8月2.3.4日と2泊3日で高野山夏季大学に参加してきました。
新大阪を午前10時、集合した直行バス利用の受講者は3台のバスに分乗し、講座会場となる「高野山大学松下講堂黎明館」に向かって出発。到着後受付を済ませ、まずは一人で宿泊先に向かうことにしました。ご住職が迎えて下さり、部屋に落ち着くと「ようこそ」とばかりにウグイスの盛大な歓迎です。彼らはモーニングコールまで担ってくれることになりました。
庭に面した長い廊下に続く各部屋の障子は明け放たれており、横になって身体を休めている人もあれば、遅い昼食をとる人など、思い思いに過ごしているのがわかります。おしゃべりの声も聞こえてきます。5人部屋にすでに二人分の荷物は置かれてありましたが、同室者と顔を合わすのは講座を終えて夕食に戻った時でした。
幸い、千葉県から参加された隣室の方と誘い合わせることができ、昼食後は開講式までの時間に宿坊に近い霊宝館をゆっくりと拝観し、写経会場で過ごしました。霊宝館には各地を巡回展示されることの多い童子像すべてがおそろい、といった機会でした。
朝は宿坊の本堂での勤行に参加。寺のこと、満足してもらえぬ面も多々あるでしょうけれどといった意味合いのあと、「せめて心は丸く穏やかに過ごしてください」とご住職は結ばれました。遅れてきた同室者に聞かせてあげたい言葉でした…。7割がリピーターとのこと、慣れは「比較」を生じさせるせいか、部屋では聞きにくい話題に事欠きません。
講座の合間、朝や昼休みを利用して、自由に山内を見学し、写経を済ませ、お受戒にも参加しました。
(上)根本大塔・西塔 (下)御影(みえ)堂・金剛峯寺の庭園
●「私の野球人生」張本勲氏 ●「虚の空間(余白)はどうして夢想できるのか」上村淳之氏
●「“二期目”に入った安倍政権の課題と展望」後藤賢次氏 ●「辺境の食卓」椎名誠氏
●「葉桜のころ」朗読、「のど元過ぎれば有馬稲子」有馬稲子氏 ●「写真から学ぶこと」織作峰子氏
●「人口成熟-日本経済の問題と対処策」藻屋浩介氏 ●「高野山とそのマンダラ世界」 藤田光寛氏
世界で「辺境」と呼ばれる地では、人々は自然が与えてくれる恩恵の中で生きている。それに文明国で勝手な価値判断を下すからおかしくなる、と椎名さんのお話は始まりました。寺で死者の魂を解放したのちの鳥葬は「ふるまい」であるとするチベットでの例を始めとし、モンゴルの風葬、インドの水葬などの話が多かったようです。「食事情が変わり、ケミカルフードを食べだしているからか最近はハゲタカも食べない」には、驚かされました。死者を送った後は、この世に生きた痕跡をすべて消してしまうという地域がある一方で、永代供養をし墓が増え続けていると口にされたことは耳に残りました。
有馬稲子さんの華やかな存在感は登場された瞬間から、会場内の空気を変えました。スパンコールが煌めくドレスに身を包み、時に鼻を詰まらせ、そっと涙を拭いて終わった朗読。金遣いの荒かった中村錦之助さんとの結婚生活。過ちを繰り返し繰り返し生きてきていると、張りのある声でメリハリの効いたおしゃべり。きれいな立ち姿も素晴らしいと感じました。
初めての参加とあって、空き時間をもう少し工夫できたら良かったと思いましたが、バス車内で隣り合った群馬県の女性との時間は楽しく、往復とも居眠りを忘れるほどでした。来年は90回目、再来年は高野山開創1200年という記念の年です。講師陣の顔ぶれを期待できるでしょうか…。よい体験をさせていただきました。
我慢もしながら、そして、「忘れる」ということがあるからこそ、失敗を繰り返してもめげずにいられる部分もありそうです。
やはり「聖地」と言われるだけのお山の空気感、街のたたずまい、特別なものを感じながらの3日間でした。
よい時間を過ごせたな~と満足感が次第に大きくなっています。
群馬からは夜行バスで、千葉からは朝4時起きして新幹線で、同室でした熊本の方は前日大阪で1泊されたとか、
遠方からもたくさんの方々がお集まりでした、
受講証の落としもので、890番台の番号が読みあげられていました。
住職の「心は丸く穏かに」・・・心がけたいお言葉ですね。
そして「有馬稲子」さんの「過ちを繰り返しくりかえし生きてきている」わが身を振り返るには、いいお話ですね。
素晴らしい体験をされてこれからの生きていく指針になりますね。冬の高野山も素敵でしょう!
豊かな緑の中に趣あるお堂や僧坊が立ち並び、朝など散歩していますと、厳かな気にすっぽりと包み込まれる素晴らしい気分でした。
なんとも言えない気持ちを味わいながらの3日間、やはり貴重な時間だったと思います。
大竹省二さんに師事された写真家の織作さんが、写真を見たときに「何かを思い出させる」「ストーリーが浮かぶ」「ドラマがなければだめ」と話されてました。
聞きながら、さんたろうさんが同じようなことをおっしゃってらしたなあと、思い出しておりました。
勤行、写経、お受戒など高野山らしい宗教的な修行に、見学、そして有意義な講話、7割の方がリピーター、それはそれなりに得るものが大きいからなんでしょうね。
お話会えるいいお友達もできて、うらやましい体験をなさったんですね。
葬儀は残されたもののためにあるとか…?
到着後、時間の使い方の勝手がわからずにいたところ、助けられました。
おかげで一つ賢くなりましたから、次があるなら工夫できそうです。
そこかしこに院が立ち並ぶ落ち着いたたたずまいは気持ちを穏やかにしてくれます。
気ままに歩いてみましたし、よい体験をさせていただけました。
年輩の方がとても多かったです。冬の高野山、私も今魅かれています。
歴史を感じさせる多くの建物や僧坊が立ち並ぶ宗教都市、
気ままに歩きながら堪能した3日間は日常を忘れました。た。
これからの一年を思い新たにするきっかけも欲しかったのです。
「まだらであっても調和のある世界」(藤田光寛さん)、
そんな個の姿も思い描きます…。
やがて、耳にしたことにふと気付くことがあるのかもしれませんね。
keiさん有難うございました。
これだけでもちょっと贅沢な気分にさせられます。さすが山上の聖地。
リピーターの方がはるかに多い高野大学。
おっしゃる通り、慣れてる人達は何かと比較しながら、悪しきことに目が行くのでしょうか。
色んな方の色んな講義、またいつの日かkeiさんの血となり肉となることでしょう。
リピーターの一人になられた時には、それこそ無駄な時間など作らず、もっともっときめ細かく聖地の隅々を観察されるのでしょうね。
お疲れさまでした。