京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「国の花」と讃えられ

2019年03月25日 | こんなところ訪ねて

白川通から東へ、哲学の道を横切って…東山の麓に近い霊鑑寺に椿の花を訪ねてみた。1654年、後水尾天皇が山号と寺号を勅許し、皇女を得度入寺させたことにより始まる尼門跡寺院。


昨日の日曜日、府立植物園会館で「椿と日本文化」と題した光田和伸先生の講演会があるのを知り、思い立って出向いた。

艶やかな緑の葉を持ち、赤い花をつける椿に霊力を見たのか、椿は古代においては天皇の象徴として歌に歌われていた。
磐之姫皇后が大嘗祭の御綱柏を取りに紀伊の国へ行っている留守に、仁徳天皇は八田の若郎女を寵愛した。そのことを倉人女が告げたので、皇后は怒って御綱柏を海の中に投げ捨て、皇居を避けて通り過ぎ、葛城の実家に帰って行く。 ―― この話、読んだかしたことがある…でしょうか(「日本書紀」)。ここで皇后は椿を讃え、仁徳天皇をことほぐ歌を詠む。

  つやつやとした葉が栄える、霊力のある神聖な木・椿
  その椿の花が照り輝いているように、顔色が赤く照り栄え、
  椿の葉が茂り広がっているように、寛らかにくつろぎいますは、大君であるよ

藤原氏が天皇家の外戚として台頭していくまで、椿は初期の大和王権を象徴する花であり、日本の「国の花」(天皇)として讃えられてきた。やがて、椿を讃えることは晴れの場から姿を消した。椿はどうして大和朝廷と賀茂族の花になったか…。猿田彦族や賀茂族のお話など、興味深く聴かせていただいた。


庭内さまざまな色や形をした椿が盛りを迎えて咲き広がっていた。花に存在感があるせいか、椿酔いしそう…。そして、春の特別公開とあって、思っていたより多くの人出だった。椿の花見はお終いにしよう。

コメント (2)
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