子ども達が心も体も健やかに育つ
環境をつくりたいという理想のもと、
立候補するというのは、
3・18にご説明いたしました。
小児科医の延長線上の区議です。
では、その両立は果たして可能なのか?
(当然、法律上は可能です。)
「何事もやってみなくちゃわからない。」
という考えで、私は行動してしまいます。
自分に対する説明であれば、
これだけでいいのではありますが、
他人にもこれを信じろとはいえません。
日頃、小児科外来で、
何回もお会いしている
親御さんの中には、
「こいつは、そんなことやりかねないやつだ」
という位は、
お察しつくかもしれません。
ただ、人はみためだけでは、
分からない部分もありますので、
ここに、両立が可能であるという
私なりの根拠をお示ししたいと思います。
それは、自分が今までやってきた、
『実績』を示すことだと考えます。
私の人生は、
「あれもやりたい、これもやりたい」の連続でした。
そして、なんとかやってきました。
私に実力があったわけではなく、
支えてくださった人のおかげであり、
感謝してもしきれないです。
私には、
物事を可能にする出会いがあって
幸運だとつくづく思うのです。
以下、
小児科医と区議の両立が
可能であるということの
私の根拠とするために、
私の過去を書きます。
人の過去の話なんて、たいくつになるでしょうから、
関心のある方のみ、読み進めてください。
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小学校6年生
生徒会副会長。
この時、政治に目覚めたのでしょうか。
小学校、中学校、高校の12年間皆勤。
私の自信のもとは、ここにあると思っています。
小児科外来に来る小学生の
皆勤にこだわるのは、私自身の体験からです。
皆勤には、運も必要で、
できない子もいます。
ただ、まずは、みんなに是非すすめたいことなのです。
高校時代、
とくに高3のときは、
智弁学園和歌山高校の生徒会長、
ひとつ下の副会長、書記にたすけられました。
智弁学園和歌山高校応援団の副団長、
弱小智弁でも、応援は負けなかったと思います。
文化祭での文集『好きやねん智弁』編集長、
そして、大学受験。なんとか、
現役での広島大学理学部合格を
勝ち取りました。
医学部に行きたい気持ちを持っていたため、
妥協しての合格でしたが、
その時は、私は学校の先生になろうと、
自分を説得していました。
実は、今でも学校の先生には、
あこがれています。
理学部大学一年生
ミュージカル『コーラスライン』を自主公演。
マーク役を演じる。
理学部大学二年生
広島大学が誇る新入生全体の一万人規模の
新入生歓迎オリエンテーションキャンプの
グループリーダー。
大学祭では、
ディスコを企画する運営委員長に。
その頃珍しいレーザー光線も導入。
お分かりのように、勉強そっちのけの、
遊びの企画が多い日々。
遊ぶ日々の中で、
妥協していた自分に再度気付き、
退学し、医学部再受験することになります。
高校時代の親友のお母さんに
叱られたのが、最後の引き金でしょうか。
大学行きながらの仮面浪人で失敗。
一度、広島大学理学部に退学届けを出しました。
あともどりできないなか、
一年間浪人生活を送り、
広島大学医学部に合格。
医学部の大学時代、
医学部の三年生は、大変きつい。
この時、属していたクラブが、本学の
ESS(English Speaking Society)という英語クラブで、
そのDebete Section(英語討論部門)の主将でした。
医学部では、生理学、生化学、解剖学と解剖実習、
覚えることが山ほどあって、
一度の試験では受からずに、再試験。
一年分の試験範囲の再試験を
一週間に5科目重なって、
絶体絶命でした。
もつべきものは、友。
友達から得た質の高い
過去の出題問題回答集の助けもあり、
無事、進級。
医学部4年生の時、
大学病院のある霞キャンパスの
大学祭実行委員長。
医学部5年生の時、
医学部自治会長。
医学部6年生のとき、
卒業式の次の日に結婚式。
と、医師国家試験合格と
聖路加国際病院研修医採用試験に合格。
(テストのできは、非常に悪かったと思いますが、
面接で採用していただいた感あり。)
東京女子医大時代、
臨床医をしながら、
遺伝子解析の手法を用いて、
ある染色体異常の病気の子の
血小板減少の原因究明の
論文をもとに、医学博士号取得。
属した研究室、指導して下さった松岡瑠美子先生、
ともに共同研究したパートナーに
恵まれての成果でした。
医師としての小坂を
作ってくださったことから、
その研究室を小坂は、
「松岡再生工場」と呼びます。
2001年、開業とともに、
病児保育事業も併設し、
5年無事に運営。
2005年、隣の古本屋が
場所を移したのをきっかけに、
なにをするかを考える前に、
借りることにし、結局、
子育て広場“あすなろの木”を
自主運営開始。
もうすぐ二年がたとうとします。
行政とのからみで言えば、
教育委員会 地域家庭教育協議会との
協働で、
「世界一受けたい授業 in 中央区」を
昨年2006年9月に開催。
子どもたちに、
その現場の第一線で活躍している人による
授業開催。
のべ100人程度の参加を得ました。
一昨年2005年も同様の企画で、
小学生に政治学の講座
「総理大臣には、どうやったらなれるの?」
を開催しました。
秋には、
中央区健康福祉祭りに2年連続参加し、
子育て講座
『お父さんといっしょ、お母さんといっしょ』を開催。
現時点での役職は、
中央区医師会理事(3/16に理事辞任届け提出、受理待ち)
日本子どもNPOセンター理事、
NPOフローレンス理事、
プレディ月三地域運営協議会委員、
東京青年会議所会員、
臨港消防団団員。
園医は、
ちゃいれっく月島保育園
マミーエンジェル月島保育園
グレースホーム
がんセンターどんぐり保育園
私の宝は、
現在小学校3年生の息子と、
幼稚園年中の娘。
以上が、私の過去です。
たいしたことないと言われるかもしれません。
しかし、私にとっては、与えられた環境の中、
精一杯生きたつもりです。
よい仲間にささえられながら。
楽しい人生だったと思っています。
私のクリニックが、あれもこれもできているのは、
齋藤彰事務長とスタッフのおかけです。
スタッフが、今回の立候補に理解をしめしてくれている
ことにも感謝しています。
文責:小坂和輝