京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

希望に染まる季節

2023年04月13日 | こんな本も読んでみた
この地上において私たちを満足させるものってなんだろうかと、『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川優三郎)を読み終えて数日余韻に浸った。


終戦の翌翌年に生まれ,、71歳になった高橋光洋の生涯。
貧しさしか知らない暮らしの中で初めて心臓に強い痛みを覚えた16の冬、よくて40年の人生と思い定め、残る20余年をいつ死んでもいいように有意義に生きようと考えた。
父を見送り、母が家を出、貧しさと病と孤独をかかえたまま、ただ就職が決まり家を出る春を待った。
30代には仕事を辞めて海外へ発つ。英語は独学で身につけた。やがて独自の世界観、実体験、他言語での思考を武器に作家に転身する。

生きることも書くことも冒険の人生だったと振り返った。
「一家を上げて働くことが生活なら、自分という人間を築くことが人生だろう」
「人が自分の運命を完成させるまでの意欲と忍耐と闘いの旅路」は今懐かしく、
「灰色の人生も輝き、沸々といのちが燃えて、明日はどうなるか知れないと覚悟して生きる日々こそ希望に染まる季節であった」


人は誰もが生まれながらに〈美しき種〉をそなえているという。
人間を人間たらしめる根源的ないのちであって、その種を育んで開発するのが、この世に生まれてきた甲斐なのだと読んだことがある。

こうしていると小間物問屋遠野屋の主・清之助の言葉が聞こえてくる(あさのあつこ・「弥勒」シリーズより)。
 ― 人の一生を人は決して見通せないのです。定まったものなどなに一つありません。
定めとは日々の積み重ねでございましょう。どのようにも変わり、いかようにも変えられます。

いつの世も、より良く生きようと願って懸命に生きる日々、明日はどうなるか知れなくても覚悟して生きる日々は、スポットライトを浴びても浴びなくても関わりのないことで、一人ひとりが、生きた愉しんだと回顧できる充実感があればそれで十分と言えるのか。

思いきり生きて、願ったように一羽の蝶の軽さで光洋はこの世を去った。

コメント (2)
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