「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

あるある大辞典の捏造問題

2007-03-25 17:21:33 | メディア・リテラシー
昨日3/24、あるある大辞典の捏造問題の
有識者による調査委員会の報告が出た。
16箇所不適切な表現があったという。

そんな状況の中、
本日、作家高村薫さんが、
産経新聞紙上で、
的を得た談話をされていたので、
抜粋したい。

視聴者である我々の情報をみる態度についてである。
(メデイア・リテラシーについてである。)

<以下、抜粋>
*****************
(テレビ業界の批判をした後)
 一方、今回の問題における視聴者の態度を見れば、だまされるほうが悪いといえなくもない。テレビに限らず、ネットの情報にも同じことが言えるのだが、情報が正しいという保証はどこにもないと思う。これだけの情報社会で一つの情報をそのまま信じるのも危険で、たくさんの情報を比べて正しいことを判断する手間と用心が必要だ。
 だからテレビを見てノセられて信じるのは、いかにも幼稚な感が否めない。納豆を買いに走ったのが主婦というなら、なおさら家族の健康を預るものとしてもう少し賢くなってほしい。
 今、市民は情報に囲まれる中で、「私自身がどう考えるか」という作業の手間を惜しんでいるような心象を受ける。情報に対して無防備である。
 テレビを見ながらモノを考えるというのは難しい。ちょっとテレビを消して考える、われに返る作業が必要だ。しかし、大抵がテレビをつけっぱなしで、次の番組が始まって考える暇もない。情報の洪水の中では、取捨選択、ちょっと考える時間が必要なのだ。賢くならないと、情報化社会、広告社会にいいようにされっぱなしになってしまう。
***************************
<以上、抜粋終わり>

私も、子どもの頃、
テレビの言っていること、
新聞に書いていることは、
正しいと信じていた。
テレビに出ている人は、
偉い人と思ってきた。

今は、科学者の目に、
よいのか、わるいのか、
なってしまっている。
単なる楽しむための番組、
娯楽のための番組なのに、
よって、情報の真偽を問うのが、
重要でないにも関わらず、
楽しむ前に、
データの欠けている点について、
考えたりしているうちに、
笑う場面を見失ったりしてしまっている。
楽しむところは、楽しまなくては。。。

文責:小坂和輝
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健康になろうとする意思

2007-03-25 07:31:31 | 医療
昨日3/24 聖路加病院で同期に研修を行った
医師仲間と食事をした。
同期の医師仲間は、仲がよく、
たまにではあるが、 集まる。

今回のメンバーは、
一人は、大学医局に属し、医局人事で、
病院勤務の医師。
一人は、子育てを生活の中心におき、
週に数日働く医師。
そして、私の三人。


そこで出た話。
医師仲間の一人が、問題提起した。

健康診断、救急も含め小児医療、
高齢者医療の現場において、
本人に『健康になろうとする意思』を
もっていただくことが、難しい、と。

本人が、自分の体を
健康にするのだという、
主体的な意思のこと。

上で述べた医療が、
無料でなされたり、
無料化の傾向があるが、
アクセスをよくすることが、
逆にその主体的な意思をもつことを
阻んでいるのではないか。

健康診断でいえば、
無料で受けられることが、当たり前となり、
そのありがたさ、必要性を、意識されなく
なってはいないか。

小児医療でいえば、
救急受診もふくめ、すべて医療費が無料になっているが、
小児救急医療の現場では、医療のコンビニ化が進んでいる。
通常の時間の受診で、大丈夫な場合でも、
親御さんの都合で、救急受診するケースがある。
やむをえない救急受診は無料、コンビニ化の受診は有料など、
線を引くのは、難しいが、アクセスのよさが、
かえって安易な救急受診を増やし、
小児科救急の疲弊につながっているのではないか。
(小児科医の意見としては、コンビニ化で救急受診される親御さんに、
小児救急医療の現場で対応することは、それはそれで意義があること
と考えるのであるが、そのことは、ここでは、述べないでおく。)



“無料化”が当然という頭から入っていた、
私にとって、
医師仲間からの問題提起は、
新鮮な部分があった。


無料化の是非は、ともかく、
自分の体を健康にしようという
意思を患者さんがもつために、
医療者といしてどのようにして
関与していけるのだろうか。


勉強でもそうだが、
やらされている、テストがあるからやる。
という段階では、なかなか伸びない。
自らが、勉強する意思をもち、
どんどんその自らの意志で勉強していく時、
はじめて、伸び始める。


昨日の食事会では、
自分の体を健康にするという
意思をもつことへの回答は、
「教育」にあるのではないか、と
話が飛躍して、その話題は終わったが、
私自身、考えて行きたいところである。

文責:小坂和輝
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