前回の記事の続きです。
♪私は元気~歩くの大好き~~♪♪ドンドン行こう♪って、トトロの歌でも歌いたくなるような
楽しい気分で、峠の頂上まで登りきったら、そこから遊歩道を進んで行く。
自然の木々を残しつつ、桜の木やエゴの木などが植林されている道沿いには渋柿も良い色に熟れて、
「これが、甘い柿ならな。。。」とか思ってしまうのも食いしん坊azamiならでは。
車両の乗り入れが出来ない道なのに舗装はバッチリ。何の為にこんな広く長い良い道が作られているのか?
おそらく幾つもの山の中に作ってある自然遊歩道を管理する人達のトラックが入る為かと。
それにしても、不思議なのは沢山ある遊歩道を歩いて楽しむ人達を殆ど見たことが無いってことだ。
ここから谷間の向こうに目をやると見えてくるのが・・・・
遠くに小さく見える瀬戸大橋、わかるでしょうかね?
望遠で寄せてみれば瀬戸大橋がハッキリと・・・その向こうには霞んだ四国の山並みが見て取れる。
倉敷市児島下津井から四国の坂出へ向けて最初に渡る橋。
先日の記事「瀬戸大橋を望む」でたくさん見て頂いた景色がここの山道からも見えるわけで。
この眺めも中々のお気に入り。
何箇所もある内の1つの遊歩道の入り口、ここを登って山の中をくねくね、
登ったり下ったりを繰り返すと、峠の頂上地点へ帰って行ける。
この道は舗装道路の少し下になる、昔からあった狭い道だが近年は時々整備の手が入れられ広くなっている。
古くなっている橋の左手の湿地には10年程前にはサギソウが見られたが今は全く見かけない。
小さな橋の所からそのまま進んで行くと、ため池の横に出て舗装道路へと繋がっている。
azami地方にはため池がとても多いのだが、休耕田ばかりの今では池の水も使われることがないだろう。
ソヨゴの赤い実、常緑の緑の葉っぱと5~6cmの柄の先の真っ赤な実のコントラストが何とも可愛らしい。
この季節、鳥たちのうれしいご馳走となるのだろう。
先だって「秋の峠道を歩く(1)」でも載せたハゼノキ、ここの木には実がたくさん生っていた。
昔はこの実を利用して蝋燭を作るロウを抽出したそうだ。
今でも僅かに使われている所もあるのだとか・・・・
葉を落としてしまうその前に見事なまでに美しく装って・・・散っていく木々たち。
子孫を残す為の果実を実らせ鳥や動物に食べて貰い、しばしの休息に入る木々たち。
その僅かな時間で終わってしまう美しい秋の移ろいを楽しむのが私たちだ。
身近な山や峠や道べりに小さな秋を見つける喜びをいつまでも大切にしたいものだ。
♪私は元気~歩くの大好き~~♪♪ドンドン行こう♪って、トトロの歌でも歌いたくなるような
楽しい気分で、峠の頂上まで登りきったら、そこから遊歩道を進んで行く。
自然の木々を残しつつ、桜の木やエゴの木などが植林されている道沿いには渋柿も良い色に熟れて、
「これが、甘い柿ならな。。。」とか思ってしまうのも食いしん坊azamiならでは。
車両の乗り入れが出来ない道なのに舗装はバッチリ。何の為にこんな広く長い良い道が作られているのか?
おそらく幾つもの山の中に作ってある自然遊歩道を管理する人達のトラックが入る為かと。
それにしても、不思議なのは沢山ある遊歩道を歩いて楽しむ人達を殆ど見たことが無いってことだ。
ここから谷間の向こうに目をやると見えてくるのが・・・・
遠くに小さく見える瀬戸大橋、わかるでしょうかね?
望遠で寄せてみれば瀬戸大橋がハッキリと・・・その向こうには霞んだ四国の山並みが見て取れる。
倉敷市児島下津井から四国の坂出へ向けて最初に渡る橋。
先日の記事「瀬戸大橋を望む」でたくさん見て頂いた景色がここの山道からも見えるわけで。
この眺めも中々のお気に入り。
何箇所もある内の1つの遊歩道の入り口、ここを登って山の中をくねくね、
登ったり下ったりを繰り返すと、峠の頂上地点へ帰って行ける。
この道は舗装道路の少し下になる、昔からあった狭い道だが近年は時々整備の手が入れられ広くなっている。
古くなっている橋の左手の湿地には10年程前にはサギソウが見られたが今は全く見かけない。
小さな橋の所からそのまま進んで行くと、ため池の横に出て舗装道路へと繋がっている。
azami地方にはため池がとても多いのだが、休耕田ばかりの今では池の水も使われることがないだろう。
ソヨゴの赤い実、常緑の緑の葉っぱと5~6cmの柄の先の真っ赤な実のコントラストが何とも可愛らしい。
この季節、鳥たちのうれしいご馳走となるのだろう。
先だって「秋の峠道を歩く(1)」でも載せたハゼノキ、ここの木には実がたくさん生っていた。
昔はこの実を利用して蝋燭を作るロウを抽出したそうだ。
今でも僅かに使われている所もあるのだとか・・・・
葉を落としてしまうその前に見事なまでに美しく装って・・・散っていく木々たち。
子孫を残す為の果実を実らせ鳥や動物に食べて貰い、しばしの休息に入る木々たち。
その僅かな時間で終わってしまう美しい秋の移ろいを楽しむのが私たちだ。
身近な山や峠や道べりに小さな秋を見つける喜びをいつまでも大切にしたいものだ。