森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

英国ミステリー「カササギ殺人事件」

2022-07-16 00:40:24 | 海外ドラマ

wowowにて、全6話を二日に分けて放送されたものを、それを録画しておいて、一日で一気見しました。

原作者のアンソニー・ホロヴィッツが脚本も手掛けただけあって、ずっと最後まで面白かったです。

名探偵アティカス・ピュントが謎を解いていく「カササギ殺人事件」の世界と、編集者スーザンがリアルに起きた殺人事件の謎を解いていくと言う物語が交錯して進んでいきます。

さりげなく、あれはこう考えたらいいんじゃないのみたいなヒントは来るのですが、結局、最後に謎を明かされると、「あーーーー、そうだったのか。」となる細かい事も多かったです。

最近ドラマはネタバレなしで書いていますが、これなんかはミステリーなので、匂わせてもダメですよね。

ただ一言「面白かったよ!!」と書いておくべきかもしれませんね。

 

しかし訳の分からない感想を一言書いておくとすると、この作家の仕掛けた罠と言うか真実を知ったら、「どうするのよ、これ!!」って、私も動揺すると思います。

wowowの解説に

『英国ミステリーらしく数々の仕掛けを満載。“ミステリーの女王”アガサ・クリスティにオマージュをささげたような意匠も光る逸品だ。』

そうなんですよね !

特に本の中の犯人は、「なるほど、なるほど。」と言う感じで、ちょっとアガサテイストに感じたのですよ。

 

あらすじ☆WOWOWさんから

『作家アラン・コンウェイは人気推理小説「名探偵アティカス・ピュント」シリーズの新作「カササギ殺人事件」を書き上げたばかり。クローヴァー・ブックス社の担当編集者スーザンは気難しい彼を嫌っていたが、彼は妹ケイティの教師時代の元同僚であり、交際中のアンドレアスも彼の元同僚だ。ある週末、スーザンは社長のチャールズから預かった「カササギ殺人事件」の初稿を読み進めていた。小説は、イギリス郊外のマグナス・パイの屋敷で家政婦が殺された事件を端緒に起こる連続殺人の謎を探偵アティカス・ピュントが解くという内容だが、読み進めるうちある問題に気付く。出社して真っ先にチャールズに会いに行くと、さらに驚くべき知らせが彼女を待っていた……。』

8月17日、18日にも放送があります。

 

 

続編もありました。こちらは犯人を知らないので(笑)、更に興味が出ました。

 

 

 

・・・・

 


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多肉の寄せ植え講習会と、素敵な一日

2022-07-15 00:27:18 | 梢は歌う(日記)

7月7日は「多肉の寄せ植え講習会」に参加しました。

←先生の作品です。

いつもさりげないディスプレイが素敵だなと思っています。

下の多肉を植えていったのですが、この日に持参したのが、本当の軍手。手前の多肉ちゃんが軍手の布にくっついてポキポキと折れ、大変でした。途中で軍手をこれ用の手袋に借りて交換しました。

こういうのは自己満足の世界ですから、楽しかったし、私は満足。

この後、お友達とのランチの約束のお時間まで、何処かでお茶でも飲んでいようと思っていました。

その行く道々、私はまた、いつものポジティブ思考の波が押し寄せて来ていました。

というのは、先日書いた「妄想美術館」の返却日がこの日で、でもあと数ページだけ残っていたのです。それで私はバス停に着いてから、そのベンチで残りを読み終わりました。とっても満足した気持ちで。

私は好きなものがたくさんある方だと思います。映画やお芝居や美術鑑賞も。

なんだかついたちの日から、毎日が楽しい事が一つずつかもしれませんが続いていて嬉しいなと感じていたのです。

素敵なお芝居、楽しい食事、感動した映画、のめりこめた本、身近な人の元気回復のお知らせ・・・・

 

ふと見ると、何やら素敵なお店が、たった今オープンになったところでした。

― 素敵なレストランだな。いつ出来たのかしら。

「あのすみません。お茶だけでも頂けますか ?」

「えっ、お茶ですか。大丈夫ですよ。向こう側にキッチンカーがあるので、そこで注文できます。」

― えーっ、お茶だけだと、その扱いなの?

「外をぐるりと回るんですか?」

「いやいや、お店の中を通って行ってくださいね。」

と言う会話がありまして、中を通って、思わず私はひとりで笑っちゃった!!!

だってそのお店、外観がとっても素敵だったから、勝手に新しいレストランだと思い込んでしまったわけですが、実はグリーンに特化したお花屋さんだったのですもの。

『お茶だけ飲めますか?』なんて言われた方が、困っちゃうってものですよね。

 

だけどお店の中でも頂けます。

しばしぼんやりしながら、店内のグリーンに癒されていました。

今度はそのグリーンを買いに来ます!!

