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先月の末に続いて二度目、鹿2頭と出会いました。
烏が森の中からバサバサと飛び出して来た後、何かカサコソと音がしています。左端の木の陰で何か動いたような…、猿でもいるのかと思って見ていますと、鹿でした。よく見るとそのすぐ左手にも。2頭がこちらをじっと見て動きません。残念なことに、カメラを家に置いてきていて、携帯で!と思った時は時すでに遅し。
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ウォーキングで通りかかった男性が立ち止まって同じように見上げるものですから、「今ここに鹿が2頭も」と教えたくて仕方ありません。「このへんにたくさんいるんですよ。この頃は子鹿もよく見ますよ。夜はあそこの公園で走り回ってますよ。何を食べているんでしょうね」ですって。「へえ~~! そうなんですか~」新聞報道で知っていたので、やはり、という思いもあったせいか、こんな間の抜けた言葉しか返せません。
おしゃべりしている間に、鹿は静かに姿を消してしまいました…。背景は比叡山、小さな川が流れ、広々とした鹿の運動場に変わるようです。
偶然にも先日、京都府による野生の鹿の処分に関する話題をテレビで聞いたところでした。
農作物の被害は1億3千万円を超え、これまで19000頭ほどを処分し、多くは山に埋めてきたとのこと。ですが、自然のありがたさ、命の大切さを考え、もっと処分した鹿を有効活用しようと、鹿皮のベストやバッグなどが創られているようです。
宮沢賢治が鹿の声を『鹿踊りのはじまり』の中で「水晶の笛のような声」と表現していること、つい最近教えられました。
天然記念物に指定されている奈良の鹿。鹿のいる日常が市民の誇りとなっている場合とは事情が違って、被害ばかりが報道される京の野生の鹿問題は避けて通れない問題のようです。
19000頭も処分されたなんて哀れとしか言いようがありません。
人里に下りて来ないと生きられない環境の変化があったのでしょうね。
片や天然記念物、片や、どう向いても生きられない、辛いですね。
いっとき、猿も住宅街に出現、注意を喚起するポスターなど貼ってありましたが、
今は撤去されています。
「命の支え合いの仕組み」といった表現に先日触れましたが、そんなサークルは難しいのでしょうか…。