日野原重明氏のご講演を聴く機会を得た。
『人間の外なる環境と内なる環境』
“私なり”にまとめてみる。
“私なり”というのは、
やはり実際にご講演を聴くことの
足元にも及ばないからである。
日野原氏は、数々の引用を引き、
生命科学の原理から歴史の流れまで、
話題が多岐にわたるが最後のところで
完結される、すばらしいご講演であった。
ご講演の中にきらりと出る
発想の豊かさは群を抜いていた。
私なりの解釈:
小坂版『人間の外なる環境と内なる環境』
人の健康には、
環境という要因が影響を与える。
環境には二つある。
自分の内と自分の外である。
自分の内面にある環境、『内なる環境』と
自分以外の環境、
すなわち地球環境、社会環境など『外なる環境』。
ルネ・デュボスは言っている。
「健康な状態とか、病気の状態といったものは、
環境からの挑戦に適応しようと対処する場合に、
成功したか、失敗したかにより決まる。」
『内なる環境』に適応するには、どうすればよいか。
特にこの内なる環境は自分自身のことであるがゆえに、
人自身が変えることが可能なのである。
①生活習慣を改善していく
住居、食事、運動、社会活動など。
②出会いを大切にする
多くの友、多くの師をもつ
そしてよき本にであう。
③生きる内容を深めていく、生きがいをつくる
趣味を持ち、興味の幅をひろげていくことや、
宗教・哲学などにも関心を広げていく。
日野原氏は言う。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから。」
人生の午後という退職後を生きるためにも
内なる環境を豊かにしていくことは大切であり、
このことこそが、高齢化社会の解決の糸口である。
今はそうはなっていない。
高齢になると自立よりも介護の権利を主張する。
介護を安易に得ることの代償として、
人は得られるはずの健康を失っているのである。
次に、『外なる環境』に適応するには、どうすればよいか。
人が変えることが可能な環境もあれば、
変えることのできない環境もある。
まず、地球環境をよくする努力、壊さない努力が必要である。
温室効果ガスの増加による気温上昇は、迫る危機を意味する。
戦争は、環境破壊の最たるものである。
それは、人間そのものを死に至らしめるから。
日本が戦争に行かぬためにどうすればよいか。
“まるはだか”になることである。
今はそれとは逆の方向。
憲法を変え、
自衛隊を自衛軍にし、
アメリカといっしょに戦争に行こうとしている。
キング牧師は暗殺されたが、
無抵抗で黒人の権利を獲得した。
ケネディは暗殺されたが、
黒人の権利を擁護した。
ガンジーは暗殺されたが、
無抵抗で米国からインドの独立を勝ち取った。
先人達は、無抵抗で、権利を獲得してきたのである。
日本も、“まるはだか”で平和を目指すべきである。
日本が平和のあるべき姿を世界に示すべきである。
日野原氏は、『新老人の会』を組織し、
その組織でも平和の大切さを伝えることを熱心にされている。
私も、日野原氏の主張に同感である。
社会環境も、よくする努力が必要である。
チャーチルがいったが、
「われわれは自分達の建物をつくりあげる。
すると今度は、われわれのつくった建物が
われわれをつくりあげる」
建物が悪ければ、人は育たない。
人がつくった法が、
今度は人を縛り、人を育たなくさせている場合が多々ある。
法というものは、合わなければ、
変えていくという考え方が大切である。
制度や法が悪いから、日本では人が育たない。
『人間の外なる環境と内なる環境』
“私なり”にまとめてみる。
“私なり”というのは、
やはり実際にご講演を聴くことの
足元にも及ばないからである。
日野原氏は、数々の引用を引き、
生命科学の原理から歴史の流れまで、
話題が多岐にわたるが最後のところで
完結される、すばらしいご講演であった。
ご講演の中にきらりと出る
発想の豊かさは群を抜いていた。
私なりの解釈:
小坂版『人間の外なる環境と内なる環境』
人の健康には、
環境という要因が影響を与える。
環境には二つある。
自分の内と自分の外である。
自分の内面にある環境、『内なる環境』と
自分以外の環境、
すなわち地球環境、社会環境など『外なる環境』。
ルネ・デュボスは言っている。
「健康な状態とか、病気の状態といったものは、
環境からの挑戦に適応しようと対処する場合に、
成功したか、失敗したかにより決まる。」
『内なる環境』に適応するには、どうすればよいか。
特にこの内なる環境は自分自身のことであるがゆえに、
人自身が変えることが可能なのである。
①生活習慣を改善していく
住居、食事、運動、社会活動など。
②出会いを大切にする
多くの友、多くの師をもつ
そしてよき本にであう。
③生きる内容を深めていく、生きがいをつくる
趣味を持ち、興味の幅をひろげていくことや、
宗教・哲学などにも関心を広げていく。
日野原氏は言う。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから。」
人生の午後という退職後を生きるためにも
内なる環境を豊かにしていくことは大切であり、
このことこそが、高齢化社会の解決の糸口である。
今はそうはなっていない。
高齢になると自立よりも介護の権利を主張する。
介護を安易に得ることの代償として、
人は得られるはずの健康を失っているのである。
次に、『外なる環境』に適応するには、どうすればよいか。
人が変えることが可能な環境もあれば、
変えることのできない環境もある。
まず、地球環境をよくする努力、壊さない努力が必要である。
温室効果ガスの増加による気温上昇は、迫る危機を意味する。
戦争は、環境破壊の最たるものである。
それは、人間そのものを死に至らしめるから。
日本が戦争に行かぬためにどうすればよいか。
“まるはだか”になることである。
今はそれとは逆の方向。
憲法を変え、
自衛隊を自衛軍にし、
アメリカといっしょに戦争に行こうとしている。
キング牧師は暗殺されたが、
無抵抗で黒人の権利を獲得した。
ケネディは暗殺されたが、
黒人の権利を擁護した。
ガンジーは暗殺されたが、
無抵抗で米国からインドの独立を勝ち取った。
先人達は、無抵抗で、権利を獲得してきたのである。
日本も、“まるはだか”で平和を目指すべきである。
日本が平和のあるべき姿を世界に示すべきである。
日野原氏は、『新老人の会』を組織し、
その組織でも平和の大切さを伝えることを熱心にされている。
私も、日野原氏の主張に同感である。
社会環境も、よくする努力が必要である。
チャーチルがいったが、
「われわれは自分達の建物をつくりあげる。
すると今度は、われわれのつくった建物が
われわれをつくりあげる」
建物が悪ければ、人は育たない。
人がつくった法が、
今度は人を縛り、人を育たなくさせている場合が多々ある。
法というものは、合わなければ、
変えていくという考え方が大切である。
制度や法が悪いから、日本では人が育たない。