その時電話が鳴りました。

義母からでした。ずっと具合の悪かった義兄が調子が良くなって、今からお昼ご飯を食べに行くからと、私を誘ってくれたのです。

ちょっとこんな事は初めての事でした。

「今週はずっと家にいたんだけれど、今日だけ外にいるの。また誘ってね。」と言って電話を切りました。

一食損したなとは思わないわけではありませんが(チョーせこい)、義兄が私も誘おうと言った事が、私には驚きでとっても嬉しかったんです。

 ←ビックな寄せ植え。

 

そしてその後、わざわざ迎えに来ていただいて、お友達とランチをしました。

学びの多い楽しいお喋り。

素敵な一日だったと思います。


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「ボイス4~112の奇跡~」

2022-07-14 02:02:48 | 海外ドラマ

《少々、追記しました。》

韓国ドラマの「ボイス」はシーズン2までは見て、シーズン3は途中まで見て挫折しました。

「ボイス」は、元々かなり残酷なシーンが多いドラマだと思っているのですが、シーズン3はそれに加えて、私的には無理だなと思う事があり挫折したのでした。

その理由を「『ボイス 2』の感想」の中に書いてありました。

ただイ・ジヌク演じる、出動チーム長のト・ガンウが最後にどうなったのだろうかという事は気になっていました。

そしたらですね、ちゃんと「ボイス4」の冒頭の方に、どうなったのかという事が、ヒロイン(イ・ハナ)の口から語られていました。

詳しい事は分からなくても「そうか。そうだったのか。」と納得できました。

(ネタバレなしで書いているので、「3」も「4」も見られていらっしゃらない方には、全く納得が出来ないと思いますが。)

かくしてト・ガンウは去り、デリック・チョ役のソン・スンホンがチームに参加します。

「あらすじ」は、この感想の下に、wowowさんからお借りしたものを貼っておきます。なぜ彼がチームに参加する事になったのかが、よく分かりますから。

 

キホン、「ボイス」はシリアルキラーの話なので、残酷であり刑事側も暴力的な人が多い・・・・。

でもソン・スンホンは上品な顔立ちな人なもんだから、暴力的な刑事という印象は薄らいだように感じました。ボカスカをやらないわけではありませんが。(「ボカスカ」ってなんだと言われても(^_^;))

それに口では、グォンジュ(イ・ハナ)を利用してやるみたいな事を言うけれど、実は仕事きっちりの人なので、見ていて安心できるものがありました。

今回の全編を通してのテーマは、児童虐待だったかもしれません。

このドラマが残酷だと思える理由は、ひとつにはその殺害方法にもありますが、またひとつには殺害される人が殺害されて欲しくなかったと願いたくなる人が多いからかも知れません。それまでの人生が惨めだった人や若い人、逃れようと一生懸命に努力した人にも容赦がありません。このドラマは「どうせ助かるんでしょ。」みたいに甘く見る事が出来ず、ドキドキするのです。

また今回敵だった「サーカスマン」にも、同情してしまう部分もあったように思います。

 

そして犯人も捕まり、メデタシメデタシかと思いきや、グォンジュが拉致されてしまいます。

どうなる~?!

という所で「ボイス5」に続きです。

 

あらすじ:

《112通報センター、ゴールデンタイムチームのグォンジュ(イ・ハナ)は優れた聴力を持ち、通話口から聞こえるわずかな音から犯人を追跡してきた。しかし、パートナーを事件で失い、悪夢にさいなまれる日々を送っていた。苦しむグォンジュに追い打ちをかけるように、サーカスマンと名乗る人物から彼女にしか聞こえない音でメッセージが届く。
そんな中、連続殺人事件が発生。被害者は「サーカスマンは普通の人には聞こえない音が聞こえる」と言い残し、亡くなる。犯人も自身と同じ優れた聴力を持つと知ったグォンジュは殺人鬼を捕まえるため捜査を開始。そのころ、ロサンゼルス市警のデリック・チョ(ソン・スンホン)の妹がサーカスマンの殺人現場を偶然目撃、殺害されてしまう。デリックは犯人とグォンジュが同じ能力を持つことを知り、犯人を捕まえるためにグォンジュと手を組む。》

 

(以下ある種のネタバレメモ)

常々思っていました。

多重人格のひとりがシリアルキラー、ひとりが善人の場合、罪はどうやって裁くのかと。

 

また今、リアルに新興宗教の事がテレビで論じられていますが、こういう時ちゃんとした宗教があおりを食らうのは間違えていますよね。

新興宗教で、トップの脳内メーカーが「金金金」になっていたら、それは宗教ではないですよ。客観的に見ればわかる事でも、マインドコントロールされた人々には、分からないのです。

凄く小さいコミュニティでも、そんな場所での捕物劇が、このドラマでも出てきますが大変だなと思いました。このドラマを見たのは、あの事件の前で、今のようにあの教団の事で騒がれている前です。それでもそう思いました。

本当は目の前で化けの皮がはがれても、マインドコントロールされた人々は、目の前の出来事が間違いなのだと、脳内習性をしてしまって話にならないのです。


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「妄想美術館」

2022-07-13 08:32:20 | ユーモレスクを聴きながら(book)

7月7日に読了。

美術館で絵を見る事が好きな人は、この原田マハさんとヤマザキマリさんのおしゃべりに嵌る事間違いなしなのではないでしょうか。

(「間違いなし」と言いながら「でしょうか」と書く気の弱さは・・・・置いといて)

「モナリザ」が日本に来日した時の想い出や、近い所では「若冲」の5時間待ちの話など、ついついこのお喋りの3人目になって心の中で会話してしまいました。

 

ちょっと私のお話です。

私も「モナリザ」は(たぶん)中学生の頃、姉と姉の友達とで見に行ったんですよ。確かに長蛇の列。そしてやっと順番が回ってきた時、気持ちの中では「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」のような気持ちになっていました。

