goo blog サービス終了のお知らせ 

森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

日光浴ノート2020《裏見の滝にやっと行けました!》

2020-10-18 16:21:03 | お出掛け日記

日光浴ノート2020《東照宮に行きました。》の続きです。

 

ずっと昔から日光の「裏見の滝」に行く事に憧れていました。

なぜなら芭蕉さんが、そこに行って

「しばらくは滝にこもるや夏の初め」と言う句を詠んだと「奥の細道」にあるからです。

2015年に星子さんと愛子さんと日光に行くようになる前から、そこにはいつか行こうと自分でも調べていたのです。

出発時間から日光に行くアクセス方法。そしてそこに行くバスを検索。だけどその時は、学生時代からずっと日光に入った事もなかったし、バスからの道にも迷いそう出し(たいがいは迷うのはお約束だし)、だいたいどのバスに乗れば良いのか分かるのかしらなどと、「日光日帰りひとりミニツアー」は、イメージもつかめずにいました。しかしそれはそれなりに楽しい妄想タイムではあったのでした。

それで2015年に星子さんたちとここに訪れた時、バスに乗っていて「裏見の滝入口」なるバス停を通り過ぎる時、思わず私はワクワクしてしまいました。そしてその事を星子さんに告げたのです。

「じゃあ、ここにもいつか来ようね。」と言う事になりました。

 

そしてそれがとうとう今年実現しました。

 

チョー嬉しい♡♡♡

 

だけど・・・・・

「裏見の滝入口」と言うバス停を降りた後、延々と舗装された道路の坂道を上っていくのですよ。

およそ2.5㎞なのですが、ずっと上り坂なので40分ぐらいかかるのです。

その間、すれ違った人は、どうも近所に住んでいるかのような高齢のご婦人ただ一人だったのです。

 

こんな坂道を延々と・・・・・・。

 

それに既に、私たちの足は「東照宮」の「奥宮」に行ったことで、そうとうぶっ壊れていましたから、この40分は本当にきつかったです。太ももも脹脛も、足の付け根も皆ズキズキとしだしました。

そこで思わず愚痴がポロリとー。

「なんで芭蕉さんは山寺と言い、裏見の滝と言い、辺鄙で健脚でなければならないような所ばっかし行ったのかしら。もっと大通りを歩き給えよ。」

これでは裏見ならぬ恨みの滝になってしまいそうです。

 

その言葉を聞いて、私がギブしたいのかと思って星子さんが言いました。

「じゃあ、どうする?」

「行くに決まりでしょ。だけど文句は言うのよ。文句、言わせて !」と私。すると

「あなたと一緒で良かったわ。じゃなかったら、こんなに先が見えないし、どんな滝かも分からないんだもの。私一人だったらやめちゃったかも。」と星子さんが言うので、私は驚きました。

「あなたと一緒で良かったわ。」と言うセリフは私のセリフだったからです。

私一人だったら、「誰がこんな所に来るって言ったのよ~~!?    あっ、私か~~。」ってベソをかきたくなってしまったと思いますから。

 

そう言えば、「誰が行くって言ったのよ~?  」って、だいたい犯人は私だな。

「東照宮」の「奥宮」。確か星子さんは「そんな所行かなくて良いよね。」と言う雰囲気だったのに、「行くでしょ、と―ぜん。」と言う態度だったのは私だものね。

 

嬉しかった標識♪

そして

ようやく小さな駐車場に辿り着いた私たちは、そこから山道に入って行きました。

ここからはおよそ15分です。

 

ここまでお車でビューンの人たちの中には

「道は結構険しくて、坂道もきつい場所もあったかも。」なんてのたまう方もいらっしゃるかもしれませんが、

「チ・チ・チ・」と舌を鳴らして首を振りたい所です。

確かに凸凹の山道、油断は禁物です。しかも雨降りの日が続いたので下は滑りやすくなっています。だから絶対に油断はしちゃダメですよ !

でも本当に厳しく感じたのは、舗装された延々と続いた上りの坂道でしたよ。

 

 

途中で見えた、下の滝をそれかと思って引き返してしまいそうになりました。

とんでもない事です!!

さらに奥に入って行くと

ありました~!!!

「とうとう来たよ~!!!」と私は思いました。

達・成・感 !!!

それが半端なかったです。

 

 

雨の日が続いたことが幸いして十分な水量で、そして美しく爽やかでした。

芭蕉さんの頃は、滝の裏にも道があり裏側から滝が見えたのです。でも今は道も潰れていて、それは出来ません。名前のみにその歴史が残ったのです。

「奥の細道」にも

「二十余町山を登って、滝あり。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝えはべるなり。」

とあり、冒頭の方に載せた句を詠んだのです。

 

私的には「きちがいじゃが仕方がない。」などと言う「獄門島」の和尚さんのようなセリフが脳裏に浮かびはしました。

でも「季ちがい」なんかまったく気になりません。きっと芭蕉さんだって、本当はこっちのほうが良かったかも~。

 

因みに「一町」とはどのくらいかと調べたら、109メートルですって。単純に20で掛けると2180メートルで、「余」とあるので、けっこう芭蕉さんの旅行記は正確なんですね(今頃)

バス停からほぼ2.5キロ歩いた事は楽ではなかったのでしたが、「奥の細道」により近かったような気がして、後から「ああ、良かった。」と言う気持ちが増しました。

やはり季節ちがいですが、芭蕉さんが詠んだ日光は

「あらたふと青葉若葉の日の光」

 

やっぱり日光には日の光を感じさせるものがあるのですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする