(神奈川県鎌倉市大町)
真言宗能成寺として開山し、弘安五年(1282)公忍のとき、一遍に帰依して覚阿と改名し、時宗となった。境内には室町幕府に対し永享の乱を起こし自害した鎌倉公方足利持氏の宝塔(供養塔)と、一夜菜稲荷の祠がある。昔、名越に住む稲荷を信仰する村人が夢中枕頭に白髪の翁が立ち「我は汝の日頃信ぜる佐竹稲荷の化身なり。此度の悪疫の流行、庶民の難渋まことに不愍のいたり、見るに堪へざる所なり。されば、我が祠前に菜種を蒔き、其れわ摘みて服用すべし。必ず効験あらん」と告げた。村人は祠前に菜種を蒔き、一夜にして菜五寸余になったという。故に一夜菜稲荷と呼ばれるようになった。