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今夜は明日の立春を前にした「節分」、つなぎ目の夜となる。新しい年の神が入れ替わる、そのすきを狙ってつけ込もうとする邪悪な鬼どもを追い払わなくてはならない。旧暦では、その朝廷の儀式が追儺と呼ばれ、「おにやらい」とも言われた。柊の枝に鰯の頭を挿すことはしないが、豆だけはまこう。鬼は外!
どの人の心にも鬼は棲むという。仏面に言葉巧みに騙されて、酷い仕打ちに泣くこともあれば、鬼面ながら心根の優しさに打たれる場合もあるだろう。仏面鬼心、鬼面仏心。
もし自分に痴呆の症状が出たとき、周囲にどのような態度で接するだろうかと不安視される方がおられた。そしてさらには、臨終の際の自分の死に顔にまで不安は飛ぶ。穏やかか、眼は? 鬼の形相か、とか。誰の心にも鬼がひそめば仏心も宿る。仏心が勝ちたい。
昔、天が崩れ落ちはしないかと心配で、夜も寝られず食事もとれない人がいた。無用の心配だ。
考えてもどうしようもないことは、おまかせするしかない。
乳がんの手術、転移、摘出、また転移、散弾銃を打ち込んだように広がって手術不可能となって、「何一つ自力なし 我がつくる善にはあらず 悪にはあらず」と綴って還浄された47歳の坊守さんは、清沢満之師の「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉を味わい、「どうにもならないことはどうにもならないまま」に、すべき事をなし、賜った命を精一杯に生きていこうと努められた。
一意専心と言ってよいのだろう。容易じゃない「おまかせ」だけれど、彼女の言葉に憧れもある。生じる迷いや葛藤を経つつ、私も生きているのだと思う。鬼は外!
(小林良正さんのほほえみ地蔵)
そうですね。そうありたいです。
我が家は豆まきをしません。代々やらない家だそうです。
怖い鬼も居なければやっていけない家だそうで嫁いで怖いことばかり(;^_^A
半世紀近くも経ち、私も小鬼くらいには成長したかも(*^^*)
行っていましたが。今は致しません。
儺追神事、この地方では国府宮の裸まつりが
有名ですが、コロナでどうなるのでしょう。
鬼にオミクロン株追い払ってほしいですね。
もし自分に痴呆の症状が出たとき>正常な時の言動が現れると聞いています。
怖い気がします。
今は亡き義母が七輪で豆を炒り、香ばしいにおいが立ち込める頃、子供たちが下校してきました。
幼い子も孫もいなくなって、豆をまく声も恥ずかしいやらで自然と小さくなります。
古くからの習わしをそのまま継いで、行事を楽しんでいますよ。
豆まきをしてはいけない、というお宅があるのですね。
こんな機会に、我が心の内にひそむ「鬼」に意識を向けてみます。
蒔いた後の豆を拾い歩いて食べたりもしましたが、子供には「そんなもん食べんとき」と言ってみたり。
真似事ではありますが、行事も身近に教えてきたつもりです。
上賀茂神社では豆まきが、御苑に近い蘆山寺では鬼の踊りも披露されたようです。
「鬼は外 福は内 上賀茂神社で厄落とし」
テレビで見ました。俳優の原田雄二さんがおいでのようでした。
疫病神退散してほしいものです。