京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

心入れ

2021年03月05日 | 日々の暮らしの中で
冬の寒さに耐えていた虫たちが、土の中からうごめき出てくるころ、と言われる二十四節気の「啓蟄」に当たる今日。
雨になったが12月から中止されていた文章仲間との例会が開かれ、参加した。


残念だったのは、女性の中では最高齢で、80代半ばを超えるとっても素敵な方が退会されたこと。美術館に行くので、平信をだそうと思いついた。
新たな出会いもあった。11月に入会されたようで、当日私が事情で欠席したために初対面なのだが、今日も席が遠くて話す機会はなかった。視覚障害があるようで点字翻訳機を使って自分の原稿を読み上げられた。

「世界のごちそう博物館」のオーナーシェフ・本山尚義氏の調理ワークショップと講演に参加したときのことからそれは始まった。
本山氏は世界各地を旅して学んだ料理を作り、その国の文化や歴史ともに発信しているという。手に入りにくい食材は身近なもので代用する工夫をし、ときには食材探しで奮闘するそうだが、そうした姿を「ご馳走の精神」に通じると書いた。
どうして「走る」という漢字を使うのか疑問だったが、NHKの連続ドラマ「ごちそうさん」の中のワンシーンから得心したのだそうな。「馳走には誰かに食をもてなすために、方々を走るという意味があ」ると、連続ドラマを見ていない私は教えられた。今は一人暮らしを始めたので自分のためだけの料理だが、いつか、誰かと食べるごちそうを作りたい、…と結んでいた。
人柄が透けて、心をとらえるものだった。手間こそおいしさのみなもと、ね。


帰り道、「彼女はどうやって提出された他人の作品を読んでるの? 読めるだけの視力はあるの?」と同行の仲間に聞いたところ、「聞いてるんやない?」という返事だ…。
以前、属していたボランティア団体の会長と一緒に、社会福祉協議会の会合に出席したことがあった。各団体から出されたものや協議会からのものを合わせて、たくさんのプリントが配られたが、一枚として点字プリントはなかった。自分が参加することを知っていておかしい、と異を唱えた。
それを思い出したものだから、ただ単純に、自分の作品を点字でも書いてみようか、と思いついた。
コメント (4)
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