京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 石積みの門前町・坂本

2013年03月31日 | こんなところ訪ねて
比叡山延暦寺や日吉大社の門前町・坂本。お花見日和となった土曜日、ようやく念願かない坂本の街を散策しました。浜大津から石坂線で坂本までは初乗車でした。穴太(あのう)衆と呼ばれた地元の石工集団による石積みが施され、もともとは延暦寺僧侶の隠居所だった里坊が並ぶ街並み。建物、町としての風格、風情、その美しさはとても心地よく、何度でも足を運んでひと息つきたい場所になりました。かつて、滋賀県に住む人はみんな琵琶湖を向いて暮らしているんやと思うと言われたのは、草津市在住の師匠でした。

 
 
学習塾での教え子に古刹の跡取りクンがいました。早朝の鐘撞きを祖父に代わって役目とし、野球部に属していた中学生は比叡山高校に入学。彼もきっとこの坂を歩いたのではないかと、教室での姿が懐かしく思い出されるのでした。

 

       
比叡山延暦寺が三千の僧兵を養っていた頃、坂本の穴太衆が築いたという城塞あとに石積みの洞窟がありました。彼ら穴太(あのう)の石工たちは戦国時代以前から砦造りの専門職人で、彦根城はもちろんのこと、大阪城、金沢城も彼らの手になっているようです。日本のマチュピチュと言われる竹田城跡にも穴太衆による見事な石垣が残されていました。城郭風な面影を持つ多くの寺院が点在し、苔むしてなお美しい石垣が残り、東面には琵琶湖を望める町、護られ培ってきた歴史・文化の重みを感じます。

 
織田信長が1571年、坂本、比叡山を中心に近江の国の寺院を始め大半を焼き打ちし、ここ西教寺も全山類焼の厄にあったそうです。その後、浜坂本に坂本城を築城、城主として坂本一帯の復興に尽力したのが明智光秀でした。本能寺の変の後、山崎の合戦で敗れ非業の死を遂げた時、一族とともにここに葬られたと言われているようです。辞世の句碑があります。光秀公の深い教養と人生哲学を表していると、その大意を解釈してありました。かれもまた琵琶湖を向いて眠っているのでした。

本堂に上がると、僧侶が内陣の脇で経を唱え、鉦を叩いておられました。「西教寺はもう目の前にあった。しんと静まったあたりの空気に本堂の方から鉦を叩く音が聞こえてくる。…」(『細川ガラシャ』三浦綾子)と、昭和50年ごろの作品に。ここは不断の鉦のなる寺のようです。

日本一長いケーブルカーで坂本からケーブル延暦寺駅までは11分、次回にはぜひ足を延ばしてみたいと思います。

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10 コメント

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明智光秀の・・・ (白鷺)
2013-03-31 17:20:41
日本のマチュピチュの異名をとる竹田城跡にも、穴太衆による見事な石垣が残されていましたね。
そんな歴史の匂う坂本の散策ですか。
これもまた羨ましい限りですね。
あの明智光秀の居城坂本城。見事な城郭、街作りに腐心した歴史が、比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として残されているのですね。
色んな思い出と重なって、素敵な春の一日を過ごされましたね。
更に次回への期待を残して・・・。
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歴史に文学に…、白鷺さん (kei)
2013-03-31 22:52:11
京からは見えない反対側の比叡山麓の街です。
日吉大社の前を今回は素通りしてしまいました。
石垣は街に馴染んで美しい風景を作っています。
一日ぐるっと巡って、トップの写真にある横断歩道の右手に戻ってきました。
秀吉ゆかりの巨木の桜「太閤桜」が、石垣が巡らされた薬樹院の庭にあります枝垂れ桜ですが、大きく美しく枝を広げてゴールを迎えてくれました。美しく咲いて~。
楽しめました!
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立派な石垣の坂本 (スイスイ スー)
2013-04-01 22:40:54
4・5年前、8才年上の姉と西教寺を拝観しました。途中 歩けなくて親切な土地の人に自家用車でお寺まで送って頂きました。光秀もそんな優しさを持ち合わせていたのでは、と 今、文章を読ませて頂きそう思ったのです。次回は比叡山まで?素晴らしい!何分の一でも良いから、私も歩く練習をしよう。
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歴史探訪 (マーヤンです。)
2013-04-02 08:03:31
比叡山延暦寺周辺を歩かれ良かったようでしたね。「彼ら穴太(あのう)の石工たちは戦国時代以前から砦造りの専門職人」と言う、「穴太(あのう)」初めて知りました。戦国時代以前の石積みが長い間の風雨に耐え今でも健在の写真を見ると、昔の職人さんの土木技術が凄かったことを窺われます。琵琶湖周辺の歴史探訪勉強になりました。
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徒歩がいいです (菜の花)
2013-04-02 09:39:42
1昨年延暦寺から琵琶湖を訪ねました。お参りの会で
バスでの移動・・・大ざっぱに訪ね歩き 自分の思い通りにはいかず残念に思いました。

素敵な景観のお写真拝見できて嬉しいです。
また沢山見せてくださいね よろしくね。
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穴太衆 (Rei)
2013-04-02 16:33:21
坂本、たくさんの歴史が感じられますね。

再読ですが、今読んでいます「惜別の海」(澤田ふじ子著)に穴太衆の話がたくさん出てきます。
秀吉の朝鮮出兵の拠点となった、名護屋城の石垣、
果は朝鮮まで領主と共に海を渡り、穴太衆は石垣積みに貢献し、多くの犠牲者も出しました。
秀吉の愚戦に石工たちも泣かされました。
穴太衆、日本で一、二の優秀な技術集団だったようです。

パッションフルーツと草餅>きれいな緑、楽しい連想です。
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お姉さまと…、スイスイ スーさん (kei)
2013-04-02 16:54:26
4丁目~6丁目をぐる~~っと!歩いたようです。
この駅前を右手に折れますと里坊を両サイドに今は延暦寺の本坊・滋賀院門跡への道でした。
日吉大社もまだのぞいたことはなく今回も素通りです。

高校の修学旅行以来のこと、Jessieと一緒の時に比叡山の展望台に上りました。営業はしていませんが。
両親が揃って訪れる最後の旅に根本中堂が入っていました。
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近江国の土木技術、マーヤンさん (kei)
2013-04-02 17:11:31
近江の中世から近世にかけての歴史を訪ねるのも魅力満載です。
石垣が至る所に残存し溶け込んでいます。見事だと感じます。
延暦寺が存在すること自体、多方面に与える影響が大きかったのではと思わされます。


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歩かなくては感じられないものが、菜の花さん (kei)
2013-04-02 17:21:23
バスでの旅は効率よく回れるありがたさはありますね。
石垣で囲われた里坊、石畳の道に桜が天蓋のように~、きれいだ!っと感嘆しながら
反対側に目をやれば家並みの向こうに琵琶湖が望めて!
好きなようにコースをとってゆっくり堪能できるのは歩いてこそですね。
いつも坂本は車で通り過ぎるばかりでした。その地を歩いてこそ発見できる楽しさ、大事にしたいです。
足を労わりつつです。
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日本で一、二の技術集団、Reiさん (kei)
2013-04-02 17:36:58
「惜別の海」読んでみたくなりました!
Reiさんから澤田ふじ子さんの著書を初めてご紹介いただいたのはもう随分前になりました。
文学を通して、その地を訪れてみるって素敵なことですね。

映画「プリンセストヨトミ」のロケ地にもなった石垣の洞窟周辺もみてきました。
行ってみたいところが次々と出てきます。
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