京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

秋日澄む

2017年09月26日 | 日々の暮らしの中で
「どれもが枝先から四、五センチのところで折られた枝に、青々とした数枚の葉とともに、青く艶のある団栗が付いていた」「ナイフで切られたようにすぱっとなっている」
『空にみずうみ』(佐伯一麦)に、こうした柚子と早瀬のやり取りがある。


ウォーキングの際によく見かけていた。前夜の強い風雨で枝先が折られたのだろうかぐらいにしか思っていなかった。けれど、どうしてこんなにたくさん、同じ形で、奇妙なことという思いもわずかだがあったのだ。それが、
 ――チョッキリという小さな虫が木の上で団栗に穴をあけて、そこに卵をうむ。産みつけると、穴をあけたときに出たおが屑状のものを使ってちゃんと穴をふさぐ。その後3時間ほどかけて枝を切り落とす――
読み終わったときには、チョッキリの仕業だと教わっていたのに、ころっと忘れて。つい先日、何気なく見ていたテレビでチョッキリの話が取り上げられていて、改めて思い出すことになった。映像と文字でインプット、今度は忘れないだろう。孫にも教えられそうな気がしてくる。


自転車の練習に出た孫の6歳児が、帰宅後、「公園に行くときにこの花を見た」と図鑑を開いて示したのはヒガンバナだった。家の近くでも咲いていて、その名を教えた後だったから彼の気づきが嬉しい。
『ア、秋』と、太宰に倣って秋探しをするのも楽しいこと。窓を開けて、すだく虫の音に耳を済ませている。
コメント (6)
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