京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

癪、癪、癪という字を

2021年08月02日 | 日々の暮らしの中で

孫たちが暮らすブリスベンでは、高校生の家族間から感染が広がり、6人の感染者が出たことで7月31日午後4時から3日間のロックダウンとなり、学校も火曜日まで休みになっていた。
そこにまた今朝はさらに13人と増えて、8日午後4時までの延長が決まったという。
10キロ圏内なら健康管理を目的とした外出も認められているというから、子供たちも近くの公園で体を動かすことぐらいはできるようだ。(くもの巣につかまった子)

自分の考えが間違っているかもしれないと振り返ってみてはいるが、所属する会の代表とのやりとりで失望感を抱き、不快感がおさまらない。
考え方の相違、意識の違いはもう仕方がない。いまさらという感があり、そこは前提に認めようと思っていたが…。ひと言が、言葉を失わせた。まあ、失望したということだ。
料簡が狭いのだろう。考え方が間違っているのかもしれない。求めすぎるのかもしれない。
この気分の悪さの出口をふさぎ、押さえつけてしまうことをしたくない。西野文代さんのこんな句を詠んだら押し出せそうだわ。

     癪(しゃく)ちふ字を書き散らかして心太(ところてん)    


青い稲田のふちにかがんで、足元を跳ねる小さなカエルを見ていた。姿を消したオタマジャクシは、みんなカエルになれたのだろうか…。
あっちこっちから姿を現すこの小さな生き物。そう言えばカエルの世界に子育ってないなあ、と思った。

この会の8月例会はコロナ禍で中止。

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