イタリアの美しい村の、丘の上にある古書店の老店主・リベロが、移民の少年エシエンに本を読むことを託した深慮を思った。
ある日、店の前に立つ少年に気づいて声をかけると、「本は買えない」という言葉が返ってきた。リベロは少年が手にしていたコミックを貸すことにした。「大事に扱って、明日返してくれればいい」
何度目にか、もうコミックは卒業だと言うと、それからは『ピノッキオの冒険』『イソップ物語』『星の王子様』と次々に貸し与え、返しに来たら感想を尋ねたり作品の読みかたなど伝えていた。
「本は2度読むんだよ。1度目は理解するため、2度目は考えるために」
学校から帰れば一心に読みふけったエシエン。だが『白鯨』は大作、一日では読めないという彼に「ゆっくり読んだらいい。身体に沁み込むからな」と話す。
小説は世界を知る楽しい教科書だと何かで読んだが、エシエンはリベロの道案内を得て世界を広げ、豊かで幸せな時間を重ねていたことだろう。
二人の交流が重なっていったある日、「これは小説ではない。貸すのではなく私から君への贈り物だ」と一冊の本を手渡した。
「喪中につき閉店」。
リベロは、エシエンが読みたい本があればいくらでも譲り渡すことを遺言していた。
少年に贈ったのは、世界人権宣言について書かれたものだった。
ふと、やはり多くの人に本が読まれることを託した水上勉が思い出された。
氏は福井県の
「生まれた村に小さな図書館を建てて、
ぼくと同じように本をよみたくても買えない少年に、
開放することをきめた。」
それは若州一滴文庫と名付けられた。「たった一人の少年に」と題した氏の言葉の結びにはこうある。
「どうか、君も、この中の一冊から、なにかを拾って、
君の人生を切りひらいてくれたまえ。
たった一人の君に開放する。」
なおとも
「月光に書を読む少年」での店主の計らいも思い出しておりました。
毎日1ページ、ウインドーに置かれた本のページが繰られ、
少年は何カ月もかけて1冊を読み終えた…、というものでした。
再読したくなった本を取り出す一方で、新たなものを購入して来たりしています。
なにしてるんだか…。じっくり、を言い訳にゆっくりゆっくり読んでいます。
映画も読書も、終わりが始まりなのですね。