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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

厳しい戒律・慈愛の心

2019年03月01日 | こんなところ訪ねて
円照寺さんに向かいます。
朝、バスの中で入念に注意事項が言い渡されました。①飛び石の上を歩く ②とびらに触らない ③(アライグマによって)傷んだ屋根を写真にとらないで(はずかしい) ④トイレは声掛けをして。付き添う人がいるから ⑤ペットボトルを持って入るの禁止 /  26年間続くこのツアーが打ち切りにならないように…。まあ、別に窮屈なものではありません。



後水尾天皇の第一皇女として生誕された文智女王による開山ですが、八十歳まで長生きされています。
確かに「なんにもない」。観光寺院ではありません。
「貧を旨とし、『法の為に身を忘れ己れを損じること』がこの寺の伝統であった」(白洲正子『かくれ里』)
「人里離れた大和の山中に、孤高の姿をとどめて、自らの意思のもとに、朝廷の危機を力強く生きぬいた一人の皇女の清々しい風貌を伝えている」円照寺です。 

寺では、男衆(おとこし)さんによる案内、説明をいただきました。菊の御紋が障子のマスに透けて、こんな小さな心遣いが美しい。雪見障子がはめられて、そのガラスの古さの値打ち。


ご本尊は如意輪観音でした。やさしい、慈愛に満ちた美しさ、って表現ではどうなのでしょうか。穏やかです、美しい。代々の御門跡が拝み続けてこられた、そのお心のこもったお顔を私は拝顔している。そう思うのです。私はこの場所に来てみたかったのです。説明を受けるのに待ち時間がありました(1号車と2号車とで分かれるため)。その間に庭園など見てくださいとガイドさんは言われるのですがスルーして、ずっとここで対座。自分の世界に浸りたいというクセです。

バスまでの道、神戸からの参加者と話をしながら。彼女は大阪梅田で山村御流のいけばな展を見て関心を持ったとか、同じような人がいるもんです。日帰りで静岡県から参加の女性とも一緒におしゃべりしながら。
ひとつひとつ楽しみごとを作っていかなきゃな…。気持ちも洗われるような、何か少し吹っ切れた思いが…。よい時間を過ごせ、感謝です。

(写真は上から 山門 敷石の上を歩いて-ここから先写真撮影禁止です ご朱印をいただきました)
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「一大宗教都市」の名残り

2019年03月01日 | こんなところ訪ねて
一度は諦め、その後、偶然にも巡ってきたチャンスに小躍りした? しそうになった、のはほんのつかの間。それでも意を決し、つかんだこの機会でした。2月27日、菩提山真言宗 正暦寺と尼僧寺・円照寺へ参拝のツアーに参加。50人が観光バス2台に分乗して10時20分に近鉄駅前を出発しました。


先ずは、正暦寺へ。寺の関係者による先導があり、バス2台は軽自動車のあとに続き山道を進みます。
道路わきに苔むした見事な石垣が目に入るようになって、バスを降りてみれば思ってもいなかった環境に驚かされました。奈良公園から4キロほど、奈良の中心部からは8キロ余りとか。それほどの所にこうした世界が残されていたとは。「錦の里」と呼ばれるほど紅葉は美しいと。そうでしょう。


ここは興福寺「別所」。別寺でもなければ院院でもない。まったく別な地で、ここには一大宗教都市が築かれていた。その名残が石垣なのでしょうか。石垣が築かれ、平面の所には、おそらくすべて堂塔が建っていただろうと。1つの寺に、2つ3つの堂宇が建つ。86坊の塔頭が立ち並んだこの山あいの世界を想像しますと、鳥肌もんでした。


藤原氏の隆盛とともに、拡大。政りごとにかかわらない各家々の次男さんたちは僧となってこの場所へ。寺の数は増えるわけです。僧をプールしておく場所だったと福寿院ご住職のお話。長男が死亡などとなれば急ぎ髪を伸ばし還俗する。そんな一面があったようです。


次第に平家との抗争が生じ、この地に逃げ込んで来るものを追う平家によって火をかけられ消失していく堂宇。藤原氏のトプは興福寺のトップ、そのトップも逃げて来たそうですからたまりません。戦火でとんど焼き払われていったようです。そして徳川幕府による経済制圧。石高を抑えられ「奈良の寺は適当につぶれてください~」の意図だったのだろうと。古文書を読み解く先生、歴史に通じてお話し上手です。楽しく聴かせていただき、そしてまた忘れることも多くって、具体的な数字などは思い出そうにも限界です。


江戸時代建立の福寿院・護摩堂が残っており、大正年間に再建された本堂、鐘楼などが建っているくらい。広大な寺域なのに、なんにもない。
江戸中期以降、急速に衰退したということです。石垣が一代宗教都市であったことをうかがわせる名残り。山道を登って本堂まで。建物を眺めてから下りてお昼は精進料理を美味しくいただきました。

(写真上から バスを降りて福寿院へ 違う角度からの福寿院 本堂を見上げ 本堂が建つ場所から福寿院を みごとな石垣) 

コメント (2)
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