歴史をなぜ学ぶのか?
日野原氏がいうように(07/06/08ブログ)、
私たちは、健康に生きるためには、
“羅針盤をもつこと”が大切である。
宗教学や文学や哲学などとともに歴史学は、
私たちの大事な羅針盤になるから、
よく学ぶ必要がある。
そして、
歴史は、
メディア・リテラシーの能力を生かしながら、
学ぶ必要がある。
教科書問題が常に話題になるが、
「諸説ある」ということを知った上で、
自分の中での歴史の理解を作る必要がある。
“うのみ”にしていると、
いつのまにか誤った歴史理解をし、
誤った羅針盤をもつことにつながる可能性がある。
本日6/9日経で、編集委員 浦田憲治氏により、
歴史学者 網野善彦氏が特集されていた。
網野善彦氏は、日本史の常識を根底から覆し、
新しい「日本列島の社会史像」を打ち出したといわれている。
「網野史学」が歴史の常識をどう覆したか。
浦田氏が、簡潔にまとめてくださっているので、掲載する。
①「百姓は農民」という思い込みへの批判。
農民以外に海民、山民、商人、職人、芸能民などの「非農業民」が含まれることを強調し、農業中心の歴史感を打破した。
⇒ちなみに、和歌山に代々いる私の先祖は、海民であり、私の血には、海民の血が流れているように感じている。
②「日本は孤立した島国」とする俗説を否定。
古代から列島の島々は海上交通で結ばれ、朝鮮半島や大陸と活発に結びついていたことを精力的に掘り起こし、「島国日本」の虚像を壊した。
③「無縁・公界(くがい)・楽」の提示。
中世社会は暗黒の闇ではなく、権力支配の及ばない「無縁所」や「道々の輩(やから)」「公界の者」などの自由民が存在したことを解明し「原始の野性の自由」から中世都市をとらえ直した。
④東国・西国史観の提唱。
東国と西国には社会構造に大きな違いがあり、アイヌ民族や琉球王国人を含めた多様性を強調。「大和民族の単一国家」を批判した。
⑤天皇制への執拗な追及。
天皇と非農業民の深い結びつきを解明し、天皇制がなぜ続いてきたかに一つの手がかりを与えた。
⑥「日本」の相対化。
「日本」は最初から存在したわけではなく、7世紀後半に「日本」の国号と「天皇」の称号がセットとなり、本格的な国家が成立したと説いた。
⑦進歩史観を批判。
歴史は必ずしも進歩しないと見た。進歩の名の下で見落とされてきた、女性、老人、子供、被差別民などに光をあてた。
以上、
浦田氏は、網野史学を、非常にうまくまとめている。
皆さん、網野氏の見解は、
目からうろこといった感じではないだろうか。
私は、網野善彦氏の著書
『「日本」とは何か』日本の歴史00(講談社)を読み、
網野氏の歴史観、すなわち網野史学が、
今まで、私が学校で習い、
その後も学んできた歴史と全然違っていたため、
非常に感銘を受けたことを覚えている。
突拍子もないことを勝手に言うのではなく、
網野氏は、膨大なデータ(古文書)を、
緻密に分析した上で、歴史をとらえなおしているので、
信頼性があり、説得力があった。
網野史学は、学説的評価は定まっていないという声もある。
中沢新一・赤坂憲雄著『網野善彦を継ぐ』では、
「学会の中で敵だらけで孤立していた」という見方がある。
一方、東大の桜井准教授は、これらは誤解だといい、
「学会では孤立していなかった。学説はかなり通説になっていた。『百姓は農民ではない』に対しては、近世研究者からの抵抗が強いが、それでも孤立したと見るのは誤り。先輩の永原慶二さんとの激しい論争にしても、人間的に深いところで結ばれていた」
「網野さんは戦後史学の主流だったマルクス主義史学を批判し、マルクス主義史学は近世史を除き、死滅状態になった。それが息を吹きかえすことはまずない。しかし、今後は、マルクス主義史学のどこがダメでどこがよかったかを検証する必要がある。網野氏学も同じで、きちんと読み直した上で、そこから先に進む必要がある。」
網野氏を知る静岡文化芸術大の山本幸司教授は、
「網野さんの学説に賛成するか、反対するかは別として、無視するのではなく通過して言って欲しい。網野さんほどのスケールの大きい研究者はこれからは出ない。」
網野氏の歴史学は、
歴史に幅広い視点を与えてくれるゆえ、
触れておくのも悪くないと思い、