見る事が出来たのは一瞬。

「謎の微笑み」が「謎」に見えたか否かも分からないまま、自分の順番が終わってしまいました。背景が印象的でした。

それからまた、私はその後、友達と上野にパンダを見に行ったんですよ。

やはり長蛇の列で、やっぱり見たのは一瞬。

「キャー可愛い、もっと動いて~。」と思っている間もなく、自分の番が終わったんです。

なんかその時思ったんです。自分にとっては「モナリザ」も「パンダ」も同レベルって。

 

では意味がなかったかというと、そうではありません。それまで美術館でアートを見る経験がなかった私にとって、その経験が美術館に行くことのハードルを下げたと思うんです。

「モナリザ」は今でも「今まで見る事が出来なかった、または二度と見る事の出来ないお宝」です。

ルーブルに行けば良いんだと思っていましたが、二人の話によれば、今でも人気のそれは、ルーブルでも二重三重の人だかりだそうです。

そして「若冲展」。やはり3時間並んだ(その前に電車のアクシデントがありプラス1時間半の待ち時間)それでしたが、今でも「クスッ」と笑ってしまう煌めいた想い出です。→若冲地獄

襖絵や掛け軸など、日本でアートは一部の人のためのようなものに感じられていたけれど、実はそうではなかったと言うお話の中で、出てきた例だったと思います。(趣旨が外れていたらすみません。)

 

最近「ポーラ美術館」に興味がありで、検索していました。

そしたら本の中でお勧めの美術館の中に、それが入っていました。

また閉館してしまった「原美術館」の話も出て来て、そんな所もちょっと嬉しかったりもして、先に書いた「一緒におしゃべりしている感覚」にどんどん入っていきました。→《そして、原美術館に着きました》7月の東京散歩

「アートは友達。美術館は友達の家」と言う原田マハさんが大好きです。(の、割には本自体は未読です。ごめんなさい。)

ヤマザキマリさんの好きな絵には、共鳴するものがあって「そうなんだ~、やっぱり!」という気持ちにもなりました。

しかしそれにしても、ヤマザキマリさんのお母さんは意識が高い人だったのだなと、少々の羨ましさを感じました。と言ってもその方が私の母であっても、私に対応が出来るわけもなかったわけですから、隣の芝生を羨ましく思わない事は大事な事ですね。だけどやはり、素晴らしいお母さんだったのだとは思います。

私的には180度見方が変わるという事はなかったかもしれませんが、ある視点においては、ちょっと意識が変わりました。それは「未完成」と言われている絵画についてです。

かなり以前、ピカソの絵画展に行った時、これでもかというくらいアトリエ総ざらいのように持ち出された未完成品が展示されていたのでした。

私は「作家は見てもらいたくないんじゃないのか。」と、その部屋の意味が見いだせず、寧ろ嫌な気持ちになったのでした。

ところがふたりの会話から、その「未完成品」などにどのようなドラマがあったのか、その未完成と言われている絵画のドラマチック性を教えてもらったように思いました。

対談形式なので気楽にさらさら読めますが、なかなか読みごたえがあって、読み終わった時、私はとっても幸せな気持ちになれました。

 

 

・・・


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絶対痩せない三日間

2022-07-12 19:11:10 | 梢は歌う(日記)

まだ月初めの、実家に帰った時の事を書いています。

1日、いろいろと家で予定をこなし横浜についてみたら、あまりゲキ✖シネが始まるまでのお時間が無くなっていたんです。

◎そのゲキ✖シネの感想は→ゲキ✖シネ「狐晴明九尾狩」

Tジョイシネマがある場所はとってもお洒落で、シアターの売店で買ったものを夕食に頂いても良かったのですが、お洒落過ぎて「どこで食べるの。」と言う感じでしたので、フードコート隣接のお店に入る事にしました。(後でよくよくHPを読んだら、階を変えて食べる場所があったみたいです。窓際のベンチかしら。)

で、頂いたのが「しらす食堂 じゃこ屋」さんの「特選海宝丼」です。トップ画像のそれです。

この時私、あまり時間がないなぁという事で頭がいっぱいになっていました。

感じの良いお姉さんが、「今なら限定のこれとこれが、まだ召し上がれます。」と言うので、じゃあ、これでとなったわけです。

悲しい事に、メニューを見る時、ある種の(笑)お眼鏡が私には必要なんです。でもこの時、バッグの底に沈んでしまっているに違いない眼鏡を出して、しみじみとメニューを見ると言う時間を省いてしまいました。

それでむしろ、あくまでも私的にはですが、ゴージャスな夕食になってしまったのでした。

これ、とっても美味しかったんです。「あっ、海老が入ってる、蟹も入ってる、白身魚も。」とお口の中がパラダイス♪

こんなのひとりで食べて申し訳ないわぁと言う気持ちに、私はすぐになって・・・・・そして「まっ、いいかぁ」ってすぐになる(^_^;)

お店の人も感じよくて、また来ようと思いました!!

 

そしてその翌日の朝、姉の家で、いつもの2倍の量の朝食を頂いて、「じゃあ、働くか。」とせっせと働きました。

◎そのお仕事は→実家の片付け その2

なんたって、母の部屋はエアコンのコンセントを入れる所から始まるわけです。

汗だくになりながら働きました。

「お昼は出前館を使って、マックで良いよ。朝がパンでもパン好きだから、マック一個でいいや。」と言っていたのですが、この日、auで大規模な通信障害が起きていたでしょう。

「使えない!唯一イエデンで登録してあるのが銀のさらだ。」と姉が言いました。

で、「マック一個でいいや。」がお寿司になりました。世の中想定外の所で、何かが起きているわけです^^

心の中で、これでは母の誕生日と一緒だなと思いました。しかもサイドメニューまであってあの時よりリッチじゃない?

