日々、ご指導いただいております
目白大学 国際政治学教授 石井貫太郎先生から、
エッセイが届きましたので、
許可をいただき、掲載させていただきます。
石井貫太郎先生から教わることは、
“政治学の大切さ、政治の大切さ”です。
そのことが、伝わってくるエッセイです。
貫太郎先生の熱いメッセージを、
私一人が享受するのではなく、
是非、多くの皆様とともに受け止めるべきだと思い、
貫太郎先生にお願いし、掲載許可を頂きました。
「貫太郎先生の“百歩”から、
“百人の一歩”を導き出す」ようなことが、
小坂の仕事だと考えています。
【ウクライナからの手紙】 目白大学 石井貫太郎教授
私の大学院の弟子であった小林宏紀(こばやし・ひろき)君は、博士課程修了後、ウクライナ共和国のキエフ経済大学へ助教授(国際政治学)として赴任しました。
すでに各所で報道されているように、同国は今、大統領と首相が対立して国を二つに分けた内紛が続いており、物流機能が不全で国民の生活は窮乏に瀕しています。
現地へ取材に行って来たスウェーデン人の新聞記者を通じ、やっとの思いで「学生や住民と協力して何とか生き延びています」とだけ書かれた手紙で師匠に近況報告をしてくれた彼に、私はただ「待っている、必ず生きて帰りなさい」としか言ってやれません。
飢餓は作物の不作という経済現象によって起こるものではなく、当該国家の流通機構の麻痺によって生起する純然たる政治現象です。
小林君が身を置く極限状況は、ヒトの理性の限界と、所詮はその程度の能力しか持ち合わせていないちっぽけな動物としての人間が「政治」というたいそうな仕事をしなければならない矛盾とを証明しています。
経済も文化も社会も、すべては政治のいかんによってその良し悪しが決まってしまうという現実を、われわれ日本人もそろそろ認識しなければなりません。
いかに強力な経済や産業が育ち、絢爛な文化や芸術が開花し、堅実な学問が高揚しようとも、政治が失策ならばすべては終わりです。それは、いかに有能な経営者が育成され、優秀な学者や芸術家やスポーツ選手が輩出しようとも、政治家が無能であればすべては終わりであることを意味します。
果たして有能な政治家とは、政治学に精通した国民によって作られる厳しい政治社会の風土からのみ育ちます。国民に政治学を啓蒙することを使命とするわれわれ政治学者の仕事を、どうかみなさんにも応援し、協力して頂きたいと思います。
ろくに政治学を勉強することなしに政治を論じたり政治家になったりする人間が、この国ではあまりにも多すぎます。経済や経営を論ずるために経済学や経営学を学ぶ人は多いのに、なぜ政治を論ずるためにその専門分野である政治学を学ぼうとする人が少ないのか、われわれにはあまりにも不思議で仕方がありません。
われわれのかけがえのない祖国である日本を、北朝鮮やイラクやウクライナのような国にしないために、どうかみなさん自身にも、政治学を勉強して頂かねばならないと思います。
他国を助けるためには、まず自国の礎を築くことが必要です。国家の礎とはすなわち、政治学を識り、常に厳しい目で政治の動向を観察し、決して政治家を甘やかすことのない毅然とした批判精神を有する国民の良識を意味します。
遥か中央アジアの草原の彼方から、小林君も、きっと日本がそのような国になってくれることを願っているはずです。
目白大学 国際政治学教授 石井貫太郎先生から、
エッセイが届きましたので、
許可をいただき、掲載させていただきます。
石井貫太郎先生から教わることは、
“政治学の大切さ、政治の大切さ”です。
そのことが、伝わってくるエッセイです。
貫太郎先生の熱いメッセージを、
私一人が享受するのではなく、
是非、多くの皆様とともに受け止めるべきだと思い、
貫太郎先生にお願いし、掲載許可を頂きました。
「貫太郎先生の“百歩”から、
“百人の一歩”を導き出す」ようなことが、
小坂の仕事だと考えています。
【ウクライナからの手紙】 目白大学 石井貫太郎教授
私の大学院の弟子であった小林宏紀(こばやし・ひろき)君は、博士課程修了後、ウクライナ共和国のキエフ経済大学へ助教授(国際政治学)として赴任しました。
すでに各所で報道されているように、同国は今、大統領と首相が対立して国を二つに分けた内紛が続いており、物流機能が不全で国民の生活は窮乏に瀕しています。
現地へ取材に行って来たスウェーデン人の新聞記者を通じ、やっとの思いで「学生や住民と協力して何とか生き延びています」とだけ書かれた手紙で師匠に近況報告をしてくれた彼に、私はただ「待っている、必ず生きて帰りなさい」としか言ってやれません。
飢餓は作物の不作という経済現象によって起こるものではなく、当該国家の流通機構の麻痺によって生起する純然たる政治現象です。
小林君が身を置く極限状況は、ヒトの理性の限界と、所詮はその程度の能力しか持ち合わせていないちっぽけな動物としての人間が「政治」というたいそうな仕事をしなければならない矛盾とを証明しています。
経済も文化も社会も、すべては政治のいかんによってその良し悪しが決まってしまうという現実を、われわれ日本人もそろそろ認識しなければなりません。
いかに強力な経済や産業が育ち、絢爛な文化や芸術が開花し、堅実な学問が高揚しようとも、政治が失策ならばすべては終わりです。それは、いかに有能な経営者が育成され、優秀な学者や芸術家やスポーツ選手が輩出しようとも、政治家が無能であればすべては終わりであることを意味します。
果たして有能な政治家とは、政治学に精通した国民によって作られる厳しい政治社会の風土からのみ育ちます。国民に政治学を啓蒙することを使命とするわれわれ政治学者の仕事を、どうかみなさんにも応援し、協力して頂きたいと思います。
ろくに政治学を勉強することなしに政治を論じたり政治家になったりする人間が、この国ではあまりにも多すぎます。経済や経営を論ずるために経済学や経営学を学ぶ人は多いのに、なぜ政治を論ずるためにその専門分野である政治学を学ぼうとする人が少ないのか、われわれにはあまりにも不思議で仕方がありません。
われわれのかけがえのない祖国である日本を、北朝鮮やイラクやウクライナのような国にしないために、どうかみなさん自身にも、政治学を勉強して頂かねばならないと思います。
他国を助けるためには、まず自国の礎を築くことが必要です。国家の礎とはすなわち、政治学を識り、常に厳しい目で政治の動向を観察し、決して政治家を甘やかすことのない毅然とした批判精神を有する国民の良識を意味します。
遥か中央アジアの草原の彼方から、小林君も、きっと日本がそのような国になってくれることを願っているはずです。