掲載いたしました。
日野原氏がいうように(07/06/08ブログ)、
私たちは、健康に生きるためには、
“羅針盤をもつこと”が大切である。
宗教学や文学や哲学などとともに歴史学は、
私たちの大事な羅針盤になるから、
よく学ぶ必要がある。
そして、
歴史は、
メディア・リテラシーの能力を生かしながら、
学ぶ必要がある。
教科書問題が常に話題になるが、
「諸説ある」ということを知った上で、
自分の中での歴史の理解を作る必要がある。
“うのみ”にしていると、
いつのまにか誤った歴史理解をし、
誤った羅針盤をもつことにつながる可能性がある。
本日6/9日経で、編集委員 浦田憲治氏により、
歴史学者 網野善彦氏が特集されていた。
網野善彦氏は、日本史の常識を根底から覆し、
新しい「日本列島の社会史像」を打ち出したといわれている。
「網野史学」が歴史の常識をどう覆したか。
浦田氏が、簡潔にまとめてくださっているので、掲載する。
①「百姓は農民」という思い込みへの批判。
農民以外に海民、山民、商人、職人、芸能民などの「非農業民」が含まれることを強調し、農業中心の歴史感を打破した。
⇒ちなみに、和歌山に代々いる私の先祖は、海民であり、私の血には、海民の血が流れているように感じている。
②「日本は孤立した島国」とする俗説を否定。
古代から列島の島々は海上交通で結ばれ、朝鮮半島や大陸と活発に結びついていたことを精力的に掘り起こし、「島国日本」の虚像を壊した。
③「無縁・公界(くがい)・楽」の提示。
中世社会は暗黒の闇ではなく、権力支配の及ばない「無縁所」や「道々の輩(やから)」「公界の者」などの自由民が存在したことを解明し「原始の野性の自由」から中世都市をとらえ直した。
④東国・西国史観の提唱。
東国と西国には社会構造に大きな違いがあり、アイヌ民族や琉球王国人を含めた多様性を強調。「大和民族の単一国家」を批判した。
⑤天皇制への執拗な追及。
天皇と非農業民の深い結びつきを解明し、天皇制がなぜ続いてきたかに一つの手がかりを与えた。
⑥「日本」の相対化。
「日本」は最初から存在したわけではなく、7世紀後半に「日本」の国号と「天皇」の称号がセットとなり、本格的な国家が成立したと説いた。
⑦進歩史観を批判。
歴史は必ずしも進歩しないと見た。進歩の名の下で見落とされてきた、女性、老人、子供、被差別民などに光をあてた。
以上、
浦田氏は、網野史学を、非常にうまくまとめている。
皆さん、網野氏の見解は、
目からうろこといった感じではないだろうか。
私は、網野善彦氏の著書
『「日本」とは何か』日本の歴史00(講談社)を読み、
網野氏の歴史観、すなわち網野史学が、
今まで、私が学校で習い、
その後も学んできた歴史と全然違っていたため、
非常に感銘を受けたことを覚えている。
突拍子もないことを勝手に言うのではなく、
網野氏は、膨大なデータ(古文書)を、
緻密に分析した上で、歴史をとらえなおしているので、
信頼性があり、説得力があった。
網野史学は、学説的評価は定まっていないという声もある。
中沢新一・赤坂憲雄著『網野善彦を継ぐ』では、
「学会の中で敵だらけで孤立していた」という見方がある。
一方、東大の桜井准教授は、これらは誤解だといい、
「学会では孤立していなかった。学説はかなり通説になっていた。『百姓は農民ではない』に対しては、近世研究者からの抵抗が強いが、それでも孤立したと見るのは誤り。先輩の永原慶二さんとの激しい論争にしても、人間的に深いところで結ばれていた」
「網野さんは戦後史学の主流だったマルクス主義史学を批判し、マルクス主義史学は近世史を除き、死滅状態になった。それが息を吹きかえすことはまずない。しかし、今後は、マルクス主義史学のどこがダメでどこがよかったかを検証する必要がある。網野氏学も同じで、きちんと読み直した上で、そこから先に進む必要がある。」
網野氏を知る静岡文化芸術大の山本幸司教授は、
「網野さんの学説に賛成するか、反対するかは別として、無視するのではなく通過して言って欲しい。網野さんほどのスケールの大きい研究者はこれからは出ない。」
網野氏の歴史学は、
歴史に幅広い視点を与えてくれるゆえ、
触れておくのも悪くないと思い、
掲載いたしました。