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「桃夭」
桃之夭夭 灼灼其華 之子于帰 宜其室家
桃之夭夭 有蕡其実 之子于帰 宜其室家
桃之夭夭 其葉蓁蓁 之子于帰 宜其家人 中国最古の詩集『詩経』収
若々しい桃が華やかに咲いている。それに似つかわしい娘が、いま嫁いでいく。
嫁ぎ先では仲良くやっていくことだろう。
若々しい桃に大きな実がなっている。これにあやかるような福々しい子宝に恵まれて、
嫁ぎ先で幸せに過ごしていくことだろう。
若々しい桃には葉が茂っている。嫁ぎ先もそのように末永く繁栄して、
嫁入りする娘は先様の人々と仲良く暮らしていくことだろう。
「梅見」に「花見」、桃は…
両側に桃の花の咲く奥深い谷川のかなたに理想郷があるという陶淵明。
広い盆地で、ずらりと家々が並び、よい田に美しい池。平和な自給自足の牧歌的な農村がある。閉鎖的だが平和な社会を築いている…。
覗いてみたい、東洋のユートピアとさえ言われる清らかな世界の別天地、「桃源郷」。
ただ、俗世間に魅力を持たない彼によって、世俗の者はぴしゃり!と締め出されました~。
一度は浸ってみたい仙人狭。
ユートピアですか、夢がありますね~。
俗世間にまみれ、俗世間をこよなく愛する者には却って住みづらいのでしょうか(笑)
でもやっぱり憧れの境地ではありますね。
そう言われてみると「桃見」・・・?ないですね。
その分、桃の節句という特別行事が・・・(笑)
桃の節句もありますね、五節句のひとつでした。
わかわかしさ、華やかさが読まれ、花も梅に劣らぬ美さだと思いますのに、取り上げられ方にはずいぶんと違いがあるように感じます。何でかなあ~、と…。
自分達だけの理想を追って世界を築き、世人とは没交渉、今の世でこうした社会ではどうでしょうか。やっぱり俗世が恋しくて・・・?
その昔の平家の落人などを思い出しますが。
桃は花よりも実がより人々に馴染むのでしょうか。
うがった見方をすれば、ふっくらした桃の実は
若い娘さんを象徴するのかな?と思ったり。
勝手な思い過ごしでごめんなさい。
梅干に近いばあさんがこんなことを言うと、僻みにしか聞こえませんね。
若々しく華やかな、プリンッとふっくらな桃の実は女性ですわね。
嫁ぎ行く娘への感情が素直に詠まれた詩、素朴で明るい、あたりはももいろですね~。
我が家には貧弱な桃の木がありまして…
桃の節句にまだつぼみの一枝を飾るのが楽しみです。