京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

明日ありと思ふ心のあだ桜

2020年02月23日 | 日々の暮らしの中で

天皇陛下が誕生日を前にして、「もう還暦ではなく、まだ還暦」とお気持ちを示されていた。先場所初優勝した徳勝龍関も「もう33歳ではなく、まだ33歳」の気持ちでこれからも精進したいと言われた。

マイナスの言葉を用いると気持ちも下がってしまう(下がることはまあ時々?よく?あることだけれど)。
今、花のいのちはけっこう長くて、老いをいかに楽しく生きていくかということは本当に切実な問題。ああ~あ、な~んもすることない、の日々だったらどうだろう。一日が長くて長くて閉口するかもしれない。やはり楽しい毎日は自分で作りたい。

親鸞聖人は教えてくださっている。〈明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは〉、と。桜だけではない。何にしてもチャンスは逃さないようになさい、と。ためらいの習慣は幸運を逃し、一歩踏み出す力を鈍らせる…。


「若いときから元気がなくてくたびれていたから、老人暮らしになっても落差があまりない」
こう言われたのは、今は亡き数学者・森毅さん。
「元気で長生きしてって言われるけど、これだけ長生きしたんだから元気がないくらいガマンしてよ」
「正しさはなかなか拡がらないけれど、楽しさは伝染するものだ。老人の楽しさを伝染させて、死に向かってくたびれながら楽しさを宣伝しよう。
残る平均寿命を考えると、一事に集中しては目的が達成できない。だから、関心を分散させて、さまざまの状況を楽しもうとするのがいい」

そして、森さんは、過去にこだわらずにゆったり生きるおばあさんに感心されて、「もう自分が男であることにこだわる必要はあまりないのだから、おばあさんのように生きよう」と言われた。思い出すといつもクスリとさせられる。(でしょ!?)

       (木に目が!?)

できるだけ人と交わり、人の目、視線を受けることも案外刺激になると思うのだけれど…。
コメント (8)
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