いわゆる報酬という事で「まっ、いいかぁ。」。

その日の夜は、ラッタさんと横浜駅で待ち合わせをして夕食を頂きました。実家で朝から立ったり座ったりの回数が多くて、夕方の私は見るからに足の不自由な人の歩き方。それでも私は一向に平気だったのですが、ラッタさんが予定していた場所まで歩けないのではないかと、待ち合わせの場所から近いお店に入りました。

なんと昨日のビルと一緒。昨日のビルって思い出しました。「NEWoMan」ですね。

昨日はひとりでは入り辛かったお店に入りました。

あっ、そうそう。このビルの上層階の飲食店街の土日は、予約していないと、まずは入れないと思って良いみたいな感じでした。

このお店は、お洒落でやっぱり店員さんの感じも良かったです。でも見渡すと、カップルばっかり。なんだかラッタさんに悪いような気がしました。(笑) 

お腹はいっぱいだったけれど、なんか、何かが物足りなくて、そのビルの地下に足を運びました。側面に映画のポスターが貼られていて、なんか落ち着きました。おばさんの私には^^

お店の名前は気が向いたら追加するかもしれないし、しないかも・・・・

考えてみたら、食レポ記事じゃないんで、要らないかという所ですね。

「こんなに食うな~!!」という趣旨なんじゃないかと・・・どうでしょうか(笑)

とりあえず「NEWoMan」というビルは面白い所だと思いました。

 

その翌日、母がまたいつもの中華屋さんに誘ってくれましたがお断りして、帰りがてらまたラッタさんの街に行き、これといって話もないけれど会ってきました。たまにしか会わない子供に会いたいと言うのも本音ですが、ひとりで母を食事に連れていく自信がなかったのかも知れません。(もっと修行せねば)

お昼にはトウモロコシ茶が前から気になっていましたので、それを注文したのですが、ほんのり甘くて美味しかったです。家でもあのヒゲを乾燥させて作る事が出来るそうですが、今年はまだトウモロコシを1本も食べていないような気がします。

お値段が昨日の夕食の半額。ホッとできる味だし、お洒落でなくてもお母さんはこういうのでもう良いですと、元も子もない事を思うワタクシ。

そしてラッタさんが最後におごってくれました。スプーン一杯のおまけがついていました。

 

横浜から私の住む街も、そんなには近くはないのですが、そこにラッタさんの街までの寄り道をすると、更に遠くなるのです。自分の街に着いた頃は喉がカラカラです。しかも小腹も空いちゃって~。なのに日曜日のバスは怖いです。1時間近くも待たなくちゃなりません。

スッゴク遠い帰り道(/_;)

バス待ち時に頂いた「ポテオニ」とアイス珈琲。

 

いつもこういう時はお弁当を買って手抜きをするのですが、使わなければならない食材があったので、「鎌倉殿」は録画して家に帰るなり作りました。

普通に朝昼晩と、ご飯を食べているだけなのですが、やはり外食ばかりだと食べ過ぎ感が半端なくありますよね。

それに食後のスィートも、そんな印象を与えてしまうと思うのです。

やはり食べたものの記録はそれなりに意味があると思います。

食べすぎたと思うばかりではなく、寧ろ「ああ、楽しかったナぁ。」という記憶に繋がって、幸せな気持ちを思い出す事が出来るからです。

何事もプラス思考は大事な事ですね。

 


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実家の片付け その2

2022-07-11 23:33:23 | 家族スナップ

たぶん毎月と言うわけにはいかないと思いますが、実家に帰ったら、一日はお片付けを手伝おうかなと思っています。

「実家の片付け その1」は、実は記事はなくて「6月の暮らし☆2022」の中の「その他の日記」の欄に書きました。

6月は10年近く手つかずだった父の洋服ダンスの中の服を捨てました。

 

その時、私はふとある事を思い出し姉に言いました。

「お姉ちゃん、ジャケットなんかを捨てる時は、ポケットの中を見た方が良いよ。」と。その中の服はすべてが洗ってあるわけではなかったのです。父の最後の日々に着ていた服が何枚もありました。

父は黒い革ジャンが好きでした。だけど何枚も似たような奴があって、思わず父らしいなと笑ってしまいました。

父は貰ったお釣りなどをお財布に入れないで、ポケットに入れっぱなしにする事も多かったのです。

子供の頃、母がそれを時々チェックしていたのを見ていたんです。母も私の前でまったく悪びれず、「お父さんはね、こんな所にお金をね・・・」と言う感じ。

ある日、母のいない時に集金の人が来て、対応していた父に「端数の小銭はないですか。」と言ったんです。

あまり小銭を持ち歩かない父だったので、お財布の中を見ながら「ないなあ・・」とか言っていたので、

「あっ、もしかしたら、あるかもよ。」と私は洋服ダンスの中の父の背広のポケットから、その端数のお金をみつけ父に渡しました。

集金の人が帰った後で、

「どうしてそこにお金があるの知ってたの?」と父が聞くので

「お母さんが教えてくれたの。使っていいお金だって。」

「なんて事を !! 悪いやつらだ。」と父。

その後、父が何を言ったのかまでは覚えていませんが、あまり嫌な思いをしなかったので、怒ってなかったのだと思います。

我が家でも、1円5円10円が溜まってしまうと、男たちはみな私に寄付をしたがりますので、そんな感じだったのかも知れませんね。

 

そして今、父のジャケットからはお金は出てきたのでしょうか。

それが出て来たんです。

100円だったかしら。それにも満たない68円だったかな ?

「少なくて残念だったね。最後はずっと家にいたから、小銭をポケットに入れる機会も無かったものね。」と私は笑いながら言いました。

でも・・・・、

でもですね、私はこれを書いていて、急に切ないような、胸がキューンとなるような気持ちになりました。

洋服ダンスの中で、父の日常がずっと眠っていたのかと思えて。

 

そして7月の実家の片づけは、母の部屋にある整理ダンスの整理です。勢いがついて押し入れダンスやベッド下の整理などをしました。

資源ごみになる服の処分はゴミ袋二袋でしたが、バッグやベルト、その他もろもろで他に七袋ぐらい捨てました。

なんだか母の部屋が軽くなったように感じました。

母はある時から、「掃除」の意味を忘れてしまったのかと思うくらい、お掃除をする事をしなくなりました。もちろん掃除機掛けなどはしますが、箪笥の上などは何年掃除していないのだろうと言うくらい埃を被っていました。

埃を取ってスッキリした父の作品です。

そうか。下の白い部分は粘土でやればいいんだなとか思う私。

私が箱庭のようなものを作りたくなってしまうのは、父の血の影響からかしら。

因みに私の作ったもので一番最近の物は、2020年のコレ→

 

頑張った証拠の画像は ↓

 

 

引き出しなんかを整理していると、26歳か27歳くらいの父が母に出した手紙が出てきたりしました。私がまだこの世に存在していなかった昔です。

その頃父は失業し、母は山梨の父の実家に身を寄せていました。父は生活を立て直すために、ひとり横浜に残り奮戦していたのでしょう。

母は舅がしていた水晶研磨の仕事を手伝っていたと思います。

綺麗な文字で、仕事はゆっくり覚えれば良いからとか、肩身が狭くならないように食費を送るとか、何も持っていないと心細いと思うから母の小遣いの分も入れておいたとか書いてありました。

手紙には母が「一人で読むこと」と但し書きがついていました。

その但し書きのせいで、途中で読むのを止めたのではありません。母の小遣いもという所で、泣いてしまって読めなくなってしまったのです。

父は若くしてちゃんと大人の素敵な男だったなと、身贔屓な私は思いました。

66年、大事にしまわれていた手紙、もちろん大切に引き出しにしまいました。

(でもいつか読んでしまうと思う、私^^)

 

押し入れダンスの中から、博多人形が新聞紙に包まれて2個出てきました。

昔これは、箪笥の上に飾られていました。たぶんですが、これが仕舞われたのは、2011年の3月11日以降だったのではないかと思いました。博多人形は母が好きで、部屋にも2個飾ってありましたが・・・・・

 やっぱりさぁ、この人形たちは4個一緒に飾られた方が良いよね。

絶対に良いよね。

 

脈絡なく出てくる花の画像は、6月に行った「イングリッシュガーデン」の花たちです。

 


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ゲキ✖シネ「狐晴明九尾狩」

2022-07-10 07:46:15 | 観劇・コンサート日記

《『敬称略』で書いてます。》

「劇団☆新感線」のお芝居を観る事は大好きです。ただ近頃は、なかなか劇場に足が運べません。それでライブビューイングや「ゲキ✖シネ」でやってくれるととっても嬉しく思っています。そして今回も、「わあ、こんなのやるんだ。」とワクワクして、いつも「ゲキ✖シネ」などを観ていた映画館をリサーチしたのですが上映予定に出てきません。まさかと思ったら、やらない模様。(何でよ!?プンプン)

そうすると、お芝居は時間が長いので、気楽と言うわけにはいかなくなるんですよね。

つくばは夜だけかあとか、春日部のイオンは行くのが大変なのよねとか。観た後にちゃんと帰って来られるのかなとか、出来るだけ家から近い所を探して悩んでいたわけですが、

「あっ、何も早く行かなくてもいいんじゃないの。月初めに横浜に行くじゃん。」という事を思い出し、7月1日に横浜駅にあるTジョイで無事に観てくることが出来ました。

あらすじなどは、一番下に貼っておきますね。

 

なんたって陰陽師の晴明ですからね。私の好きなジャンルです。

ただ、私・・・・

ちょっとだけ凄く正直な事を言ってしまっても良いですか。

この前「ハリーポッター」を観たばかりじゃないですか。

無理な事ですが、

「あー、観る順番、逆だったら良かったナぁ。」と、ほんのちょっとだけ思ってしまったんですよ。なんたって、あっちは舞台がやれる限界でも目指しているのかみたいな魔法の世界なんですよね。

陰陽師の術が、何かさっぱりしてるなぁと言う感じに見えてしまったんですよね。

 

でもそれは、観る人(つまり私)が感じてしまった感覚なので、すべてに対しての感想ではないですよ。

新感線らしい時々残酷、そして軽妙な会話、時にはちょっとお下品な会話、ユーモラスな会話の応酬で物語は進んでいき、そして最後は泣ける・・・・・

たぶん家で観ていたら、私は声を出して泣いてしまったと思います。

最後のたった一言で。

 

先日姉が、この前の「鎌倉殿の13人」の感想であふれる涙がしたたり落ちる小池栄子が凄かったと言いましたが、演劇の進歩はそこに見る事が出来るのではないかと、常々思っているのです。

