見せつけていた三好勢も、堺が金の支援をたつと一気に崩れて、そして鎧を脱いだ上洛で人々は安心して家の戸口から往来に出て来て、義昭たちを迎い入れるのでした。

 

今週も他にも見るべきシーンはたくさんありました。

伊呂波太夫と光秀。

伊呂波太夫が言った

「世の中は醜いものと美しいものしかない。」←のような事 ? いつもセリフは不正確です。

心に残るセリフでした。

 

駒ちゃんと宗久。

結局この京への上洛の形を作ったきっかけは駒ちゃんじゃんと思った人、テレビ前で多数と思います。

 

光秀と藤吉郎。

光秀は藤吉郎を侮っているなと感じました。菊丸と接する時と態度が同じような気がしました。この時代、人はみな平等と言う考えは逆に不自然な思想だったのでしょう。

お喋りで少々煩くも感じる藤吉郎でしたが、その内容には耳を傾けるものがありました。藤吉郎の信長への信頼は彼が「約束を守る大人」だったからなんですね。

 

信長と光秀。

またも光秀は信長からの家臣オファーを断ってしまいました。

信長が「大きな国」を語りだしたのに、だからと言って瞳をキラキラさせて飛びつて行こうとすわけでもない光秀。

少々モヤッとしますね。

 

しかし私が最近気になっているのは、この時の三河勢。菊丸は何処にいるのかしら。

やっぱりあのラジオでの不用意発言から尾を引いて、出番をセーブされてしまっているのかしら・・・・。

などと、とっくに世間では風化しつつあることを、出てこないとまたも思い出してしまう私。まあきっと物語も、早くも10月ゆえに立て込んできて、出す余裕がないのでしょう。

帰蝶すらセリフの中でしか出てこないわけですし。

でもなんか寂しいなと思っていたら、他チャンネルで、元極道のその男よりも強い妻になっていました。

「極主夫道」は笑いっぱなし、面白かったです。

と言うわけで、日曜日は楽しみが二つ出来ました♡

 

 

 

 

 

 

 

 


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赤い星☆

2020-10-11 16:34:27 | 梢は歌う(日記)

もしかしたら、あれはあの赤い星の影響だったのでしょうか。

 

☆       ☆

ふとバイト先で、机から目を離して部屋中を見回してみました。

時々ふざけて、自治会などの自己紹介などをする時に

「夜のお仕事です。」などと言ったりすると、なぜかその段階でどよめかれたりすることもあるのですが、私は別に大人相手に飲食を提供する仕事ではなく、相手をするのはやはり中学生です。

顔をあげて見回した部屋の中にいるのは、19歳か20歳の子供。

そのぐらいの年齢の人を「子供」と称するのは如何かとも思うのですが、ワタクシの子供はその年齢よりもかなり上になってしまったので、イッパシの大人に見えるその年齢の若い方々もやはり子供に見えるのです。

そしてその他に部屋にいるのは、14歳13歳の子供。

その中に、彼らよりも10も20も年上の私が一人・・・・・・・(って、10とか20とかのはずはないけれどね・・・・わはは)

その時、ふとマスクで隠れている口元がフッと緩みました。

そして心の中で叫びました。

ー やったー、やったー、私ここまでちゃんと生きて来たぞ。ここまで生きてくることが出来たぞ。

頑張ったな、私。偉いぞ、私。―

 

生きてきた道を思えば、やはりそこには積み上げられた出来事の記憶があり、それを今風に言えば経験値が高いと言う事になるのではないでしょうか。

急に私は愉快な気持ちになってきました。

 

その帰り道、

まだ元気に咲いているミニ向日たちをしみじみと見て、

 

(この向日葵は3日の夕方に撮ったものです。)

そして空き地のばらばらと咲いているコスモスをしみじみと見る私・・・。

夏だから、秋だから・・・・?

何も関係がない風景です。

向日葵であり、コスモスであるだけ。

 

その帰り道、空には星がやけに輝いていました。

なんだか星が輝いていると、嬉しくなる私なのです。

だけどその星の赤さを見て、そう言えばと思い出しました。

2020年の10月6日は火星が地球に大接近する日だったのです。

それだって人が知ろうが知るまいが、星は勝手に輝いているのです。

 

「あー、なんか、励まされる !」

と、赤い星を見て私は心の中で言いました。

 

いつだって私は私。頑張ろう♪

 

 

コメント (2)
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麒麟がくる 第二十六回「三淵の奸計」

2020-10-05 00:15:14 | ドラマ (大河)

なんだか嫌な回でした。

予告編で見て、阿君丸に不幸が訪れるのは分かっていました。だけどこの時代は、子供を育てるのも大変で、ちょっとした病気などで命などを奪われるので、このタイミングでその不幸に遭ってしまったのだぐらいに思っていたのでした。

だけどそれは義景の(中途半端な)上洛の気持ちをそぐためのものだった・・・・・・・?!

そう言えば今回のタイトルが「三淵の奸計」でしたね。そう言う意味だったのかと思ったら、なんて言うか、目的のためには手段を選ばないんだなと思えて嫌な気分になり、思わず

「お前らこの先呪われるぞ。」

と呟いてしまったのでした。

確かにこの先の三淵、この先の山崎、この先の景鏡、皆一族ことごとく・・・・・って、戦国でしたものね。呪いってわけではなかった・・・・・・。

けれどやっぱり戦国時代は嫌だなぁ~。

 

光秀が、義景の上洛への想いは口ばっかりだと感じる根拠にもなった街の様子だって、むしろ朝倉の国こそが理想の国にしか思えません。

武器商人(それを作る人)は暇で畑を耕しに家に帰り、街には物が溢れかえっていて、それを人々が楽し気に買い求めているのです。だけど戦に備える戦国武将の街では、鍛冶屋は忙しく刀を打ち、街には武将たちが戦に備えてガツガツと買い占めるものですから、常に品薄です。

やっぱり戦国時代は嫌だなぁ~。←二回目。

 

しかし朝倉の丁寧な親バカっぷりを描いて来たので、辛いけれど義景がやる気をなくしてしまった気持ちがよく分かりますね。

 

子供を殺してしまうシーンが、あまりにもショックだったので、後はあまり頭に入って来ませんでした。

強いてあげると、本多君はあの顔を歪めて大胆にニヤリと笑うと言う表情がある限り仕事があるなと思ってみたり、熙子の良い妻ぶりは少々鼻に着くなと思いながらも「こんな日が来ることは分かっていた。」と思わず涙ぐむ気持ちにはジーンと来たりしました。なんたってあっという間に10年以上が経ち、「こんな日」がくるまでが長かったですものね。

後は手塚とおるさんが出て来て非常にインパクトがあり、この朝倉景鏡と言う人を思わず調べてしまいました。

それから・・・・っていっぱいありますね。

あと一つだけ挙げるとしたら、信長の「俺たちだけで上洛しろって事かい !!」と(もちろん、そんな言い方はしませんが)と驚き立ち上がり光秀に問いかけるシーン。なんか撮影シーンが目に浮かんでしまいました。

ああ、更にもう一つありました。

なんだかんだと言って、この時代の歴史は名もなき女性にかなり左右されて作られたのねって事でしょうか。

 

と言うわけで次週もまた楽しみです。

 


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