昨日3/24、あるある大辞典の捏造問題の
有識者による調査委員会の報告が出た。
16箇所不適切な表現があったという。
そんな状況の中、
本日、作家高村薫さんが、
産経新聞紙上で、
的を得た談話をされていたので、
抜粋したい。
視聴者である我々の情報をみる態度についてである。
(メデイア・リテラシーについてである。)
<以下、抜粋>
*****************
(テレビ業界の批判をした後)
一方、今回の問題における視聴者の態度を見れば、だまされるほうが悪いといえなくもない。テレビに限らず、ネットの情報にも同じことが言えるのだが、情報が正しいという保証はどこにもないと思う。これだけの情報社会で一つの情報をそのまま信じるのも危険で、たくさんの情報を比べて正しいことを判断する手間と用心が必要だ。
だからテレビを見てノセられて信じるのは、いかにも幼稚な感が否めない。納豆を買いに走ったのが主婦というなら、なおさら家族の健康を預るものとしてもう少し賢くなってほしい。
今、市民は情報に囲まれる中で、「私自身がどう考えるか」という作業の手間を惜しんでいるような心象を受ける。情報に対して無防備である。
テレビを見ながらモノを考えるというのは難しい。ちょっとテレビを消して考える、われに返る作業が必要だ。しかし、大抵がテレビをつけっぱなしで、次の番組が始まって考える暇もない。情報の洪水の中では、取捨選択、ちょっと考える時間が必要なのだ。賢くならないと、情報化社会、広告社会にいいようにされっぱなしになってしまう。
***************************
<以上、抜粋終わり>
私も、子どもの頃、
テレビの言っていること、
新聞に書いていることは、
正しいと信じていた。
テレビに出ている人は、
偉い人と思ってきた。
今は、科学者の目に、
よいのか、わるいのか、
なってしまっている。
単なる楽しむための番組、
娯楽のための番組なのに、
よって、情報の真偽を問うのが、
重要でないにも関わらず、
楽しむ前に、
データの欠けている点について、
考えたりしているうちに、
笑う場面を見失ったりしてしまっている。
楽しむところは、楽しまなくては。。。
文責:小坂和輝
有識者による調査委員会の報告が出た。
16箇所不適切な表現があったという。
そんな状況の中、
本日、作家高村薫さんが、
産経新聞紙上で、
的を得た談話をされていたので、
抜粋したい。
視聴者である我々の情報をみる態度についてである。
(メデイア・リテラシーについてである。)
<以下、抜粋>
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(テレビ業界の批判をした後)
一方、今回の問題における視聴者の態度を見れば、だまされるほうが悪いといえなくもない。テレビに限らず、ネットの情報にも同じことが言えるのだが、情報が正しいという保証はどこにもないと思う。これだけの情報社会で一つの情報をそのまま信じるのも危険で、たくさんの情報を比べて正しいことを判断する手間と用心が必要だ。
だからテレビを見てノセられて信じるのは、いかにも幼稚な感が否めない。納豆を買いに走ったのが主婦というなら、なおさら家族の健康を預るものとしてもう少し賢くなってほしい。
今、市民は情報に囲まれる中で、「私自身がどう考えるか」という作業の手間を惜しんでいるような心象を受ける。情報に対して無防備である。
テレビを見ながらモノを考えるというのは難しい。ちょっとテレビを消して考える、われに返る作業が必要だ。しかし、大抵がテレビをつけっぱなしで、次の番組が始まって考える暇もない。情報の洪水の中では、取捨選択、ちょっと考える時間が必要なのだ。賢くならないと、情報化社会、広告社会にいいようにされっぱなしになってしまう。
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<以上、抜粋終わり>
私も、子どもの頃、
テレビの言っていること、
新聞に書いていることは、
正しいと信じていた。
テレビに出ている人は、
偉い人と思ってきた。
今は、科学者の目に、
よいのか、わるいのか、
なってしまっている。
単なる楽しむための番組、
娯楽のための番組なのに、
よって、情報の真偽を問うのが、
重要でないにも関わらず、
楽しむ前に、
データの欠けている点について、
考えたりしているうちに、
笑う場面を見失ったりしてしまっている。
楽しむところは、楽しまなくては。。。
文責:小坂和輝