11月1日、3年ぶりに百万遍にある知恩寺(左京区)で営まれた十夜法要にお参りさせていただいた。境内では昨日から秋の古本まつりが始まっている。
大阪の高槻市にある寺のご住職による法話をいただき、午後1時半から声明による古式法要で営まれた。本当に素晴らしい仏前の荘厳である。
朗々とした声が堂内に響き渡る。澄んだ声。すごい声量だ。張りのある、言うに言われぬ美しい声と旋律が心に沁む。特に好きな高音部では、脳天から天空に吸い上げられるかのような感覚を瞬時覚える。
「…そちこちの露は儚く消えていくけれど、やがてまた先の世で、蓮の葉の上のお浄土で相まみえる。…」とこんな内容で回向文でしょうか、故人の追善があり、そのまた美しい声と文言に耳を澄ませ聞き入っていると、今月末の母の祥月命日に思いが及んだ。
大きな念珠を繰って、現実に戻って、和太鼓とマリンバの素晴らしいパフォーマンスを楽しんだ。内陣の右のお脇に楽器はセットされ、迫力満点。「ガナ」という5人のグループで、主に名古屋で活動されているとか。
撮影禁止は常識だが僧侶の方々をはじめ多くの人がカメラを向けだした。遠慮していた最後に1枚なのに、5人のうち2人が柱の向こうに重なってしまった運の悪さ。
昨日、ちょっと嫌な思いをすることが舞い込んで、気分が落ちたところだったので救われた思いだ。
今日は好い一日でした。
大阪の高槻市にある寺のご住職による法話をいただき、午後1時半から声明による古式法要で営まれた。本当に素晴らしい仏前の荘厳である。
朗々とした声が堂内に響き渡る。澄んだ声。すごい声量だ。張りのある、言うに言われぬ美しい声と旋律が心に沁む。特に好きな高音部では、脳天から天空に吸い上げられるかのような感覚を瞬時覚える。
「…そちこちの露は儚く消えていくけれど、やがてまた先の世で、蓮の葉の上のお浄土で相まみえる。…」とこんな内容で回向文でしょうか、故人の追善があり、そのまた美しい声と文言に耳を澄ませ聞き入っていると、今月末の母の祥月命日に思いが及んだ。
大きな念珠を繰って、現実に戻って、和太鼓とマリンバの素晴らしいパフォーマンスを楽しんだ。内陣の右のお脇に楽器はセットされ、迫力満点。「ガナ」という5人のグループで、主に名古屋で活動されているとか。
撮影禁止は常識だが僧侶の方々をはじめ多くの人がカメラを向けだした。遠慮していた最後に1枚なのに、5人のうち2人が柱の向こうに重なってしまった運の悪さ。
昨日、ちょっと嫌な思いをすることが舞い込んで、気分が落ちたところだったので救われた思いだ。
今日は好い一日でした。
荘厳なお寺の光景を想像しています。
お経は、お坊さんのお声で荘厳さも
決まりますね。
素晴らしかったのですね〜
そして、その後のパフォーマンス
すてきな時間を過ごされましたね!
声明は仏を荘厳する讃美歌だとどなたかが。
15、6人は僧侶の方もおいでだったようです。
音楽としても聴きたくなるような素晴らしさです。
太鼓とマリンバでのパフォーマンスもあわせ、満足満族の一日でした。
そう思えるだけでもありがたいことですね。
そして、一日を振り返ったとき、良かっ
たと思える日がそんなに多くはありませんね。
まして気に染まないことの後でしたら、好日の有り難さがもっと膨らむのでしょうか?
今日を振り返るゆとりを持つことが、明日の一日をまた楽しく過ごす秘訣なのかもしれません。
できれば、好日となるように好材料を見つけて過ごしたいですね。
いいお話しを伺いました。
なかなか意味深い言葉のようです。
お母上様に想いを馳せ、音楽も聞けて
好い1日でしたね。
「ガナ」は知りませんでしたが
ジャンル如何を問わず音楽はいつ聴いても
心に響き安らぎます。
古本市、なにか掘り出し物が見つかりましたでしょうか?
音楽のように聞き入った声明の美しさに気持ちは洗われました。
このような機会がおありでしたらぜひ一度~。
一日でも多く、良い一日だったと思える日を送りたいものですね。
娘宅で子守を頼まれて、PCを開く余裕もなく過ごしてしまいました。
お返事が遅れ申しわけありませんでした。
せっかく生きているのですから…。
と思うのですが、どうも私には「容易ならぬ一語」です。
「やがてまた先の世であいまみえる」、この言葉にじんときました。
美しい旋律、声に酔い、和太鼓の迫力ある演奏に気持ちは洗われました。
お寺や小さなカフェを中心に活動されてるようです。
おかげさまで楽しい時間を過ごさせてもらいました。
本屋さん巡りはせずに終わりました。
娘宅に出かけておりました。お返事が遅れて申し訳ありませんでした。