歌枕に、地下鉄烏丸線の「北大路駅」がある。
1990年、同志社大2年だった梅内美華子さんの作品を目にした。
階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
改札を出れば、真っ直ぐに地上へと続く、広くて長い階段になっている。
私はもっぱら、横にあるエレベーター利用派だが。
あの長い階段を、二段跳びで上がっていくとは!若さであろう。
私と「北大路駅」のつながりは伯母だ。
京都駅から「北大路駅」まで地下鉄できて、そこから4番、あるいは14、54…って言っていたか…、のバスに乗るよう教えられた。本数も待ち人も少ない乗り場のベンチで心細く目当てのバスを待っていた。ここがまだ地下鉄の終点だった頃。
京都駅からバスでなら、こ一時間。ここで乗り換えたところで大差なかったわけだ。電車が早い、便利という伯母の思い込みのために。
タクシーに乗れば、必ず「あそこの赤いとんがり帽子の手前を右に入って下さい」と頼んで。
何度、いったい何度こうやって伯母の家に寄せてもらったことだろう。
幼いころは夏休みを過ごし、学生時代は京都旅行の宿として。結婚後は実家代わりの息抜き場に。
昨年12月高齢で亡くなった。おじはとうにいない。
主はなく、門は閉じられたまま。ふと、家は、庭はどうなっているだろうと思うのだが、思ってみても仕方がない。
ところが今日は、突然伯母が呼んだのか、全くの予定外だったが、疎水べりを思わず左折!
家の前に車をつけた…。あれから7か月ほどが経っている。
「北大路駅」が歌枕であることの印象が強く、なぜか思い出に向かってしまったようだ。
あの世、彼岸にいる“おばちゃん”、「死んだら生まれ故郷に帰りたい」と随分と口にしていたけれど、…悲願で終わってしまいましたね。
そちらは賑やかで、94年の人生を語るには話題も尽きることないでしょう?
こちらの岸にいる私は、もう一人、彼岸に送った人の新盆を迎えようとしています。
主はいないけれど、長年眺めた玄関脇の百日紅の花をもう一度訪ねてみたいと思っています。
1990年、同志社大2年だった梅内美華子さんの作品を目にした。
階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
改札を出れば、真っ直ぐに地上へと続く、広くて長い階段になっている。
私はもっぱら、横にあるエレベーター利用派だが。
あの長い階段を、二段跳びで上がっていくとは!若さであろう。
私と「北大路駅」のつながりは伯母だ。
京都駅から「北大路駅」まで地下鉄できて、そこから4番、あるいは14、54…って言っていたか…、のバスに乗るよう教えられた。本数も待ち人も少ない乗り場のベンチで心細く目当てのバスを待っていた。ここがまだ地下鉄の終点だった頃。
京都駅からバスでなら、こ一時間。ここで乗り換えたところで大差なかったわけだ。電車が早い、便利という伯母の思い込みのために。
タクシーに乗れば、必ず「あそこの赤いとんがり帽子の手前を右に入って下さい」と頼んで。
何度、いったい何度こうやって伯母の家に寄せてもらったことだろう。
幼いころは夏休みを過ごし、学生時代は京都旅行の宿として。結婚後は実家代わりの息抜き場に。
昨年12月高齢で亡くなった。おじはとうにいない。
主はなく、門は閉じられたまま。ふと、家は、庭はどうなっているだろうと思うのだが、思ってみても仕方がない。
ところが今日は、突然伯母が呼んだのか、全くの予定外だったが、疎水べりを思わず左折!
家の前に車をつけた…。あれから7か月ほどが経っている。
「北大路駅」が歌枕であることの印象が強く、なぜか思い出に向かってしまったようだ。
あの世、彼岸にいる“おばちゃん”、「死んだら生まれ故郷に帰りたい」と随分と口にしていたけれど、…悲願で終わってしまいましたね。
そちらは賑やかで、94年の人生を語るには話題も尽きることないでしょう?
こちらの岸にいる私は、もう一人、彼岸に送った人の新盆を迎えようとしています。
主はいないけれど、長年眺めた玄関脇の百日紅の花をもう一度訪ねてみたいと思っています。
数々の思い出が詰まった伯母さんのお家。
伯母さんを見送った以上に、新盆を迎える人のお見送りは、少なからずkeiさんに大きな試練を残されたのだろう、と勝手に想像しています。
全てを乗り越えなければ、自分が飲み込まれてしまうのが人の世なのでしょうから、月並みかも知れませんが、現実を胸にたたみ込んで、ご自分の人生を、前を向いてゆっくり歩まれんことをお祈りしています。大丈夫ですよね。
ときどき思い出したように感傷に浸り?、思い出を振り返り、いつも突然やってくる別れにむなしさを感じながら、それでも受け入れていくしかないことを、わかっているつもりです。
何気なく残された言葉がふとよみがえり...、まったく人生は複雑です。
沈んだまま生きることを、故人は決して望んではいないでしょう。
やはり大切なのは日々の生活ですね。日常に根を下ろし、そうですね、ゆっくり、自分の人生を歩むことですね。
もちろん!大丈夫! です。ありがとうございます。