京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

口から六体

2021年11月11日 | 日々の暮らしの中で

質素な膝までしかない衣をまとい、脛を出し、素足に草鞋ばき。そして、胸に打ち鉦(かね)をかけ、右手にそれをたたく撞木(しゅもく)を持ち、左手に鹿の角をつけた杖を突いて歩く姿。その半ば開けた口から、6体の小さな阿弥陀仏を出現させている。
ああ、写真で見たことがあると思い当たるでしょうか。

6体は、この方が不断に唱えていた6字の名号、「南無阿弥陀仏」の具象化だとされている。「枝仏」と呼ばれることをこのたび初めて知ったのですが、このお方、どなたでしょう。もうお分かりでしょう。
念仏修行に明け暮れ、大伽藍に住まず、美麗な法衣も身につけず、行乞して(托鉢して)弥陀の救いを説いて回った市の聖。 ―空也です。

立像の写真とともに、授業で習った程度には記憶にあります。
六波羅蜜寺所蔵の空也上人立像。先月下旬、東本願寺にお参りしたあと足を延ばし拝観してきました。隣には大きな堂々たる平清盛の座像も。ああ、これもまた懐かしく記憶にありました。20代に一度拝観して以来ですから、本当に久々。枯れ木のような上人像でした。

       
10月半ばに訪れた書店で『捨ててこそ 空也』(梓澤 要)がこちらを見ていまして? こうした作品があることも,作者すら知らずにいて、それでいて一気に読んでみたいと気持ちは動いて。澤田瞳子さんの『輝山』を読み進めていたが、どうにも我慢できず2冊を手に取りだしました。しかし、いかにももったいない。自分には合わない読書法だ。で、澤田さん、一旦ストップごめんなさい、です。

空也は醍醐天皇の第五皇子と言われる。また一説には、仁明帝の孫とも言われ、いずれにしても高い身分の出自のようで、梓澤氏は醍醐帝の子説をとっている。母親に片脚をつかまれ高殿の縁から放り投げられ、左肘がねじれたままに。母への恐怖(母を捨てた父への嫌悪?)。 今、15歳に成長した五宮を追っている。作者が女性だと知って驚いたのは、つい先日だった。

空也って、どのような一生を送ったのか。これは小説だけど、知りたいと思って…。


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