平安の昔には、宇治川の両側に貴族たちが別荘や荘園を持っていた、と。川を挟んで彼岸と此岸。一帯には阿弥陀如来信仰が広まっていたと思われるところだ。
’20年の2月に澤田瞳子さんの『満つる月の如し』を読んで平等院鳳凰堂を訪れたが、立松和平氏の『道元禅師』に挫折したまま今回、宇治川畔に道元ゆかりの興聖寺(こうしょうじ)を訊ねてみた。
折しも新聞では京滋の紅葉ガイドに紹介され、9日に亡くなられた寂聴さん関連の記事があふれ、「宇治十帖」などが浮かんでくるところで、思い立っての宇治行きだった。興聖寺山門までの琴坂の紅葉が時季には美しいと伝え聞いていた。風はあるが日差したっぷりの明るさに誘われて。
法堂で、「どうぞ中へ」と案内があっても誰も…。もったいないこと。道元禅師自らが彫られたという本尊釈迦牟尼仏に参拝し、相対していると後方から声をかけてくれたボランティアさん。ここは、道元禅師が深草の地に建てた寺を、淀藩主・永井尚政が1649年にこの地に再興したのだと説明してくれる。
宇治上神社を経て、やめておこうというのに源氏物語ミュージアムに立ち寄ることにもなった。
「しょむないなあ」「うん…。でも、入門者には良いガイドじゃない?」など言葉を交わしつつ帰途に就いた。大人600円。立寄る先々で、ちりも積もれば…。私は2度目だったし、決してお安くはない。…と、こんなことにとらわれているのでは、なんだかなあ…。情けなくもあるな。
川を挟んで彼岸と此岸を周遊する人たちも多いのか、結構な人出だった。
気に入りの道、曼殊院の参道の紅葉はいかに、と頭をかすめる…。
’20年の2月に澤田瞳子さんの『満つる月の如し』を読んで平等院鳳凰堂を訪れたが、立松和平氏の『道元禅師』に挫折したまま今回、宇治川畔に道元ゆかりの興聖寺(こうしょうじ)を訊ねてみた。
折しも新聞では京滋の紅葉ガイドに紹介され、9日に亡くなられた寂聴さん関連の記事があふれ、「宇治十帖」などが浮かんでくるところで、思い立っての宇治行きだった。興聖寺山門までの琴坂の紅葉が時季には美しいと伝え聞いていた。風はあるが日差したっぷりの明るさに誘われて。
法堂で、「どうぞ中へ」と案内があっても誰も…。もったいないこと。道元禅師自らが彫られたという本尊釈迦牟尼仏に参拝し、相対していると後方から声をかけてくれたボランティアさん。ここは、道元禅師が深草の地に建てた寺を、淀藩主・永井尚政が1649年にこの地に再興したのだと説明してくれる。
宇治上神社を経て、やめておこうというのに源氏物語ミュージアムに立ち寄ることにもなった。
「しょむないなあ」「うん…。でも、入門者には良いガイドじゃない?」など言葉を交わしつつ帰途に就いた。大人600円。立寄る先々で、ちりも積もれば…。私は2度目だったし、決してお安くはない。…と、こんなことにとらわれているのでは、なんだかなあ…。情けなくもあるな。
川を挟んで彼岸と此岸を周遊する人たちも多いのか、結構な人出だった。
気に入りの道、曼殊院の参道の紅葉はいかに、と頭をかすめる…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます