京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

耳に目にとどめて

2019年03月19日 | 日々の暮らしの中で

起きるには早すぎる午前3時。まだ眠ってから3時間と経っていないのだから困ったものです。
読みかけの『活版印刷三日月堂 庭のアルバム』の最後を読み通した。八木重吉の第二詩集『貧しき信徒』から十編余の詩(タイトルだけも)が登場してきた。
     「冬」
   木に眼が生って人を見ている

一行だけの詩だが、読んで、なんかわかるなあと思っていたのが、時間が時間だけに今思うとおかしい。

午後から「歎異抄」のお話を聞かせていただくつもりでいたので、その前にちょっと目を通しておきたいと開いた本に吉野秀雄の話が出てくる。歌人であり良寛の研究者として知られるが、「歎異抄」に深く傾倒してメッセージを発し続けた人でもあった。
吉野氏は43歳の年に妻を病気で亡くしている。
   病む妻の足頚にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし

重吉の死後、彼の妻だった登美子さんは吉野氏の妻となる。夜中の八木重吉とここでつながるのだった。

講師は奈良の吉野にある寺のご住職。「歎異抄」は誰が編んだか(唯円の名はここで出てくるわけだが)、〈異を歎く〉というところからお話は始まった。唯円坊のお墓は同じく吉野の龍興寺さんにあるのだとか。親鸞と唯円、私の最初の出会いは中学か高校時代の課題図書で読まされた『出家とその弟子』(倉田百三)だった。

小さな偶然が重なったように見出された不思議。偶然と感じる発見もまた楽しいことだが、そう言えばさっき、「不思議」とは言葉では思えないこと、とかお話だったような。だから何?と言われてもだけれど…。
                               (樹齢400年といわれる銀杏の「眼」は… 2/24)
コメント (4)
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