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青空が広がっているわけではないが、東の空の灰色の雲のふちを輝かせて差す陽の明るさに「春立つ日」のめでたさを重ねてみる。旧暦でのことだが、一年の始まり。元日である。
「春は空からさうして土から微かに動く」
この大好きな一節は、『土』の中だ。もう15年ほど前になるが、夫と榊莫山の書展に行った帰り道にでた話題だった。その莫山氏は、〈「土」という漢字のタテに下ろす垂線は、逆に下から上に突き上げるようにして書かなければつまらない〉と、独特の思いを持たれている。
地上の一切の草や木、森林は土の中から芽生え、土の表面を突き破って成長し、枝葉を茂らせ、花を咲かせる、という道理だ。
根から得る滋養のおかげにある。そして、顔を見せた緑の小さな芽に気づき、土の中で蠢く(春に虫ふたつ、の字がまたいい)、うごごと、はっきりではなく、わずかだが絶えず動く力のほとばしりに、見えないながら目を凝らし、驚嘆する自分がいる。
立春を迎える頃、決まって長塚節によるこの一文を思い出す。そうして立春を迎えると、そろそろお雛さまを出すころだなと思うのだ。
季節は巡る。それとともに人の心も折々の習いにのっていきたいと思える。嬉しいことだ。一つ一つを大切にしなくては。
「榊獏山」の書体は好きでしたが、素人には、殆ど近づけない異次元世界のように感じていましたね。
でも、「土」の書き順の高い見識には、とても共感出来ましたよ、理に適っていて、何か、少~し近づけたようで嬉しいです!
(中には、上から下がって土に根を下ろすアマノジャクもありますが、それにもそれなりに理由が有るでしょうから・・・ね)
文部省は認めなくても、芸術を糧としている方々には、是非とも、その書き順を尊重してほしい・・・と望みますね。
書展に足を運ぶことは殆どないなかでの機会でした。
一度聞いたら忘れられない「下から上へ」の思いです。
花や土に親しむ伊豆の花さんには人一倍の、深い共感を覚えることでしょうね。
種から根が伸び、芽を出して土の中から顔をのぞかせるまでに伸びあがってくる、
これが今の歳になってもフシギでなりません。
上から下へ、この根っこも土からの滋養なしには枯れてしまいますでしょう。
花アルトキハ花ニ酔イ
風アルトキハ風ニ酔ウ
莫山さんです。伊豆の花さんの日常も?
以前、『莫山夢幻』なんて本を手に入れました。
春は土から、私など思ってもいない感性です。
莫山の書は知りませんが、内面から迸るものを感じます。
今朝の名古屋は雪がちらつきましたが
立春の言葉に嬉しくなりました。
別件ですが、ある本の中に「フォッサマグナ」が出てきてすぐ理解できました。
こちらでつい最近教えて頂いたばかりなので。
長野県(亡夫の故郷)は海がありません。
なのに小海線(JR)とか海の口等々海を使った地名の多いことの説明でした。
こんなむつかしい言葉が
間をおかず出てきましたからちょっとビックリしました。
確かに土中から上へと伸びる力のほとばしり。
言われてみれば、です。
最初にこの発想をされるということが素晴らしいです。
フォッサマグナは、むか~し地理の授業で習いました。
「言葉」のことで、たまたま私も見たか聞いたかしたばかりでした。
重なりましたね。これでインプットですね。