「戦後、靴下と女性は強くなった」と言う、今では死語のような名言があったの、知ってますか。その靴下と言うのはストッキングの事ですが、アレが本当に強くなったと言うのには、もっと時間が必要だったように思います。だけど、いつの間にか進歩していて、「びっくりぽんや」って言うものがたくさんあったと思います。←だから古いって(^_^;)

例えば生理用品とかの紙類なんか劇的で感激ものですよ。同じく子供の紙おむつ。ラッタ君とルート君との時代では、それらは天と地ほどの質の向上があったのですよ。

介護などをしていないので分からない事ですが、たぶん介護用のパンツにも、きっと良いことが起きているのではと思うのです。

一番身近な例で言ってしまいましたが(AIとか科学の話はしないww)、いろいろな所で、ちゃんと人類は進歩しているんですよね。

そしてー。

お芝居の世界では、涙の流し方です。

「目薬 ?  何ですかそれ?」

って、若い人には言われそう。あっ、この「若い人には」って言い方、ちょっと悔しい。でもおばさんはいろんな昔を知ってるものだからさ。ドラマなんかで、泣くシーンの前の目薬を差している所が写ってしまったと言う、放送事故もあったりしたんですよね。

だけど今は「泣け」と言われて涙が流せない人は、昔と違って、きっと「去れ」の世界なのかも知れません。

「お姉ちゃん、お芝居だと、みんなが観ている前で、一杯の涙を浮かべ、すぅーっと落す。それを毎回やるんだよ。当たり前のように思っちゃってるけれど、もうそれだけで凄いよね。それにね、このお芝居、最後に泣けないと、このお芝居自体が成り立たなくなっちゃうんだよ。」とさりげなくネタバレかも知れませんが、姉に熱く語ってしまいました。

 

ドラマも映画も好きですが、お芝居にはお芝居の醍醐味があって、本当に大好きです。

 

晴明役に中村倫也。彼は本当に器用な人だと思います。そして美しかったです。好き度が三倍あがりました。

賀茂利風に向井理。彼が美しいのは前から100も承知。そして新感線がその美しさを十分引き出すメイクをするのも知っていますが、今回の彼は所謂悪役なので、ちゃんとその雰囲気が漂うようなメイクで、やっぱり感心します。

向井さんは、良い役が続いていますね。

タオフーリンと言う狐に、吉岡里帆。劇中に「君の顔を観ていると、なぜかうどんを食べたくなる。」というのがって、思わずニヤニヤしました。(きつねどん兵衛・・・(^_^;))

それから、「誰だったけなぁ、このカッコいい人は・・・」と思ったら、竜星涼でした。

私は今の朝ドラを観ていないのですが、何やらツイッターでは、この人が演じているお兄ちゃんの役どころが酷すぎて、中の人である竜星涼にもダメージが来ているみたいなんですね。それちょっと分かります。朝ドラは怖いドラマなんですよ。

でもこのお芝居の中の彼は、熱すぎる部分がちょっとウザいけれど、カッコ良かったですよ。好きな俳優さんです。

浅利陽介も出ていました。パンフを読んでいて、そう言えば彼も「相棒」、卒業していたのよねと、違う事でしみじみとしてしまいました。ランフーリンに早乙女友貴。この人のお芝居を初めて見たように思います。録画してあってまだ見ていないものに彼が出ているみたいなので、意識して見てみようと思いました。

 

以下3行。新感線好きの方にはネタバレになってしまう事を書きます。

藤原近頼の栗根まことが晴明と賀茂利風に、凄く理解を示す良い人・・・・・・・

こういう役もやるんだなぁ・・・・・・

な、わけないか・・・・・!!

 

パンフも買いました。読みごたえもあるし、美しいです。

 見開きで写すと、表紙はこんな感じ。

 配布されたステッカーと、このお芝居のための特別メニューの飲み物を買ったら、コースターも貰いました。

その飲み物。これを持ってすぐシアター内に入ってしまったので、写すのが大変でした。変な時間にスマホなんか出せないし、休憩時間に撮ったわけですが、あまり意味のないものになってしまったような気がします。バイオレットフィズ ? 飲み物の名前すら忘れてしまった(^_^;)(^_^;)  だけど美味しかったです。

 

《今日は、選挙だ。選挙に行こう!!》

『平安時代の中頃、京の都で宮廷陰陽師として仕える安倍晴明は、類まれな陰陽道の才能から「人と狐の間に生まれた」と噂され、「狐晴明」と呼ばれていた。ある夜、京の空を九つの尾を持つ凶星が流れる。それは大陸を戦乱に陥れた九尾の妖狐が日の本に渡ってきた印であった。晴明は急いで参内するが、九尾の妖狐退治は大陸で学問を修めて戻った陰陽師宗家の跡取り、賀茂利風に命じられる。しかし、九尾の妖狐は利風を倒し、すでに利風の身体を乗っ取り内裏に侵入していた。それを見抜いた晴明は、九尾の妖狐を倒すために動き出す。』映画.comより


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短い紫陽花の季節でした。

2022-07-09 02:55:24 | お散歩&写真日記

 

 

ちょっと自慢ではありませんが、うちのマンションの紫陽花は綺麗なんですよ。

6月の16日、病院の帰りにマンションの紫陽花の記録を撮っておこうと、パチパチと数枚撮ったら電池切れ。近頃、私のスマホはあまり調子が芳しくなくて、だましだまし使ってます。

下の写真から5枚目までがその時撮った紫陽花です。

 

