朱印集めが目的ではありません。
けれど、お参りする機会があったら朱印をいただいてみよう。そう思っただけです。
古寺、名刹のある場所には、不思議なエネルギーがある。
それを体で感じ、新しい命を悠久の歴史に思う「百寺巡礼」の旅に出た。
いま、私の新たな旅が始まる。
五木寛之
「『百寺巡礼』文庫化にあたって」こうあり、また「百寺巡礼の旅の初めに」と題しては、「何かを学ぶためではない、何かを感じるだけでいいのだ」と記されている。
「日本の寺のある土地には、人の生命をいきいきと活性化し、大きな深いものを感じさせる見えない力が存在していると感じる。その場所に立ち、一瞬の時間を体験するだけでいいのだ、と思う。」
と言うわけで、私は朱印帳を買い求めました。
けれど、お参りする機会があったら朱印をいただいてみよう。そう思っただけです。
古寺、名刹のある場所には、不思議なエネルギーがある。
それを体で感じ、新しい命を悠久の歴史に思う「百寺巡礼」の旅に出た。
いま、私の新たな旅が始まる。
五木寛之
「『百寺巡礼』文庫化にあたって」こうあり、また「百寺巡礼の旅の初めに」と題しては、「何かを学ぶためではない、何かを感じるだけでいいのだ」と記されている。
「日本の寺のある土地には、人の生命をいきいきと活性化し、大きな深いものを感じさせる見えない力が存在していると感じる。その場所に立ち、一瞬の時間を体験するだけでいいのだ、と思う。」
と言うわけで、私は朱印帳を買い求めました。
古寺、名刹に流れる不思議な霊気。それは悠久の歴史が紡いだエネルギーなのでしょうね。
厳かな、身の引き締まる思いを何度も経験してきたような。
これからもそういった気持ちを忘れず、、何かの折には巡礼したいものだと思います。
すてきな表紙の朱印帳ですね。
これに一つづつ思いを込めて朱印を集めるのも
思い出につながる気がします。
開くたびに景色や、そのときの思いが蘇る
ような、そんな気がいたします。
友人と旅行したとき、特に目的地ではありませんが
そこにお寺があれば立ち寄りました。
3冊目よ、と自慢して見せてくれました。
何処のお寺さんも達筆で驚きました。
『百寺巡礼』私には学ぶことは無理でも、感じることはできるかもしれません。
今となってはもう無理ですが。
それぞれにその土地の歴史の中で風景の中で守られているのを思います。
立ち去り難い何かを感じさせてくれるのも、そうした地の悠久の歴史が発するエネルギーでしょうか。
時にはふらっと日常を離れたくなります。
こだわりの足跡を、これからはここにも残していきたいと思っています。
モノを見て思いでが蘇ることは多いですよね。
どのようなあとが残されるか、これまた楽しみです。
先々には異なった歴史があり、守り継がれる思いもあって、何かしらが引き寄せてくれるようです。
若い頃は集めることにも大きなウエイトがあったような気がしますが、
これからは少しこだわりの足跡を残してみたいと思うようになりました。