
天皇の外戚としてゆるぎない地位を確立していく藤原道長の栄華の時代。
内供部である僧侶隆範はわずか16歳だった定朝の非凡な才を見出し、後見人となる。二人の絆を軸に定朝を主人公にして物語は進む。
定朝がいくら美しい仏の像をこの世に作り出しても、貧しく生まれついたものは、死ぬまで都大路の塵にまみれ、やがては虫けらの如く死んでいく。「御仏とはどこにおはすのですか」、と定朝は煩悶し続けた。
「真実の御仏の姿とは、人の裡にこそあるのですね」「おそらく人はみな我が身の中に、他人を救おうとする深い慈悲を抱いているのです。ただ愚かな僕たちは、日々の暮らしに汲々とし、それを忘れ去っているだけのこと。この世の地獄にありながらも、御仏は実は人間一人ひとりの裡で、我々を案じて下さっているのでしょう」
完成させた宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像は、「尊容 満月の如し、美麗なること古今無双」と絶賛。定朝は隆範にひと目この像を見てほしいと願ったが…。道長に排斥された側の物語も絡む中、隆範も定朝も巻き込まれ、東国に左遷された僧侶隆範は実は26年も前に亡くなっていた。
充足感はなかったが、長年ため込んでいたものを出し切った深い空虚感に身をひたす定朝。定朝の「遺骸は火葬され、骨は紫野の上品(じょうぼん)蓮台寺に納められた」。
「まだ真新しい卒塔婆は一叢の薄にも似た軽さで、雪を山頂にいただく叡山を見上げようとするかのように、いつ止むともない北風に揺れ続けていた」、と終わる。

隆範は叡山に眠る。それを思うとこのラストに涙がにじんでならなかった。終章から再度序章に戻って読み返した。奈良仏教に通じる作者、よくこれだけの人物を配し、構想を膨らませるものだと感じ入った。道長の栄華の陰で排斥された者たちのドラマがしみじみと心に残った。
そんなわけで、今日は定朝の墓に参ってみようと思い立った。墓は、東向きの本堂の裏手に回ったところすぐにあって、南面している。叡山は東方向に…。墓碑銘には「日本仏師開山常朝法印」と刻まれている。常朝とあるのは朝廷からのおくり名によったもの。仏師の社会的地位や名誉が公認されるという革新的役割を果たしたという。

2014年4月1日、枝垂れ桜の美しい蓮台寺に参拝したことがあった。