 

で、終了。

じゃあ、またね。

が、「またね。」はなかったのです。

数日後、そうだ、あの続きと思ったら、既に紫陽花たちは茶色に変色して枯れ始めていたのでした。

今年の紫陽花は、あっという間の寿命だったと思います。

 

29日に選定しました。

いつもなら切った枝の中に綺麗な紫陽花がいくつも紛れていたりもしたのですが、今回は皆無です。

それでも私は、ボロボロになった紫陽花を拾って洗面所につけておきました。

 

私の拾った紫陽花を見て、「こんなの止めておきなよ。」と、もう少し綺麗な紫陽花を見つけて交換してくれた人が居ました。その綺麗な紫陽花も頂きましたが、その人が避けた紫陽花も実はまた拾って来たのです。

人の価値観はそれぞれでしょう。

私には、それでも使い道があるんだからねって思いました^^

まあ、どう見てもゴミがどっちゃりと言う感じに見えますものね。

 

だけど紫陽花は「色」だと思うんですよね。

花の盛りには、こんな色は出せません。

私はインスタはやっていないのですが、妹がインスタにあげたら、褒めてくださった方がいて嬉しく思いました。

 

 

 

7月1日の朝、横浜に行く支度も終わってないのに、この水につけておいた紫陽花の飾りなどを作っていました。

トップ画像は時間に余裕がなかったので一枚しか写真を撮らなかったのですが、くるくる回せばいろいろな顔を見せてくれたと思います。

そして下のコレ。

時間があれば今年こそ、睡蓮鉢を洗ってやりたかったです。

超ミニ花手水(の真似事)

ほらっ、ここでも緑はちょっと生きているって、自己満足かも知れませんが、そう思いました。

 

今年のマンションの紫陽花の季節は、本当に短かったけれど、それでもこの季節になると、私は「ありがとう」と花たちに言いたくなるのです。もちろんこの花を植え、育てている人たちにも。

 

※     ※     ※

7月8日、安倍元総理が銃弾に倒れました。

ショックでした。

日本でこのような事件が起きるなんて。

ご冥福をお祈りいたします。


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犬から学ぶ佇まい

2022-07-07 00:35:57 | 梢は歌う(日記)

本当に久しぶりに、あるお友達の家に行きました。

10年以上昔、私はその家にいるゴールデンレトリバーが怖くて近づくことが出来ませんでした。

愛らしい性格で、家を訪ねたら、はしゃいで歓迎してくれているのは分かるのですが、それでもその大きさが怖くてダメだったのです。はしゃいで立ち上がれば、私の身長より大きいわけですから。

その頃、彼女が犬を飼ってからだいぶ遅れてですが、我が家にも柴犬のココちゃんがやって来てくれました。そこで私は悟りました。

私には柴犬以上の大きさの犬はダメなんだなと。

だから私がたまに行くと、彼女のレトリバーちゃんは、私が帰るまで二階に待機させられていました。

 

それから10年は経ったわけです。いいえ、もっとだと思います。その柴犬のココちゃんが13年生きて、そしてその後にやって来てくれた猫のももちゃんも10年生きて、今は猫の楽園の住人です。

彼女の家の初代レトリバーちゃんも、もうとうにいません。

だけれど、その彼女はその後パピーウォーカーをし、盲導犬候補の犬を何頭も育てました。(何匹?)

そして今は引退犬の引き取りボランティアをしています。(素晴らしいですよね!!)

 

家の中に入って行っても、部屋は静か・・・。

ワンちゃんたちは、昔のように二階で待機なのかと思いました・・・が、すぐ隣の部屋のワンちゃんたちに用意されたベッドや椅子に座っていたのです。

誰が入って来たのかと、二匹のワンちゃんたちの目はキラキラしていました。きっと飛んできてクンクンと匂いでも嗅ぎたいのではないのかと思いましたが、じっとしていました。

「なんだぁ、すぐそこに居たんだね。」と私は言いましたが、その時私自身が驚いていたのは、そのワンちゃんたちを見ても、まったく怖くなかったという事なんです。

私が成長したのでしょうか。

いやそれは考えにくい事だと思います。あまり犬と触れ合う事もないし、あったとしても小型犬ばかりです。自分自身を鍛える場所は、今までで皆無と言っても良いと思います。

私が怖くなかったのは、それはこのワンちゃんたちの佇まいに、その理由があったのだと思います。

二匹の犬は、一匹は元盲導犬、一匹は元アピール犬で、訓練されてきた犬だったからだと思いました。

 

私一人の時は、じっとしていた彼らでしたが、その後、ご近所のワンコのお散歩仲間の犬大好き仲間の人がやってきました。彼女が「おいで」と声を掛けると、待ってましたとばかりに「遊んで~」のお祭りになりました。そのうちの一匹が、この人も大丈夫だなぁと歓迎のサービスに来てくれました。

テーブルの下からヌボウっと顔を出して、とっても可愛らしかったのです。トップの画像がそれです。これ、昔の私だったら、思わず立ち上がってしまうレベルです。でもまったく怖くなかった私は頭をなぜ回していました。

「写真を撮るよ~」と声を掛けたら、ゴロンゴロンとしてくれて

「これが彼の良いポーズらしい。」と皆で笑い合いました。

 

相手を変えるよりも自分を変えろと言う難しい命題がありますが、これは訓練つまり彼らの勉強が彼らの静かな佇まいを生み、この場合の相手、つまり私を変えたのですね。

向こうに手だけ見えるのは、この家の三匹目のワンちゃんで、今は寝たきりです。

本当に頭が下がります。

 

