
胡桃割る胡桃の中に使わぬ部屋 鷹羽狩行
川沿いにあるオニグルミの色づきも増してきた。折しも、秋のしつらえに整えていく時季にあるが、〈居たるあたりに調度の多きは、賤しげなるもの〉だ、と吉田兼好の都人らしい考えに触れた。(『徒然草』第七十二段)
玄関の扉を開ければ、靴箱の上に並んだ旅の土産品、手作りらしい人形や趣味の品々など、雑多な飾り物が迎えてくれる。通された応接間にはコレクションの品々がぎっしりと飾られている。こういうお宅を何軒も訪問したことがある。悪いわけではない。立派な絵画も飾られ、家族の温かみが演出されている。
靴箱の上にはせいぜい一輪挿しの花か。部屋の床の間には月替わりの軸物と、花が活けてあるだけがいい。
庵じゃないんだから、多くの家族で暮らせば物も増える。それでも、極力スッキリと暮らしたい。これもきっと性分。「モノが散らかっているほうが温かな感じがする」と口にした義母とは相容れず、使ったら使いっぱなしのものを片付け歩くのが私の役回りだった。思い出せばクスリと笑えるほどの散らかし魔だった義母。彼岸の入りに、くしゃみの一つもしているかしら。これまた大きなくしゃみを。
「日常の空間が物で埋められて、そこで花を立てる気にはならない」と、ある華道家の言葉を耳にした。空間を楽しめたら、日々の暮らしはもっと素敵になると思うが、どうでしょうね。