「時間の不思議」。
時間はそれを意識する人によって様々に受けとめられる。
あっという間の短く感じる時間もあれば、長く感じる時間もある。
あわただしく用事を片づけ、ときに人との応対、ときには公用まがいに車を走らせ、日々の雑務…。自分のためだけに使う時間も欲しい。
次々に多くのことを処理し、あっという間に一日が終わってしまう…、このように感じる日がなんと多いことか。
本を読んだりどこかへ出かけたり、または所在なく過ごしたいものと願う。
ところが、たまにそんな日があると、ああ、今日は何もすることがなく、やけに長い一日だったという言葉が出る。
あわただしい時間を送るときというのは、時間が自己の内面に触れることがなく、表面的に流れるだけなので手ごたえの無いものになるため、あっという間の時間になってしまうのだという。
一方、時間が長く感じられるときというのは、≪共通感覚≫つまり五感―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚―を働かせ心を開いて、自己の内面に触れながら過ごしているときなのだという。
いうならば、人間は充実した豊かな時間を生きるためにこの感覚を生き生きと活動させることが大事となるわけだ。
「時間の不思議」、時間は、この根源的な共通感覚と結びついているのだという、中村雄二郎氏の文章に触れた。
今日は娘から依頼のあった本を探しに河原町へ。
先日来、気になっていた本があって...ついでに買うことにした。
帰り道、いつもの一つ隣りのベンチに腰かけて一休み。
風が通り抜け、森林浴気分で眠くなるほどの快適な場所。
大きな切り株の上で、全く心許して?
時間はそれを意識する人によって様々に受けとめられる。
あっという間の短く感じる時間もあれば、長く感じる時間もある。
あわただしく用事を片づけ、ときに人との応対、ときには公用まがいに車を走らせ、日々の雑務…。自分のためだけに使う時間も欲しい。
次々に多くのことを処理し、あっという間に一日が終わってしまう…、このように感じる日がなんと多いことか。
本を読んだりどこかへ出かけたり、または所在なく過ごしたいものと願う。
ところが、たまにそんな日があると、ああ、今日は何もすることがなく、やけに長い一日だったという言葉が出る。
あわただしい時間を送るときというのは、時間が自己の内面に触れることがなく、表面的に流れるだけなので手ごたえの無いものになるため、あっという間の時間になってしまうのだという。
一方、時間が長く感じられるときというのは、≪共通感覚≫つまり五感―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚―を働かせ心を開いて、自己の内面に触れながら過ごしているときなのだという。
いうならば、人間は充実した豊かな時間を生きるためにこの感覚を生き生きと活動させることが大事となるわけだ。
「時間の不思議」、時間は、この根源的な共通感覚と結びついているのだという、中村雄二郎氏の文章に触れた。
今日は娘から依頼のあった本を探しに河原町へ。
先日来、気になっていた本があって...ついでに買うことにした。
帰り道、いつもの一つ隣りのベンチに腰かけて一休み。
風が通り抜け、森林浴気分で眠くなるほどの快適な場所。
大きな切り株の上で、全く心許して?
工夫して乗り切るしか今のところはないのでしょうね。そこがまた楽しい!と考えて?。
何人か写真を撮っていました。それで一緒につい。何の警戒心もないみたい。
おっしゃるように忙しくしている時って余裕がないことが多いです。でもそれなりの充実感がないわけでもないですよね。ちょっとした矛盾は感じます。
Reiさんがブログでおっしゃっていらしたように、小さなことにも幸せを見つけ幸せな日々を送ろうとする思いが大切だなと感じます。五感のアンテナを張って。
与えられた一日の長さは一緒ですものね。(ちょっと夜更かしして長く使ってますが)
子供が寝てからの時間が倍あればいいのにといつも思います。。
「時間貴族」を自認している私ですが、時の過ぎ行く速さに恐ろしさすら感じています。
時間が長く感じられるのは、≪共通感覚≫云々・・・の部分はよく分かりませんけど、長く感じられることはいいことと解釈してよろしいのですか?
内面に触れるのですから。
確かに忙しいと考える余裕、自分を見つめる余裕がありません。
近頃の私は残された時間の少ないことに気付きはっとさせられます。
ですから忙しくない時も、一日が長いと感じたことはあまりないのですよ。今までどうしてもっと時間を大切にしてこなかったか少し後悔しています。
長々とすみません!
「時間」への受け取り方は多少相違もありますよね。あわただしい中にも「なにか」は確かにありますし、残る思いもありますから。
今日は門徒さんにご不幸がありました・・・。朝から動きづめ。思い出を語る身内の方の声をたっぷり受け止めながら、その方の人生を感じていたりするのです。
忙しいと言っては罰が当たります。「心が亡い」。
中村雄二郎氏に逆らうことになるのかも知れませんが、婚礼司会では、2時間30分かかったにも関わらず、アッという間に過ぎた感じの披露宴は大体好評です。2時間15分しかかかっていないのに、長く感じられる披露宴は失敗の部類に入ります。
出来れば、自分の受け持つ披露宴は「アッという間」に終わった感じを持ってもらうことを至上命題に取り組みました。