
今地元紙では昨年末の25日から今村翔吾氏による『茜唄』が始まっている。
二十余年の歳月を費やし「平家物語」を編み上げた「誰か」と、それを語り継ぐ役を引き受けた(らしい)「誰か」とが登場する序章。
次いで、各地で平家に立ち向かう乱が起きていた時代の清盛最愛の4男・知盛が描かれた。知盛は「今の平家の敵は三つ」として、源行家、木曽義仲、源頼朝の三人を挙げる。手ごわい頼朝だが「今なら潰せぬでもない」と思ったところで終った第一章。
朝から系図を描いて人間関係を確認しながら読むなど面倒で、もうやめようかと思い始めていて今日、平家の物語を残そうとする者のもとへ親鸞門下の西仏が人目をはばかるようにしてやってきた。伝え残そうという者にはもう時間がなさそうだ。すでに世は源氏のもの。迫る手があることを予感している。誰なんだ? 今井氏による新しい平家物語、やはりちょっと気にかかって、明日を待つことになった。
切り抜きをためては一気読み、この繰り返しとなりそうだが流れが追える。
平家物語は作者未詳。琵琶法師によってさまざまに語り替えられ継がれてきた。読み本系統でも多様な写本が伝わっている。
義仲の物語はまだ何も始まってはいないが、木曽義仲が琵琶湖畔の粟津で源頼朝・義経の軍勢と戦い戦死したのは寿永3年の1月20日と伝えられている。
塚を近江守護の六角氏が義仲寺に再建した。芭蕉はここを何度も訪れていて、大阪の旅先で亡くなると、遺骸は寺に運ばれ葬られた。二人の墓が並んで建っている。2011年に訪れた義仲寺を思い起こしていた。


木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄(ゆうげん)
今日は大寒。11年に訪れた時は境内の池の亀が冬眠から覚めた時だった。