そして家に帰りました。

うちの猫ちんたち、このワンちゃんたちの匂いにどんな反応をするのかと思いましたが、・・・・

 くぅちゃんは、やっぱり匂い嗅ぎまくりでした。

しかし、いつもクロヒョウくぅちゃんと言っている我が家の黒猫ちゃん、思わず「君小さいね。」って思ってしまいました。

あんずさんは・・・・

 少しもじっとしていなくて、ちっとも写真が撮れないの。ほんのちょっと動揺していたのかも知れませんね。

 


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新大久保に行ってみた。

2022-07-06 12:31:03 | お出掛け日記

6月のお出掛け日記です。

ふとテレビを見ていて、

「そう言えば、『新大久保』って行った事がないな。」と思いました。

私が以前から思っていた「新大久保」のイメージは、韓国商店街の下町と言うものでした。

韓国語なまりのオバサンが、「このキムチ、美味しいよ~。」とか言って、まるで地方の門前町の漬物屋さんのような、またはお土産屋さんのようなお店が並んでいるのかと思っていました。

(今、クスッって笑った人、多いかも知れませんね。)

で、6月20日の日に行ってみたんですよ。

吃驚しました。

「新大久保」のコリアン街は若者の街でした。

 

そう言えば、鎌倉の小町通も浅草も若者がいっぱい。

2回目は行ってないけれど、今頃は「巣鴨」も怪しい・・・・・・って、それは無いか(笑)

 

最近、写真をまったく撮らない人たちとお出掛けすると、妙な遠慮をしてしまって、今見直すと、このお出掛けには肝心な写真がほとんどないのです(涙)

 

トップにお料理の写真を持ってくるのは、私的にはそうそうはない事なのですが、はっきり言ってちょうど良いのがこれしかないかというようなものなんですね。

だけど韓国料理って美味しいですよね。

でもこれ、何か間違えたようで、冷麺がメッチャ辛くて、申し訳ないのですが途中でギブしてしまいました。本当に頼んだのは辛そうではなく涼しげなもので、付いているサイドメニューもチヂミではなくてお肉だったのですよ。チヂミは別にチーズがたっぷりと掛かった海鮮チヂミを頼んだのです(画像無し(/_;))

だけど私はチヂミが大好きなので問題なしです。

それからキンパと呼ばれる韓国海苔巻き、以前から食べたいと思っていましたが、これ、美味しかったです。

スーパーでお土産に買って帰り夕食に出しましたが、好評でした。

お店は何処も混んでいたのですが、このお店もなかなか高評価みたいで、リピーターのお嬢さんなどと、待ちの間におしゃべりなどして楽しかったです。駅から近いお店の二階だったのですが、問題はお店の名前が思い出せない事だと思います。行けば分かります^^

(こんなレポもないと思いますが、「まっ、いいか」という事で)

 

もう既にお腹はいっぱいですが、「せっかくだから」という意識に負けて、スーパーの中に入っているお店で・・・・

いつの間にか中に・・・・

(本当はしっかり見ていましたが^^)

写真のイメージでは、これの半分くらいのものだと思っていたので、侮りました。中はあんこ。米粉で出来た韓国お焼きは、もちもちしていて美味しかったです。

お腹は羊を食べた狼くらいいっぱいだったわけですが、それでもお茶などは飲みたいとカフェに入りました。

そこはパフェなども凄く美味しそうだったのに、さすがに羊が消化されなくて、頂いたのはアイスコーヒーだけでした。

店内は、韓国スター(ほとんど男性)の写真で埋め尽くされていました。韓流スターが好きな方にはたまらないお店だと思いました。

最後に友達が、孫たちにお土産を買って帰ると言うので下のお店に立ち寄りました。

 

私は最初、ぼんやり待っていましたが、可愛らしい入れ物も魅力で、レモンソーダ(?)を持ち帰り用に買いました。

 だけどこれ、こんな蓋つきなのに、もれちゃって・・・・・家に帰って開けたらこの量だったんですよ。美味しかったけれど、日本だけど日本じゃない場所なんだなと、妙な所で実感しました。

 

実はコスメ店にもよりました。

前に仁川国際空港で買ったBBクリームが良くて、韓国コスメにちょっと信用が篤いです。

同じ種類ではありませんが、そのBBクリームとシートパックを買いました。友達はクリームとファンデで、ちょっと高額な買い物をして、お店のオーナーが「代表だから」とか言って、彼女にプレゼントをあげていました。

詳しくは書きませんが、彼女がそれを買うに至る流れの最初を知っていたら、金額だけで判断し、彼女だけにサービスするのは感じが悪いなと、私は思いました。するとお店を出てから、何も買わなかった友だちが、それでも「嫌な感じがした。」と言ったのです。

私が買ったのと同じではなかったのですが、店頭に置いてあるシートパックは、実はスーパーで55円で売っていました。

だったら原価は30円から35円程度だと思います。3人でキャピキャピ言っていたのですから、そんなシートパックでも1枚ずつ私と友だちに「また来てね~。」と渡してくれたらよかったんですよね。

意外と「オバサン族」に裏切りはないですからね。なんでも勉強になるなと思いました。

それから・・・・ってまだあるのかってなところですが、やっぱり備忘録としてはこんな程度で止めておきましょう。

 

新大久保、面白い所でした。また行きたいと思いました。


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