山田太一氏の『誰かへの手紙のように』を読もうと手に取って、ふと松浦弥太郎さんが文章を書く時は読み手の「あなた」に手紙を書くつもりでいつも書いている、と書いていたことが思い出された。
山田さんは大学が早稲田だった。
その頃の一番の親友が同級生の寺山修司で、二人でよく高田馬場の古本屋を歩いたときの想い出を綴っている。
当時まだ古本を値切る習慣が残っていて、どちらかが「神田ではもう少し安く出ていた」と言ったところ、
「だったら神田へ行けよ。神田がなんだっていうんだ。神田神田って」と青白い主人は真っ赤になって、ものすごい怒りを買ったそうだ。
こちらはたった1回神田と言っただけなのに何度も繰り返し、「出ていってくれよ」と。
「あれはすごいコンプレックスだよね」と笑いが止まらない寺山修二に、「そんなに可笑しかないよ」と応じたのを覚えていると述懐する山田氏は、店主のむきだしの敵意に傷ついていたらしい。
青森から出てきたばかりの少年と、傲慢で不安な世間知らずだったという二人が見えて面白いなと心に留めた。
山田さんは大学が早稲田だった。
その頃の一番の親友が同級生の寺山修司で、二人でよく高田馬場の古本屋を歩いたときの想い出を綴っている。
当時まだ古本を値切る習慣が残っていて、どちらかが「神田ではもう少し安く出ていた」と言ったところ、
「だったら神田へ行けよ。神田がなんだっていうんだ。神田神田って」と青白い主人は真っ赤になって、ものすごい怒りを買ったそうだ。
こちらはたった1回神田と言っただけなのに何度も繰り返し、「出ていってくれよ」と。
「あれはすごいコンプレックスだよね」と笑いが止まらない寺山修二に、「そんなに可笑しかないよ」と応じたのを覚えていると述懐する山田氏は、店主のむきだしの敵意に傷ついていたらしい。
青森から出てきたばかりの少年と、傲慢で不安な世間知らずだったという二人が見えて面白いなと心に留めた。