秋分の日の電車にて床にさす光もろともに運ばれて行く
「心が和んだ。ああ、短歌はこんなに静かに細かい情景を丁寧にうたっていいのか。多くを学ぶところがあった」
苦しみて生きつつをれば枇杷の花終わりて冬の後半となる 『帰潮』
「激しい言葉や目立つ表現はないが、読む者の心の奥に届いてくる。これは何なのだろう」
「それまでの私は、自分の心の激しさや思いの丈を三十一文字にぶつけるのが短歌だと思っていた。それは違ったのだ。そのことを私に思い知らさせてくれた」
貧しさに耐へつつ生きて或る時はこころいたいたし夜の白雲 『帰潮』
秋彼岸すぎて今日ふるさむき雨直なる雨は芝生に沈む 『地表』
佐藤佐太郎の歌を取り上げて、道浦母都子さんのさりげない言葉に自身の姿が浮かび上がり、人の折々の生きようを知る。物事の考え方も知れる。なんでなのかと思うが、言葉というものが、言うならその人そのものだから…かも。
いいなと思った歌人の歌を、道浦さんの言葉とともに読み返し、
やっぱり思うのは道浦さんの生きよう、来し方。その先に、ゲバ棒をペンに持ち替えた弟の
姿、生きように思いがいく。
窓を開け風を通して昼日なか、本を開ける余裕に秋が来たことを実感。
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