京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

価値は万華鏡のような多様さ

2024年11月11日 | 催しごと
昨日、大阪の万博記念公園内にある国立民族学博物館を訪れた。

 

かつて5年ほど娘家族が大阪の地に住まいを移していたころ、家から近いこともあって何度か孫たちとも訪れて周辺の施設でも過ごしていた。
彼らがAUSへ戻る前年の’20年10月26日に孫のLukasと訪れたのが最後で、4歳になるひと月ほど前だった。
孫Tのラグビー練習グランドが公園の西側方面だったので、車で送る際には途中「民博→」の案内を示す標識を目にしていた。
昨日は四条烏丸から電車やモノレールを乗り継いで万博公園駅まで、日曜日の人出の多さを想像済みの中ようやくの到着だった。
途中、通過したかつての宝塚線最寄り駅、モノレールから見る街の風景も、自動車道も、すべてがやけに懐かしい。


各地を移動して詩歌を歌い語る「吟遊詩人」と社会のかかわりを探る ―
民博創設50周年記念企画 特別展「吟遊詩人の世界」が開催中で、行ける機会をうかがっていたのだった。

現代に生きるアジア・アフリカの吟遊詩人の映像や音源が流れ、素朴な楽器の数々、衣装、写真、口承から文字になった本等々が紹介された各コーナーを見て回った。


詩人・フォキル・ラロン(1890年没)
宗教対立やカーストによる差別を否定し人間愛を貫いた社会変革者でもあったという。
唄は現代のベンガル人に愛され、バングラデシュ西部には彼の教えを継ぐ弟子たちが多く暮らしているそうだ。
後ろの写真の下に、メッセージが訳されていた。
「こんな人間社会が、いつ生まれるのだろう。ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も仏教徒も、キリスト教徒も生まれや身分の違いもないという日が」


エチオピア高原の吟遊詩人、ラリベラは早朝に家々の軒先で歌い、乞い、家のものから金や食べ物、衣服などを受け取ると、その見返りとして祝詞を与え、次の家に去っていく。

ベンガルには「バウル」という、生まれや宗教を問わず、地位や財産を捨て、自分の意思でその道に入った遊行者・修行者がいるという。
托鉢も修行の一つで、師匠や先達のバウルから受け継いだ詩を唱え、一軒一軒巡って人びとを祝福する。近隣社会は米や金銭を捧げてバウルを敬う。近年は歌唱のみを生業とする芸能者としてのバウルの歌手も増えているのだそうな。

日本の盲人の旅芸人「瞽女(ごぜ)」のコーナーもある。


一年のうち300日以上は歩いていた記録がある。近世の瞽女は、説経節や浄瑠璃などの原材料を再編成して多様な瞽女唄を練り上げた。三味線の伴奏に合わせて長い物語を暗唱する口承文芸であり、音源も流されていた。
生活道具を風呂敷に包んだ大きな荷物。「どんな人にどこで見られているかわからんでしょ。だから、とにかく身形(みなり)には十分気を付けていたんだよ」「人さんの家に泊めていただいてさ、人のもん汚したくないから」 ちり紙まで展示されていた。


険しい山道を歩いてやってくる彼女たちを村人は米を用意して到着を歓迎した。
3人の瞽女が1回の門付けで6軒の家を訪ねる。茶碗や湯呑みに入れた米を1合ずつ貰うとすると18合(2700g)の米が集まることになる。
集った善意の結晶は、「瞽女の百人米」と呼ばれた。


2009年に「都の祝福芸能者たち」と題したお話を伺う機会があり、民俗芸能などへの細々としたものながら続く関心が今回も気持を向かわせたようだ。
また時には、ブログを通して出会った言葉などに促されるように記憶がたどり返されることもあって、いっとき掘り起こしてみたりする。
とすれば、微々たる好奇心とはいえ今回見聞きしてきたことも、また次の何かに役立つことはあるだろう…ってことね。

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